マハリシの福音(25) …… 自己探求(5)
もしあなたがエゴを否定し、
それを無視することによって焼き尽くすならば、
あなたは自由になるだろう。
もしあなたがエゴを受け入れれば、
それはあなたに制限を課し、あなたを、
それを越えようとする空しいあがきの中に投げこむだろう。
これがつまり、泥棒がジャナカ王を「滅ぼそう」とし
たやり方である。
あなたが、本来はそれである自己であることが、
永久にあなたのものである至福を実現するための、
唯一の方法である。
2008-09-21 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 0 | tb : 0
マハリシの福音(24) …… 自己探求(4)
弟子 なぜ自己探求のみが、ジュニャーナへの直接的な方法
とみなされるのでしょう?
マハリシ なぜなら、アートマ・ヴィチャーラ(自己探求)を
除くすべてのサーダナ(修行)は、そのサーダナを続行する道
具としての心の留保を前提条件としており、
心なしにはサーダナは行ないえないからである。エゴは、
その人の修行の状態に応じてさまざまに異なった微妙な形を
とるが、けっして破壊されることはない。
ジャナカ王が「わしはとうとう、ずっとわしを亡ぼしつづけ
てきた泥棒を見つけ出したぞ。こやつは即決裁判だ」と叫ん
だとき、
2008-09-20 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 3 | tb : 0
世界的な名女優サラ・ベルナール
それから、さらに、カーリントンに会った。
そうしたら、この人は、「偉いね、あんたは、アメリカにも、
七十、八十の爺さん婆さんはいくらでもいるけれども。ね。
朝から晩まで、金だ、品物だ。金だ、品物だ。お前は偉いよ。
三十やそこいらでもって、心のことを考えるなんて、何て
尊いんだ。お前は。ああ、今日は尊い人に会った。ああ、尊い。」
何のことだか、ちっともわからない。おだてられて、ほいほい
帰されちゃった。
2008-09-19 | 健康法 | コメント : 4 | tb : 0
それまで命が持ちません
私の兄貴も医者、弟も医者、兄貴は北里伝染病研究所の
細菌部長をしておりました。もう両方とも死んじまいま
したけれども、
彼らが二人かかって、医学の力で私の病を治そうとしても
治らない。治らないのは、結局、要するに、病になってい
るのが、自分でないからであります。
自分の体を自分で診ることが出来ない以上は、医学は相手
方の体の中まではいって診ることは出来ないから、治らな
いのは当然だ。
2008-09-18 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
自分が医学を習うにかぎる
秘密書類が本箱だとか本棚だとか、いれものに入れて
ありゃ、これはことが済みます。それだけちょうだい
すればいいんだから。
たいていの秘密書類という奴は、むこうの当該軍人が
ポケットの中に入れちゃいますので、これがこまるん
ですよ。
それを、こういう大勢の中で、てんやわんややっている
なら、それを抜きとることも出来ます。
2008-09-17 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
私のことを人斬り天風だといった
それは泥棒もした。詐欺もした。それは、お国のために
しなければならないことだから、軍事探偵に、泥棒するな、
詐欺するなと言ったら、軍事探偵を止めっちまわなきゃ
ならない。
軍事探偵というから、何かあなた方、派手に聞えるけれど
も、詐欺して、泥棒することだけが、軍事探偵なんですよ。
あきれた顔して、私の顔を見られても、私こまりますけれ
ども、したことはしたと申しあげますよ。
2008-09-16 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
何を俺が悪いことをした
そのとき、あっと思ったのは、重態におちいったときの、
あのいやな気持だと思って、すぐ上の一枚だけ畳の上に
敷いて、そこへ寝ていたら、女中がはいって来て、
「まァどうしたんでございますか、」
というからね、
「いや、せっかくだけれども、
嫌ェなんだから、かんべんしてくれ、」
「どなたでも、これがとても寝心地がいいと
おっしゃいますけど。」
2008-09-15 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
奔馬性肺結核
私のうまれたときに、親爺は華族の一門になっていました。
それまでの大名は華族に変ったんです。
その家に生まれたんですから、おんば日傘で育った。
ところが元来、私の性格がそういう生活を嫌っていた。
十六のとき、日清・日露のある有名な軍事探偵から、
一人の屈強な若者が欲しいという話があったと聞いて、
私はよろこんで飛び出しちゃった。私はつくずく、
大名華族の生活に嫌気がさしちゃったのであります。
2008-09-14 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
おんば日傘で育った
苦力(クーリー)の姿に身をやつして、
明治三十五年の十二月九日に日本を出ましたから、
その当時、国民のすべては、日露の間に戦端が開かれ
るとは誰も思っていなかった。
それから明治三十九年の二月十一日、
戦争が終わったあとの、翌年の紀元節まで、
一ぺんも風呂にはいったことはないのです。
風呂になんか、はいりゃしませんよ。第一、屋根のある
下へ寝たのが、足かけ五年の間、さァ、三ヵ月とはない
でしょうな。
2008-09-13 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
体中、虱(しらみ)だらけの軍事探偵
おっ母さんが三度引越しをして、
三度目に学者の町に引越したばっかりに、
大変な偉い人になった。あの孟子が、
「あに敢えて更にまた何をかこれを心外に求めんや。」
漢文ですから難しいです。
何もねェ、あくせくしながら、何の必要があってお前は
幸福を心の外に求めるんだ。こういうことなんです。
同じような意味をさらに、これはもう、若い方々が一度
は読んだであろう、「青い鳥」の作者メーテルリンクが
そう言っています。







