2008年09月02日 (火) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(33)


ブッダはさらに、別のたとえ話をする。

「ラーフラよ、立派な象の姿を想像してごらんなさい。
育ちがよく、たくましく成長し、戦車の舵棒ほどもある
長い牙を持ち、戦争の経験も豊かな象を。

その象は戦場で足と胴体を正しく使い、頭や牙も、
耳や尻尾さえも使ってみごとに働きます。しかし、
象は鼻を使うのをためらっています。

すると象使いは、『この象は足や胴体は上手に使うが、
鼻を使うのをしぶっている。王のためにじゅうぶん
尽くしていない。』と思います。


しかし、いったん象が鼻も含めて全身を使いはじめると、
象使いは、『ああ、今度はじゅうぶん尽くしている。
もはや訓練する必要はない。』と言います。

ラーフラよ、不正直な人についても同じことが言えます。
その人たちは完全に正直になるまで、じゅうぶん修行に専念
しているとはいえません。だから、ラーフラ、決して冗談に
も嘘を言わないように修行しなさい。」

ブッダは、次のような質問で教えを結んだ。
「ラーフラよ、鏡は何のためにあると思いますか。」
「自分を映すためです。」

「よろしい、その通り。身体による行ない、言葉による行ない、
心による行ないも、鏡と同じように自分を映し出すものだと
いつも考えなさい。」

僧団に加わった親類縁者の中にあとひとり、従弟のアーナンダ
がいる。アーナンダは、後にブッダに常時つきそう侍者となる
が、おそらく仏教史上もっともよく知られ、愛された人物であ
ろう。

出家後の二十年間、ブッダは決まった侍者をもたず、いろいろ
な僧がブッダに仕えて、鉢や着替えの衣を持ち運んだ。しかし、
二つの事件がブッダに専属の侍者をもつことを決意させた。

その一つは、まるでこっけいな訓話のようである。

ある日ブッダは、ナーガサマーラという僧を伴って旅をしていた。
分かれ道にさしかかったとき、どちらの道を行くかふたりの意見
が分かれた。

ナーガサマーラは、持っていたブッダの鉢と衣を地面に置くと、
自分の選んだ道を進んだ。とり残されたブッダは、自分の持ち物
を拾い上げて別の道を行った。不運にもナーガサマーラは強盗に
遭い、鉢と衣を奪われ頭をなぐられる。

そして痛む頭をかかえて、心中ブッダの言うとおりにしなかった
ことを後悔しながら、ブッダに再会するのであった。

また別のとき、ブッダはメーギヤという僧を伴っていた。ふたり
がマンゴーの茂みのそばを通りかかったとき、メーギヤはそこで
しばらく瞑想したいと思い、鉢と衣をブッダに渡した。

ブッダは瞑想にふさわしい時ではないと思ったが、メーギヤは聞き
入れなかった。しかし、しばらくしてブッダのところへもどってく
ると、彼はじゅうぶん精神集中することができず、時間の無駄で
あったことを認めた。

ところで、この逸話は、ブッダが瞑想に必要不可欠な静けさや精神
集中のための諸要素を定義する絶好の機会となった。いつものとお
り正確に、ブッダは五つの要素を確定した。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
鏡のような心の境地
ブッダは、次のような質問で教えを結んだ。
「ラーフラよ、鏡は何のためにあると思いますか。」
「自分を映すためです。」

「よろしい、その通り。身体による行ない、言葉による行ない、
心による行ないも、鏡と同じように自分を映し出すものだと
いつも考えなさい。」


ブッダは、ここでは悟りの境地を「鏡のような心の境地」という
表現はしていませんが、鏡は自分を映し出すものだといつも考え
なさい。とラーフラに説明しておられます。

チベット密教では、悟りとは、すべてをあるがままにうつしとる
「鏡のような心の境地」だという。これをリクパ(rin-pa・明智)
という。

リクパが目覚めるとすべての過去のカルマは一瞬にして克復される
といいますから、数々の悪業などがチャラになるわけですね。
私のようなものには大変有難いことであります。

リクパが自分の外からやってくると思い込んではならない、という
のは、みなさんもうお分かりですよね。リクパは自分の内にあり、
私たちはそれに気づいていないだけなのです。

また、「悟りの境地に達した人でも、日常生活でおこる煩悩、
とくに怒り、執着、無知(三毒)は免れない」といいます。これは
大変に参考になります。悟りの境地に達しても、決してパーフェクト
ではないのです。

そして怒り等が現れたとき、それをただ観察する。
観察しているだけで、怒りは憤怒尊、執着は歓喜尊、
無知は寂静尊の智慧に変容する。といいます。

これは、あるがままで「リクパ」と自分が不二であることを常に保って
いるからだそうです。


2008/09/02(Tue) 18:16 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
わかりやすい たとえ話
やさしい語り口で大切なことを教えてくださるのですね。むつかしい言葉より、素直に頭に入ります。ありがたいです。また、明日も楽しみです。

ろくろくさん、昨日はありがとうございます。
確かに今まで紹介されていますね^^
たとえわからなくても、一つずつ丁寧にみていきますね。
2008/09/02(Tue) 07:38 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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