2008年09月13日 (土) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (64)


苦力(クーリー)の姿に身をやつして、
明治三十五年の十二月九日に日本を出ましたから、

その当時、国民のすべては、日露の間に戦端が開かれ
るとは誰も思っていなかった。

それから明治三十九年の二月十一日、
戦争が終わったあとの、翌年の紀元節まで、
一ぺんも風呂にはいったことはないのです。

風呂になんか、はいりゃしませんよ。第一、屋根のある
下へ寝たのが、足かけ五年の間、さァ、三ヵ月とはない
でしょうな。


もう、たいていは森、林、蒙古の奥の穴の中。森から出て、
屋根の下へ寝たとすれば、羊の小屋か、豚小屋。

それでもちっとも私は、心にそれ以上の生活をねがう気持が、
これから先も出なかったのは、この生活を私は、不平不満も
なく、いわんやまして、不幸にも感じない。

ただ、生き甲斐のある、男としての仕事だなァ、とそういう
気持だけだった。ですから、死刑の宣告を受けてからに、
断頭台に立たされたときにも、

男一代の最後の名誉のときが来たんだな、としか考えなかった。
恐ろしいとも情けないとも、これから先も考えなかったので
あります。

それくらい、きわめてのんびりと生きていた私が、戦争が済ん
でから、病におかされて、俄然、私の心の中には、大きな変化
が起こって来た。

あれほどまでに恵まれすぎた生涯に生きていなかったならば、
こんな、ショッキングな気持が起こる筈はないのです。

その点、私の前半の境遇が、はたから見ると幸福のようで、
私自身としては、ある意味においての不幸だったのかもしれ
ません。

人間の、これは運命ですから。生まれた時、乞食の子として
生まれるのも、大名の子として生まれるのも、自分が生まれ
ようと思って、注文して生まれてきたわけじゃない。

私も、こういう家に生まれたんだな、とものごころついてわか
ったのは、三つか四つのときです。その当時はまだ、明治維新
になってから、九年と経っていないときに生まれたんですから、
明治十一年か十二年くらいです。

まァ、ご年輩の人でないとわからないけれども、ちょうど昭和
二十年の八月十五日に終戦と同時に、国内の一切すべてががらり
と変ったでしょう。主権が天皇からわれわれ庶民に移る。

国内のすべての制度に、大きな変化があった。いまはもう、
そんなことを考えている人はないでしょうけれども、あの当時は、
また再び主権を天皇に返して、ありし昔のごとくに、軍閥華やか
なあの時代がきっと来るよ、そう思っていた人が多かったでしょ
う。

それと同じように、明治維新のあの直後は、またぞろ再び、徳川
が天下をとって、天皇は再び京都へ幽閉同様にされる時機がくる、
と思い込んでいた時代だ。

そこへ私は生まれた。私のうまれたときに、親爺は華族の一門に
なっていました。それまでの大名は華族に変ったんです。その家
に生まれたんですから、おんば日傘で育った。




次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
乳母日傘(おんばひがさ)
乳母が抱いて日傘をさしかけるように大切に大切に育てる
ことの意味だそうです。
経済的に恵まれている子供時代という意味にも使われている。


おばあちゃん子だとか、両親が高齢だとかで、甘やかされて
育った子の方が、大物になっているケースが多いと聞きます。
特に恐怖心を持たせないことが大切だともいわれています。


2008/09/13(Sat) 18:34 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
大切に育てられたのですね。
お金もちであろうと、貧乏であろうと、幼少時代に誰かに愛されて大事にされた子供は、心が強く育つように思えます。この方はきっと、周囲のみなさんに大切に見守られて育ってこられたのでしょうね。
2008/09/13(Sat) 11:14 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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