2008年08月02日 (土) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(22)


ラージャガハの近くに、ウパティッサとコーリタという
二つの村があった。それぞれの村には、村と同じ名の村長
がおり、両家はたいへん親しかった。

ある日、ウパティッサの妻のサーリーが男の子を出産し、
コーリタの妻のモッガリーも男の子を出産した。

ウパティッサの息子は、ウパティッサあるいはサーリプッタ
(サーリーの息子・舎利弗)とよばれ、コーリタの息子は、

コーリタ、モッガリプッダ(モッガリーの息子)あるいは
モッガラーナ(目連)と呼ばれた。

幼い頃から、ふたりの少年は仲がよかった。


成長するにつれ、どちらも芝居に興味を持つようになった。
しかし、舞台で見るよりもっと多くのことが人生にはあるに
違いないと感じるようになり、

ある日〈山祭り〉という芝居をみているうちに、人生の真の意味
をみつけるため出家しようと決心した。

ふたりはまず、ラージャガハの近くに住む有名な師、サンジャの
門をたたいた。しかしサンジャは、少年たちの求める解答を与え
ることができなかった。

そこでふたりは、真理を求めて今後一生懸命に思索、瞑想し、
どちらか最初にそれを見出した者が、もうひとりに教えようと
誓い合った。

ある朝ウパティッサは、ラージャガハの大通りで、苦行者らしい
人が、鉢を持って家から家へ食べ物を乞いながら回っているのを
見かけた。しかし、どういうわけか普通の苦行者には見えなかった。

彼には普通とちがうつつしまやかさと落ちつきがあった。
ウパティッサは、苦行者が近づくにつれ、その仕草や容貌にいっそう
深い感銘を受けた。

その人の表情は、あたかも澄みきった空の下のなめらかな湖水の
ように穏やかに思われた。

「この人は誰だろう。きっと私が探し求めている真理を見出した人に
ちがいない。さもなければ、そのような師の弟子であろう。誰が彼の
師であろうか。後をつけてみよう。」とウパティッサはつぶやいた。

苦行者が托鉢を終え、市の城門を出ていこうとしたとき、
ウパティッサは、近づいていってたずねた。

「友よ。お見かけしたところ、あなたはすがすがしい態度、明るく
晴ればれとした顔つきをしておられますね。どうか、あなたの師は
誰か、その名前を教えてください。」

実はその苦行者は、最初の五人の僧のひとり、アッサジであった。

「私の師は、出家して他の人びとにつくすために家や国を捨てた、
サキャ族出身の偉大な修行者です。」と答えた。



次回につづく


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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
あなたの過ち
悟りの境地はコントロールも、獲得もされるものではないですから、
自分の都合よく「ほどよい道具として使いましょう」というわけ
にもいかないですね。

「ほどよい道具として使いましょう」という考え方はまさに思考(エゴ)
そのものの捉え方ですから・・・。

ですから「あるがままのあなたとして在ること」「それ以外は何も必要
ないのだ」ということでいいのだと思います。


自己実現

 いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
 体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
 自己実現は獲得されるものではない。
 それはもっと理解の本質に近いものだ。
 ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
 その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
 意識とその内容をとどめようとしてはならない。
 意識をとどめれば、それは止まる。
 洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
 ようとするものにとって破壊的になる。
 来るものは去らなければならない。
 永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
 すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
 無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
 何度も繰り返し試みることだ。


過ち

 あなたが生まれたということを信じていることに、あなたの過ちがある。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬことはない。
 だが、あなたがある特定の日と場所で生まれ、この特定の身体をあなた自身
 のものと信じているところに過ちがあるのだ。


気づき

 そうではないのだ。
 私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
 あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
 あなたに必要なのは停止、放棄、解放だ。
 あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
 あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
 あなたではない。
 あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
 ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
 私を信じてほしい。
 あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
 あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
 それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
 ものだ。
 あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
 で充分だ。
 それ以外のすべては無駄なのだ。


ニサルガダッタ・マハラジとの対話より



2008/08/02(Sat) 21:30 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
人生は舞台なのですね
昨日のろくろくさんのコメントの中にもあるように、「あなたは想像の中で世界を夢のように創造している」だれでもない各々の人生は各々が主役。
私は女優であり、演出家であり、監督でもあるのですね。ああ~~~~なんて素敵なことでしょう!
やまんばは悟りの境地はやはり死んでからの楽しみにします^^^。

でもいままでとはちがいます。

わずかでもここで、私の本質は青空。雲ではないことを知りました。

欲望などという雲に振り回されることないように、むしろ、ほどよい道具として使いましょう、客観的に自分の人生をみて、一本の映画を創るように暮らしていきたいです。混乱したら、目を閉じ「え~とどうするのだったかなあ」とまずは立ち止まろうとおもいます。混乱の原因は他ではなく、自分の心にあるのだから、その原因になった欲望、執着、などをみつければきっと解放されるはず!

「マハラジさんはタバコ屋の親父さんだった」どこに偉い方がおられるのか、わかりませんね^^。

「唯一の希望は止まって 見て 理解し、記憶の罠から抜け出すこと」
やまんばの小さいころのトラウマはまさに記憶の罠でした。
「あなた自身が創造した世界をおそれてはならない・・」自分がつくっていたとは・・ミステリーですねえ。ふり返ると本当ですね。涙が出ます。




2008/08/02(Sat) 11:32 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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