2008年08月22日 (金) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(42)


自己以外には、一定の場所もなければ他の場所もない。
すべては自己であるから、隠遁などは不可能であり、
想像することもできない。

アビャーサ(実践)とは、本来の平和を妨げるものに対して
予防処置をとることを意味している。

アビャーサを講じようと講じまいと、あなたはつねに
あなたの内なる自然状態である。問いや疑いを棄て、
あなたのあるがままにあること、それがあなたの自然状態
である。

弟子 サマーディを実現すると、シッディ(超能力)をも得る
のではないでしょうか?


マハリシ シッディを見せるためには、それを認めてくれる他者がいな
ければならない。つまり、シッディを見せびらかすような人の内には、
ジュニャーナはない。

それゆえ、シッディは考える価値のないものである。ジュニャーナのみ
が目指されるべきであり、得られるべきである。

弟子 私が実現すれば他者の助けになるでしょうか?

マハリシ そうだ。そしてそれが、あなたが他者に対して出来る最上の
ものである。大いなる真理を見いだした人々は、自己の静かな深みにあ
ってそのようにしてきた。

実現した人々は、ただ自己のみを見るからである。

それはちょうど金細工師が、金でできたさまざまな宝の値踏みをしなが
ら、ただ金だけを見ているのと同じである。あなたが自分を身体と同一
視するとき、名前と形がそこにある。

けれどもあなたが、その身体意識を超えるときには「その他のもの」も
また消える。実現した人は、世界を彼自身と異なったものとしては見な
い。

弟子 聖者が他の人々と交わるのは、よいことではないのではないで
しょうか?

マハリシ 交わる「他者」というものはない。自己は唯一の実在である。

弟子 苦しみに満ちた世界を救おうととしてはいけないのでしょうか?

マハリシ あなたを創造した力が、同じように世界を創り出してきたの
だ。その力があなたの世話をすることができるならば、同じように世界
の世話をすることができるだろう。

神が世界を創造なさったのであれば、その世話をなさるのは神の仕事で
あり、あなたの仕事ではない。

弟子 愛国者であることは、私たちの務めではないでしょうか?

マハリシ あなたの務めは、あることであり、これであったりあれであ
ったりすることではない。「私は私であるものである」ということが、
すべての真理の要諦である。その方法は「静かであること」に尽きる。

では静寂とは何を意味するのだろうか。それは「あなた自身を打ち壊す」
ことを意味する。なぜなら、すべての名前と形が困難の原因だからであ
る。「私-私」が自己である。

「私はこれこれである」というのがエゴである。「私」が「私」のみを
保ちつづけるとき、それは自己である。それが突然にわき道にそれて
「私はこれであり、あれであり、これこれである」というとき、それは
エゴである。

弟子 それでは神とは誰でしょうか?

マハリシ 自己が神である。「私は在る」が神である。神がもし自己以
外のものであるなら、彼は自己のない神であるにちがいなく、それは
不条理である。

自己を実現するために必要なことのすべては、静かにあること、である。
それ以上簡単なことがあるだろうか。アートマ・ヴィディヤ(自己探求)
はだから、最も簡単な道である。



次回につづく


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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
自己の静かな深み
そうですね、

すぐに忘れる自分がいる
いい加減な自分がいる 
ころころ変る自分がいる

ということなのですよね。
わたしも同様です。


静寂とは何を意味するのだろうか。
それは「あなた自身を打ち壊す」ことを意味する。

なぜなら、すべての名前と形が困難の原因だからであ
る。「私-私」が自己である。


静寂(沈黙)であるとき、そこには、わたしとかあなたとか
花とか雲とか、色々なものに別ける名前とか形とかがない。

困難の原因である言葉そのものが存在しない。
するとそこには、おおなんということだろう、
私だけしか存在していないではないか。

すべてがわたしになるのであります。


沈黙は最も力強い仕事の形である。
聖典がどんなに広大で、
どんなに力をこめて説いているとしても、
結果においてはその力は衰える。

静寂であり恵みであるグル(師)は、すべてに浸透する。
この沈黙は、すべての聖典を集めたものより広大で、
力強いものである。


聖典は言葉にすぎませんからね。
静寂は、リアルに体験として
「エゴであるわたし自身を打ち壊す」ことに
なりますよね。


「問いや疑いを捨て、あなたのあるがままにあること」



2008/08/22(Fri) 19:42 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自己実現は他者の助けになる
やまんばはまちがっていました。
自己実現は自分のためだけかと思っていました。が。それをすることは・・他者に対して出来る最上のものである・・・と書かれている。
それならば、もっと真剣の歩める!
そう思いました。
「静寂」・・この言葉を意味することが今ひとつわかりにくかったですが、「あなた自身を打ち壊すこと」とかかれてある。自身を見つめること・・そのことこそ、静寂を保ち続けることなのかと理解しました。

昨日いただいたろくろくさんのコメントの「あるがまま」・・私自身がいろんな色に染まっている思い込みの中にいる・・・そこを飽きずに忘れずに見つめ続けていくことが、自己実現への道のようですね。
自己が神である・・・雲一つない青空なのですね。
はたして可能なのだろうか?
あ~そうでした。
「問いや疑いを捨て、あなたのあるがままにあること」
とかかれてありましたね^^

すぐに忘れる自分がいる
いい加減な自分がいる ころころ変る自分がいる
そうかあ、それがあるがままなんだ。
そんなヘンテコな自分だけど、結構好きです。
おもしろいです^^^。
2008/08/22(Fri) 07:02 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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