2008年08月03日 (日) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(23)


ウパティッサは、アッサジが信奉する教えを説明してくれるよう
求めた。アッサジは控えめに答えた。

「私は、ブッダのもとで出家してまだ日が浅い新参者にすぎません。
ですから、教えについては、あまりよくわからないのです。
くわしくは説明できませんが、簡単に要約してお話いたしましょう。」

ここでアッサジは、因果律(縁起)に関するブッタの教えをまとめた詩
頌を唱えはじめた。最初の二行を唱えただけで、ウパティッサは
その意味を把握した。そしてとても興奮して、アッサジに言った。


「もしこれが、あなたが師から学んだ教えなら、実に、悲しみと死から
の自由、長い歳月の間知られることがなかった何かを、あなたは見出し
たのです。」

ウパティッサはアッサジに感謝し、うやうやしくお辞儀をすると、
友、コーリタのところへ行って自分の経験を語った。ふたりはブッダに
会いに行き、僧団に受入れられた。そして間もなく、ブッダの代表的な
弟子となるのであった。

仏教史上、このふたりには特別な敬意がはらわれてきた。つまり、
ウパティッサは偉大な智慧の持ち主として、コーリタは不思議な力
(神通)の持ち主としてである。

初期の僧団では、ブッダとその弟子たちは、どこでも適当なところが
みつかれば、木の下、ほら穴、谷間、あるいは野外でさえも寝泊りし
ていた。何といっても仏教僧は、安住する家を持たない出家者なので
ある。

しかしながら、ビンビサーラ王の逸話が示すように、間もなく裕福な
人びとが、遊園等の土地を僧団に寄進することが盛んになった。一方、
雨露をしのぐ屋根も早くから僧団に与えられたのであった。

最初の雨季をベナレス近郊で過ごした後、僧団はビンビサーラ王が寄進
した〈竹林の園〉で雨季を二、三度過ごした。その頃ある日、ラージャ
ガハの裕福な商人がひとり、この園を訪れた。

僧たちが、やっとのことで雨宿りしているのを見て、商人は適当な住居
を寄進しようと申し出た。「そのことについて、ブッダはまだ何も決め
ておられません」と僧たちは答え、ブッダのところへ行ってたずねると、
ブッダは同意した。

商人はたった一日で、〈竹林の園〉に六十戸の家を建てたという。翌日、
商人は自宅にブッダと僧たちを食事に招待し、正式にそれらの家を僧団
に寄進したのであった。このもの惜しみしない布施の行為は、次にもっと
劇的な寄進を招くことになる。

商人の妹は、アナータビンディカという男に嫁いでいた。彼は、僧たち
が食事に招かれる前日にたまたま仕事でラージャガハにやって来たが、
たいへんな騒ぎの最中であった。

料理人は手の込んだ料理を作り、召使は見るからに重要そうな
行事の準備に奔走していて、誰も相手にしてくれなかった。
アナータビンディカは、この扱いに少し腹を立てた。

「これはちょっと変だ。いつもなら、私が来ると義兄さんは何もかも
やめて歓待してくれるのに。今日は、召使に命令して、何か大がかりな
行事を準備することしか頭にないようだ。婚約の披露宴でも準備している
のだろうか。それともビンビサーラ王を宴会に招待したのだろうか。」




次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
私を信じてほしい
そうですね。あるがままの自分としてあること、
それ以外は何も必要ないのであります。

間違ったら、間違ったことをただ認めたらいい
だけなのですね。


あるがまま

 私を信じてほしい。
 あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
 あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
 それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
 ものだ。
 あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
 で充分だ。
 それ以外のすべては無駄なのだ。


あなたはそれだ

 「何も私ではない」が第一段階だ。
 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。
 そのどちらも「そこに世界が存在する」という観念にかかっている。
 この観念もまた放棄されたとき、あなたはあるがままの非二元性のあなたと
 して残る。
 今ここで、あなたはそれなのだ。
 だが、あなたの視野は自己に関する偽りの観念によって妨げられているのだ。(


生きる と 死ぬ

 あなたが生を推し進める必要はない。
 ただそれとともに流れなさい。
 そして現在の瞬間の仕事に完全に自分を捧げなさい。
 それが現在において、今死ぬということだ。
 なぜなら生きることは、死ぬことだからだ。
 死なしに生はありえない。


放棄するもの

 世界は無数の輪(リング)でできている。
 それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
 あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
 そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
 あなたの耽溺を放棄しなさい。
 ほかに何も放棄するものはない。
 常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
 そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
 努力せずに在りなさい。


全体 と あなた

 全世界という概念も、あなたの私的な世界の一部ではないだろうか?
 宇宙はあなたのところにやってきて、あなたは宇宙の一部だと言いはしない。
 全体があなたをその一部として含んでいるという考えをつくり上げたのは、
 あなたではないだろうか?
 実際に、たとえどんなに想像と期待で飾りたてていても、あなたが知ってい
 るのはあなたの私的な世界にすぎないのだ。(


ニサルガダッタ・マハラジとの対話より



2008/08/03(Sun) 19:59 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
私の過ち^^^
今、悟りについて学んでいるのに、昨日のやまんばのコメントは身勝手でしたね。
自己実現・・・ひとたびそれに到達すれば、けっしてうしなわれることがない。
くるものは去らなければならない。
過ち・・・・・あなたがうまれたということを信じていることに、あなたの過ちがある。(目が覚めます)
気づき・・・・あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。


私を信じてほしい
2008/08/03(Sun) 13:02 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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