2008年08月13日 (水) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (53)


神や仏というものは、頼るべきものではないのであります。
神や仏というものは、崇むべきもの、尊ぶべきものだ。

お賽銭を上げてからに、助けて貰おうなどと、
虫のいいことを言うな。

中江藤樹の言った言葉にこういうのがあるね。
「神や仏は人が助ける。」そうかもしれない。
神社でも、寺でも、みんな人間が建てている。

神様、仏様が建てやしない。


宇宙を支配する造物主は、お賽銭をよけいくれたから、助けて
くれるというもんじゃないんだぜ。信仰があるから助けてくれ
るというもんじゃないんだぜ。

生まれたときに、あなた方はすでに、造物主の仕事を手助け
するために、普通の動物に与えられていない力を、豊富に持って
出て来ている。それを使ってこそ、本当の人間になれるんだ。

天は天を信じ、神に祈るものを助ける、という言葉はどこにもあ
りません。祈ったり、頼んだりする心が、人間の頭からなくなっ
た時に、始めて宗教は、ほんとうの文化の形態を整えるでしょう。

拝むべきもの、崇むべきもの、尊ぶべきものである。だから、
どんな場合があっても、宗教を信仰するのは尊いよ。信仰という
ものは、崇めて喜ぶだけよ。

助けをお願いするのは、信仰にならないんだぜ。信仰という字を
考えてごらん。信は実在を信じ、仰は崇むということだ。だから、
どんな場合があっても、そんなさもしい気持でなく、自ら、自ら
を守っていけばいいんだ。

ふだん、人生に生きるときに、自分自身が自分自身を守る。一番の
心掛けとして、どんなことがあろうとも、自分の生命の状態に対し
て、消極的な方向からこれを表現する言葉を使わないようにするこ
とだ。

私はあなた方にそれを教えている人間ですから、もちろん、終始、
自分自身が模範的な存在として、自分の言動に注意しますが、
私はどんなに体の具合の悪いときでも、体の具合が悪い、と言った
ことはありません。

だから、家の人たちが言うでしょう。
「先生が亡くなるときは、きっと、誰も知らないときに死んじまう
でしょうね。」

私は二、三日たってから、よく言うことがあるんです。
「一昨日だったかな。少し頭が痛かったね。」

これでは、誰も、心配してくれませんよ。もし万一、私が、
「いま俺は頭が痛いんだ。」
と言えば、私を命の綱として頼っている人々は、必ず心配するに
違いない。

どんなことがあっても私は、体の具合の悪いことを言ったことが
ない。私の体を診てくれている医者にきいてごらん。
先生はどこか悪そうだ、と家の人たちが言ったとき、

「ご気分は、」
「ごらんのとおり、」
「食欲は、」
「生きているから食ってるよ」
「夜は、」
「よく寝るよ。」



次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
テーマ:モノの見方、考え方。
ジャンル:心と身体
コメント
この記事へのコメント
助けをお願いする
神や仏は自己ですから、
いわば自己暗示のようなものと考えてもいいのでは
ないでしょうか。

私は神社や仏閣にお参りした折には
「すべてが丁度よくなりますように」
とお祈りするようにしています。


2008/08/18(Mon) 17:34 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
あれまあ・・
今、祭壇に梨を供えて願い事をし、おじいちゃんに神様にとりついでいただくよう頼んできたのに・・・虫のいいことをしてまいりました。

神や仏は頼るべきものではない
神や仏は拝むべきもの尊ぶべきものだ

まあ、願わなくてもちゃんとしてくださっていることは後々になってわかるのですが、つい手を合わせて願い事をしてしまいます^^。
2008/08/18(Mon) 09:35 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック