2008年09月12日 (金) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (63)


おっ母さんが三度引越しをして、
三度目に学者の町に引越したばっかりに、
大変な偉い人になった。あの孟子が、

「あに敢えて更にまた何をかこれを心外に求めんや。」

漢文ですから難しいです。

何もねェ、あくせくしながら、何の必要があってお前は
幸福を心の外に求めるんだ。こういうことなんです。

同じような意味をさらに、これはもう、若い方々が一度
は読んだであろう、「青い鳥」の作者メーテルリンクが
そう言っています。


幸福の鳥は、山や林や野にはいないぞ。そんなに、眼を
血のようにしてからに、家のそとばかり探したって駄目だ。

幸福の鳥は家の中にいる。お前のところの、軒端につるして
ある鳥籠の中にいるだろう、というのが、あの有名な、誰で
も一回は読んだであろう話なのです。

これも結局、要するに、幸福は物やあるいは相対的な現象の
中にあるのではなくて、おまえの心の中にあるんだぞ、
という意味です。

まことに峻厳犯すべからざる宇宙真理であります。はたから見て、
どんなに健康そうに見えても、あなた方の精神生命のあり方が、
根本的に切り替えられないかぎりは、幸福は来ないのであります。

さァ、そこで、どうすればこの精神を切り替えることが出来るだ
ろう。これが、きょうの私のこの講演のがんもくなのであります。

ほんとうのことを申しあげると、私も、ただいま、あなた方に申し
ているような、幸福に対する消息なぞ、これから先も知らなかった
人間の一人であります。

中年まで私は、きわめて恵まれた人生を生きていた男であります。
恵まれた人生に生きていた証拠には、すこしも幸福をねがっては
いませんでした。

幸福をねがっていなかったのは、不幸でなかったからであります。
幸福になりたいなァ、幸福になりたいなァと思うのは、必ずや、
それを望む気持の中に、不幸があるためです。

恵まれきってる人間が、なお幸福を念願するのは、よほど度外れな
欲張りでないかぎり、ありゃしません。ですから、私は、何ら不幸
を感じない。心の中に何事も、煩いもなければ、悩みもなかった。

ですから、普通の人がちょいと聞くと、いったい全体、どういう、
まァ、気持からか、行けば完全に生きては帰れない筈の、軍事探偵
なんかに、二度もなったりしたんだろう。

もっとも、中には、軍事探偵などというと、若い娘さんなんかは、
Ⅹ27、たいていああいうようなことを思い出すだろうけども、
日清、日露戦争時代のスパイは、そんなぜいたくなスパイとは
わけが違う。

第一、あの当時の姿というものは、もし、ここにいたら、あなた方
は、十間も、二十間も離れて、容易にそばにも寄らなかったろう。
体中、虱(しらみ)だらけ。頭の中まで虱がいっしょに生活している。




次回につづく


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テーマ:心の持ち方
ジャンル:心と身体
コメント
この記事へのコメント
悟ることが幸福になること
マハリシ老師の「幸福と自己は別のものではない」とは
自己を知ることが幸福になることだ、という意味なのです。
つまり悟ることが幸福になることだということですね。

「ラマナ・マハリシの教え」の一番最初のページに
「心のない深い眠りの中で体験される幸福を手に入れるためには、
人は自己を知らねばならない。」と語っておられます。

「私は誰か」という問いで自己を尋ねる知識(ジュニャーナ)の道が、
最も重要な方法であると・・・



2008/09/12(Fri) 18:11 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ほお~~~
恵まれた人生を生きてきた人は・・・幸福を願っていない。うう~ん!!こんな人もいるんだわ^^^

幸福の青い鳥・・忘れないように絵にかいておこうと思います^^^^^。幸福は遠いところにあるのではなく、自分の心の中にあるんだということを思い出すために。

でも、本当に幸福になったなら、そんな絵も必要としなくなるんのですね。というか、忘れてしまうのだわ。きっと・・・フムフム

2008/09/12(Fri) 07:57 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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