2016年11月15日 (火) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(6)


瞑想とは

愛がはたらくことです

それは

ひとりの人にたいする愛ではなく

たくさんの人にたいする愛でもありません

それは

だれもが どんな瓶からでも のむことのできる

水のようなものです


瓶が黄金でできていようと

陶器でできていようと

かまいません

それは尽きることがありません


[READ MORE...]
2016年11月01日 (火) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(7)


23 解脱を願う者にとって、本を読むことはどんな価値が
あるのでしょうか?

すべての聖典は、解脱を得るためには心を静かに保たねば
ならないと説いている。だから、すべての聖典の結論は、
心を静かに保つべしということである。

ひとたびこのことが理解されるなら、際限もなく本を読み
続ける必要は何もない。心を静めるために、人はただ、
自分自身の内に自己とは何かと問いつづけるべきである。

聖典を読むことによっては、この探究はできない。
人は自分自身の智慧の目で、自身の自己を知らねばならない。

[READ MORE...]
2016年10月15日 (土) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(5)


より広い より深い超越的な体験を

たえず追いもとめていくのは

“あるがまま”の実際の現実から

逃避していく ひとつの姿にすぎません


“あるがまま”の現実とは

私たち自身のことです


わたしたちの条件づけられた心のことです

心が

めざめていて

叡智があり

自由であるなら

いったいなぜ

“体験”というようなものを必要とするのでしょう

どうしてそれを得ようとするのでしょう

光は 光です

それは もっと多くの光を

もとめたりしません


Meditation

is

the seeing of what is

and going beyond it.


瞑想とは

あるがままに ものを見ることであり

それを超えていくことです



[READ MORE...]
2016年10月01日 (土) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(6)


19 無執着とはどういうことでしょうか?

想いが起こったとき、その想いの根をあますところなく
完璧に消滅させてしまうこと、それが無執着である。

真珠採りは腰に石をしばりつけて
海の底に潜り、そこで真珠を採る。

私たちは無執着とともに自分自身の内に潜り、
自己という真珠を手に入れなければならない。

[READ MORE...]
2016年09月15日 (木) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(4)



瞑想は きびしい作業です

それには

もっとも高度な規律がもとめられます

ただし それは

順応することでも

模倣することでも

服従することでもありません


[READ MORE...]
2016年09月01日 (木) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(5)


16 自己(アートマン)の本性は何でしょうか?

真理の内に存在するものは自己のみである。

世界や個々人の人格、そして神は、真珠母貝の
銀色の輝きのように、自己の内に現れるものである。
これら三つは、同時に現れ同時に消えてゆく。

自己は「私」という想いが絶対にないところにあるものである。
それは「沈黙」と呼ばれている。

自己そのものが世界であり、自己そのものが「私」であり、
自己そのものが神である。すべてはシヴァであり、自己である。


[READ MORE...]
2016年08月15日 (月) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(3)



瞑想がおこっているかどうかは

頭が完全に静まっているかどうかでわかります

そのとき 頭はいっさいの活動をやめ

どんな体験もうまなくなります

しかしそれは

力づくでひきおこせるものではありません

力づくで頭を静めようとする その瞬間に

あなたは 二つに分裂してしまうからです


nami 01


[READ MORE...]
テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
2016年08月01日 (月) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(4)


13 対象物から刻みこまれた印象(想い)が、
まるで海の波のように限りなく立ち現れてきます。
それらのすべてがぬぐい去られるのはいつのことでしょうか?

自己への瞑想が高く高くなるとき、
それらの想いは打ち破られるだろう。


14 いわば始まりのない時の彼方からやってくる、
対象物によって刻みこまれた印象が溶解し、
その後に人が純粋な自己としてとどまるというようなことが
ありうるのでしょうか?

ありうるかありえないかと思いはかることをやめて、
自己への瞑想を持続すべきである。

[READ MORE...]
2016年07月15日 (金) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(2)


瞑想は

生のなかで もっとも偉大な芸術のひとつです

おそらく最高に偉大なものでしょう

それは ほかの誰かから学べるものではありません

それが 瞑想の美しさです

瞑想には どんな技法もありません

それゆえ 瞑想には権威者などいないのです


[READ MORE...]
テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
2016年07月01日 (金) | Edit |

ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(3)


11 「私は誰か」という想いをつねに持ちつづけるには、
どうしたらいいでしょうか?

他の想いが起こってきたときに、その思いを追いかけることをやめ
「その想いは誰に起こってきたのか」と尋ねるべきである。

どんな想いが起ころうとかまいはしない。
想いが起こるたびに「その想いは誰に起こってきたのか」
と勤勉に問いつづければよい。

その問いに対する回答は「私に」であるに決まっている。
そこで、その「私は誰か」と問えば、心は源へ引き戻され、
現れ出た想いは静かになるだろう。

[READ MORE...]