2008年08月25日 (月) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(45)


弟子 どうすれば恵みを得ることができましょうか?

マハリシ 恵みとは自己である。それは得られるべきものでは
ない。あなたはただ、それが在ることを知っていればよい。

太陽は輝くだけである。暗闇を見ない。それなのにあなたは、
近づきつつある太陽に追われて逃げてゆく暗闇について語って
いる。

帰依者の無知は、暗闇の幽霊のように、グルの一瞥で消え去っ
てしまう。あなたは太陽の光に囲まれているのだから、太陽を
あえて見たいと願うならば、その方向へ向きを変えて見なくて
はならない。


このように恵みはここに今あるものだから、あなたの正しい歩み
によって見いだされるのである。

弟子 恵みが熟するのを急がせることはできないでしょうか?

マハリシ すべてをマスターに任せよ。無条件に彼に投げ出すが
よい。二つのうち、一つのことはなされなければならない。

一つは、自分の無力とそれを助けてくれるより高い力の必要性を
悟って、自分自身をその前に投げ出すことである。

もう一つは、悲惨の原因に探り入り、その源に入りこみ、そこで
自己に溶けることである。

どちらにしてもあなたは悲惨を逃れるだろう。神あるいはグルは、
自身をその前に投げ出した帰依者を見捨てることはない。

弟子 グルあるいは神への平伏の意味は何でしょうか?

マハリシ 平伏は、エゴの沈静を意味する。そしてそれは源へ溶け
こむことを意味する。神あるいはグルを、外面だけの跪拝やお辞儀
や平伏によって欺くことはできない。彼は、エゴがそこにあるかな
いかを見る。

弟子 バガヴァンは、恵みのしるしとして、その木の葉から何か
プラサード(恵みの食物)くださらないのでしょうか?

マハリシ エゴの思いなしに食べなさい。そうすればあなたが食べ
るものはバガヴァンのプラサードになる。

弟子 教養のある人はグル・クリパの必要がない所にいるという意味
で、光明に対して必ずしも有利ではないのではないでしょうか?

マハリシ 教養がある者といえども、無学な聖者の前に頭を下げね
ばならない。無学は無知であり、教養は学習した無知である。両方
とも真の目的に無知である。

聖者は、もうひとつの意味において無知である。
彼は、彼以外の何ものでもないゆえに、無知である。



次回につづく


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テーマ:宗教・信仰
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