2008年07月29日 (火) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(38)


マハリシ あなたは、スシュプティ(深い眠り)にあっては
身体と心に関係を持たずにいるが、夢を見ているときや
眼が覚めているときはそれらと関係を結んでいる。

もしあなたが身体と同一のものであるなら、
スシュプティにおいてどうして身体なしにあることが
できようか。

あなたは、あなたにとって外的なものとあなた自身を
分離するすることはできるが、
あなたと同一であるものを分離することはできない。

それゆえに、エゴは身体と同一のものではありえない。


このことが眼が覚めている状態において悟られねばならない。
眠り、夢み、眼覚めの三つの状態は、この知識を得るために
学ばれるのである。

弟子 二つの状態(目覚めと夢)に閉じこめられているエゴは、
三つの状態のすべてを含むそれを実現するために、どのような
努力をすればよいのでしょうか?

マハリシ エゴはその純粋性にあっては、二つの状態の合間、
あるいは二つの想いの合間に経験される。エゴは、まず一点を
つかんでおいてから一点を離れる尺取り虫のようなものである。

エゴの本性は、それが対象や想いとの関係を離れるときに、
知られる。あなたは、この合間を、変ることなく在りつづける
実在として、あなたの真実在として実現しなくてはならない。

ジャグラット(眼覚め)、スワプナ(夢み)、スシュプティ(深い眠り)
の三つの状態を学ぶことによって得られる確信をとおして、それを
実現しなくてはならない。

弟子 こうやって眼が覚めている状態にあるように、望むだけの時間
スシュプティにあったり、意のままにスシュプティに入ることはで
きないのでしょうか?ジュニャーニの三つの状態はどのようなもの
でしょうか?

マハリシ スシュプティは、あなたが眼が覚めていてもやはり存在
している。あなたは、今もスシュプティの内にある。それは、まさに
この眼が覚めている状態にあって、自覚的に入りこみ到達されるべき
ものである。

そこから気ままに出てきたりはいったりすることは、真実ではない。
ジャグラットの状態にありながらスシュプティを知覚している状態を、
ジャグラット・スシュプティと言い、それはすなわちサマーディであ
る。

アジュニャーニ(無知者)は、スシュプティの内に長くとどまることは
できない。彼は自分の性質そのものによって、そこから出てゆかねば
ならないからである。

無知のエゴは死なずに、何度も何度も立ち現れてくる。けれどもジュ
ニャーニは、そのエゴをその源へと打ち砕く。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
ろくろく風意訳「不生の証拠」
盤珪禅師の「不生禅」難しいですか?
確かに表現方法に癖がありますけど、
禅のお坊さんの話の中では分かりやすい方だと
思います。

では、ろくろく風に意訳してみます。

◎不生の仏心

盤珪さんは、
すべての人は、生まれつき心の底に「悟りの境地」を持っています。
だから、この悟りの境地(不生の仏心=究極的意識)でいればいいのです。
と説法をしました。

◎仏心は不生

この悟りの境地は不生不滅の存在であります。
生まれないのですから死ぬこともない、つまり不死身なのです。

◎不生の証拠

みなさんがこうして私(盤珪)の話に耳を傾けていると、
みなさんの思考や感情は私の話に釘付けになっているわけであります。

そんなとき、なにやら後ろの方で鳥の声が聞こえてきます。
みなさん(の思考)は私の話に夢中になっているのにもかかわらず、
聞こえてくる鳥の声をちゃんと聞き分けて聞いているのが分かりますか?

カラス、スズメ、うぐいすなど、まったく意識(思考)が介入していない
のに、鳥の声がゴチャゴチャにミックスされて混乱することもなく
聞こえているのであります。

このようになんの努力もなく、
一瞬に聞きわけているのが究極的意識(不生)なのです。

この「究極的意識=悟りの境地=自己」のままでいる人は、
今日より未来永劫、生きつづけることが出来るのであります。


※これは、すぐに実際に体験することが出来ます。

絵を描くとか、読書とかに夢中になっているとき、
聞くともなく外から聞こえてくる車の音、バイクの音、
近所の人の話し声、犬の鳴き声などが見事に一切の努力無しに
聞き分けているのが体験できます。


2008/07/29(Tue) 18:29 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
むつかしいです
言葉がなれないので、むつかしいです。

無知のエゴは死なずに、何度も何度も立ち現れてくる。^^^^^^

やまんばは強い心を育てていかねばなりません。

ろくろくさん、昨日のコメント、やまんばはやはり言葉がむつかしかったです^^が、
「すべての人は、生まれつき不生の仏心をもつのだから、不生の仏心でいよ」
「仏心のたっといことを知りますれば、迷いとうても迷われませぬのわいの」
は、なんだかありがたいなあと思えました。
特に、迷いとうても、迷われませぬ・・はやまんばは何度か感じます。いつも、神仏がみんなの首根っこを掴まえておられて、道に迷いそうになると、それに気づくような何かを各々にわかるように事を起こされているように思えるのです。

なんにも心配しなくていいんだなあ・・・
今日のブログの内容でそう思いました。

アジュニャーニ(無知者)は、スシュプティ(深い眠り)の内に長くとどまることは出来ない。彼は自分の性質そのものによって、そこから出てゆかねばならないからである・・・
今のこの状態も、全て神とか仏とか、宇宙の法則と呼ばれる大きな何かの、悟りにいたるための深い愛の計画の中にあるのだと思いました。
2008/07/29(Tue) 08:05 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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