2006年04月07日 (金) | Edit |
五木 寛之 著「他力」講談社文庫より (2)


日々の暮らしの中で、
私がいつも思うのは、
何百年も昔の、
三人の宗教者のことです。

まず、法然。
そして、親鸞。
最後が、蓮如。

生きて、生活していくということは
大変なことではあります。

私の郷里の老人たちは、
「難儀なことで」と、
よく言いました。


どんなに恵まれた立場の人でも、
生きていくということは、
それぞれに難儀なことです。

それから逃れることなどできません。

経済的に余裕のある人でも、
健康まで思う通りにはできない。

いくら健康でも、
家庭の問題や肉親との対立は
避けるわけにはいかないでしょう。

愛情や希望へのこだわりといった
目に見えない難儀もあります。

精神的な苦しみや不安、
また、満たされない欲望
といった難儀もあります。

お金の苦労、
食べていくことの難儀は
言うまでもありません。

すべてに問題がないとしても、
人生の意義がみあたらない、
世界のどこにも自分の依りどころが感じられない、

などという高尚な悩みも存在します。
自分の存在が「透明に」しか思えない
という苦しみもあるでしょう。

じつに「生きていく」ということは、難儀なことです。
もう、これ以上、生き続けることはできない、
と感じることもあるはずです。

そんな場面で、私の助けになってくれるのが、
先にあげた三人の言行です。

できるだけ簡単に言ってしまえば、
難儀な人生を、何とか投げ出さずに生きていく力を、
その三人からあたえられているように思うのです。

苦しみや不安にみちた日常の中で、
とことん落ちこんでしまうことなく、
きわどいところで自分を支えて、

あるゆとりさえ
感じさせてくれるオーラを、
その三人に感じるのです。

法然は日本浄土教の祖とされている人ですが、
私は宗派のことはあまり意識しません。

むしろ親鸞がみずからの師としてすべてを賭け、
生涯慕い続けた先達として
法然という人を受けとめています。

そして、蓮如は親鸞に帰依し、
その教えを乱世に生きる大衆に手渡すことに
一生を賭けました。

法然の教えの中で、
私がもっとも感動するのは、
〈易行往生〉
ということです。

そして親鸞の場合は、
〈自然法爾〉
という言葉です。

有名な〈悪人正気〉説よりも、
はるかに深いものを感じるのです。

そして蓮如について言えば、
〈他力本願〉
というところに惹きつけられるのですが、

この三つの言葉は、つまるところ
同じひとつのことに違った光を当てているような
気がしないでもありません。

どれも背後には、

「わがはからいにあらず」

という他力の声が響いているように
思えてならないからです。


次回につづく


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テーマ:仏教学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
ケ・セラ・セラ
人生がうまくいかないのは、
自分の努力(自力)が足りないからだ、
と考えていたがそうではないと、五木さんが言う。
「わがはからいにあらず」 と。

ケ・セラ・セラ 人生は なるようになるものさ
ケ・セラ・セラ 肩の力を抜いて生きていこうよ

今までも なるようになってきたから
これからも なんとかなるか~
2006/04/08(Sat) 17:20 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
やまんばが若かった頃は
自分でなんとかしようと、頑張っていたけど、少し年をとってくると、体力も気力もおちてきたせいか、やるだけやったら、後はおまかせするようになった。タイガーウッズさんが、ゴルフの球は打つけども、後は球にまかせるしかないーーーと言ってた。いったんそれをやると、見届けるのが結構おもしろくなるのです。予想外の展開をすることもあるのです。
2006/04/08(Sat) 06:36 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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