2008年09月09日 (火) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(40)


三軒目、四軒目と町じゅうをたずねまわっても、
ついにブッダの条件を満たすことはできなかった。

そこで彼女は、はじめてブッダが意図したこと、つまり、
すべてのものに死は必ずやってくることを悟ったのである。

この悲しい現実を受け入れたキサーゴータミーは、
子どもの亡きがらを墓地に葬ると、僧院にもどって行った。

するとブッダはたずねた。
「カラシ種を持ってきましたか。」

「いいえ、もう探そうとは思いません。あなたがお教えに
なろうとしたことがやっと分かりました。


悲しみのために何も見えなくなり、私だけが死によって
苦しめられていると思っていました。」

「では、どうしてここにもどって来たのですか。」
「真理をお教えくださるようお願するためです。」

ブッダは次のように説いた。
「人間の世界でも、神々の世界でも、ただ一つの法則があります。
つまり、すべては無常だということです。」

キサーゴータミーは僧団に加わり、ついには涅槃に達したという
ことである。

悲劇という点ではヨブの試練にも匹敵する、パターチャーラーと
いう娘にまつわるさらに感動的な話がある。彼女は、サーヴァッ
ティーの金持ちの娘であった。両親はたいへん過保護であったた
め、娘を屋敷の一室に閉じ込めておいた。

友だちのいない娘は秘かに召使いの少年と恋におちいった。
パターチャーラーが十六歳になったとき、両親はある金持ちの
結婚するよう準備を整えた。

すっかり悩み苦しんだふたりは、駆け落ちしようと決心する。
婚礼の日の朝、彼女は水を汲みに行く召使いに身をやつして、
だれにも気づかれずに戸外に出た。町はずれで落ち合ったふたり
は、遠くの町へ行って結婚した。

やがて彼女は身ごもり、出産が近づくと、子どもは実家で産まな
ければならないという習慣を思い出した。このことをもち出すと、
当然夫は恐れおののいた。

しかし、パターチャーラーの望みは強く、夫の反対を押し切って
出かけたのであった。夫は引き返すよう説得しながら後を追った
が、ついに旅の途中で陣痛が起こり、彼女は出産した。もう旅を
続ける理由もないので、ふたりは引き返した。

二度目に身重になったとき、パターチャーラーはやはり実家に向
かって旅立った。夫も不承不承ついて来たが、今度は悲劇にみま
われる運命になっていた。

途中、激しい嵐が起こり、同時に彼女の陣痛がはじまった。
パターチャーラーができるだけ安静にしていようとする間に、
夫は雨をしのぐ覆いにする枝を集めるために森へ入っていった。
かん木を切り倒していると、毒蛇にかまれて、その場で死んで
しまった。

さらに、次々と困難がおそってくる。子どもは生まれ、母子三人
は一晩じゅう雨と嵐にさらされていた。翌日、死んだ父親を見つ
けるがどうすることもできず、赤ん坊を腰に抱き、もうひとりの
子の手を引いて母親は旅を続けた。

歩いていくうちに、洪水で水量を増した河にさしかかる。一度に
ふたりの子どもを運ぶ力がないので、パターチャーラーは上の子
を河岸に残すと、赤ん坊を抱いて対岸に渡った。

降ろすや否や、鷹が赤ん坊に襲いかかった。大声を出して追い払
おうとすると、対岸で待っていた上の子は、母親が呼んでいると
思って河に飛び込んだ。

おどろいた母親もその子を救おうと水中に飛びこむ。しかし、
時すでに遅く、上の子は急流に流されて溺れてしまった。一方、
母親が岸にもどる前に、鷹は舞いもどって赤ん坊を連れ去って
しまったのである。



次回につづく


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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
四顛倒
キサーゴータミーは「悲しみのために何も見えなくなり、
私だけが死によって苦しめられていると思っていました。」

う~ん、自分の苦しみにのみ気持ちが囚われてしまいがちです。
しかし苦しみのほとんどは自分でつくっているのです・・・
起きてしまった現実を受けいれていないからなんですね。



キサーゴータミーは「真理をお教えください」
とブッダにお願します。

ブッダは次のように説きました。
「ただ一つの法則があります」
「すべては無常だということです」

無常とは、この現象世界のすべてのものは消滅して、
とどまることなく常に変移しているということです。

ブッダは、その理由を「現象しているものは、縁起によって
現象したりしなかったりしているから」と説きます。

多くの人はこの世が、
無常であるのに常と見て、
苦に満ちているのに楽と考え、
自我は無我であるのに我があると考え、
不浄なものを浄らかだと見なしている。

これを四顛倒(してんどう=さかさまな見方)という。


パターチャーラーの悲惨な話まだ続きます。



2008/09/09(Tue) 19:07 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
すごい!
八風吹けども動かず天変の月・・・やまんばは、なかなかできません^^^^

走れ!”RUN!”青木純作・・30秒のアニメーションの紹介ありがとうございます。アニメーションの俳句版ですね^^^^よく観察されていましたね^^

今日は思い当たるところがありました。
「悲しみのために何も見えなくなり、私だけが(死にとって)苦しめられていると、思っていました」
やまんばもそうでした。視野を広げていこうと再確認しました!
2008/09/09(Tue) 09:44 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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