2008年07月31日 (木) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(40)


弟子 どうすれば自己実現できるのでしょうか?

マハリシ 実現というのは、新しく獲得される何かではない。
それはすでにそこにある。

必要なことのすべては「私は実現していない」という想いを
追い払うことである。

静かさあるいは平和が実現である。
自己が存在しないときは、一瞬たりともない。

疑いや非現実という想いがあるかぎりは、
それらの想いを追い払う試みがなされるべきである。


それらの想いは、自己と非自己を同一視することによって起こっ
てくる。非自己が消えれば、その後にはただ自己だけが残される。
場所が必要ならば、狭くなくすればそれでじゅうぶんである。
よそから場所を持ってくる必要はない。

弟子 実現はヴァーサナ・クシャ(潜在的傾向性の破壊)なしには
不可能だとすれば、ヴァーサナ(潜在的傾向性)が完全に破壊された
状態に至るにはどうしたらよいのでしょうか?

マハリシ あなたは今、その状態にある!

弟子 それは自己を凝視(みつ)めつづけることによりヴァーサナは
立ち現れると同時に打ち壊されねばならない、という意味でしょうか?

マハリシ あなたがあなたのままであれば、それらはおのずから
壊されるだろう。

弟子 どうやって自己に到達できましょうか?

マハリシ 自己に到るということはない。自己がもし到られるべきもの
ならば、それは今ここにはなく、やがて得られる何かを意味するだろう。
新しく得られるものはまた、失われるものでもある。

それは永遠のものではない。永遠でないものに努力する価値はない。
それゆえに、自己は至るものではないというのである。あなたは自己で
ある。あなたは、すでにそれである。

事実は、あなたは自分の至福に満ちた状態について無知だということだ。
無知は次から次へと続き、至福である自己にヴェールをかける。努力は
ただ、この悪い知識である無知のヴェールをはぐことに向けられればよい。

悪い知識とは、自己と身体や心などを誤って同一視することである。
この偽りの同一視は去らねばならぬ。そうすればただ自己のみがそこに
残る。

それゆえ、実現はすべての人おのおののものである。実現は、それを願う
人々の間に差別をつけない。あなたが実現できるかという疑いそのもの、
自分は実現していないという考えそのものが障害である。

このような障害からも自由になりなさい。



次回につづく


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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
自己が存在しないときは、一瞬たりともない
「自分は実現していないという考えそのものが障害である」
では、単純に「自分は自己実現している」と思えばいのかと
いえばチョッと違うようにも思います。

ほんの少しの努力もいらないと思うのです。
ですから、やまんばさんの
『「私は実現していない」という想いを追い払うことである』
「追い払えばいいのですね」
でもないように思えてなりません。ほんとに微妙なところです。

マハリシさんの
「事実は、あなたは自分の至福に満ちた状態について無知だということだ。
無知は次から次へと続き、至福である自己にヴェールをかける。努力は
ただ、この悪い知識である無知のヴェールをはぐことに向けられればよい」
の努力も微妙なところです。

努力=時間であり、「すでにそこにある自己」に無努力のままに
気づくのとは違うように思ってしまいます。

まあどちらでもいいのかもしれません。


2008/07/31(Thu) 21:16 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自分の想いが障害
自己が存在しないときは、一瞬たりともない・・・・
必要なことはすべては「私は実現していない」という想いを追い払うことである。

「雲一つない青空」
やまんばもこの表現が一番わかりやすく、なぐさめられます。昨日のような真っ黒なおそろしい雲でも、いつかは去っていくのですね。

自分の想いが障害になっている・・・これは私の心の中に、ものすごくたくさんあると思います。追い払えばいいのですね。小さなことから実験してみますね^^
2008/07/31(Thu) 07:25 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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