2008年07月26日 (土) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(35)


弟子 シュリ・バガヴァタによれば、
ハートの内にクリシュナを見いだす方法は、

すべてのものの前にひれ伏し、
すべてのものを主御自身とみなすことであると
述べています。

これは自己実現に到る正しい道でしょうか?
心が何に出会おうと、
それをバガヴァンとして拝する方法は、

「私は誰か」という心の問いをとおして、
心を越えたものを求める道よりむずかしいので
はないでしょうか?


マハリシ そうだ。もしあなたがすべてのものの内に
神を見るなら、あなたは神について考えるだろうか、
それとも考えないだろうか。

まわりにすべてに神を見るならば、
あなたは確かに神について考えるに違いない。
心の内に神を見つづけていればディヤーナ(瞑想)に到る。
ディヤーナは実現の前の段階である。

実現のみが自己の内にあることができ、
自己であることができる。

実現は自己と別のものではありえない。
ディヤーナはその前にあるべきものである。

あなたが神をディヤーナしようと自己をディヤーナしようと、
それは重要なことではない。ゴールは同じだからである。

いずれにせよ、あなたは自己を逃れることは出来ない。
あなたはすべてのものの内に神を見たいと望む。
それであなた自身の内には見ないのかね。

すべてが神であるなら、そのすべての内にあなたも含まれ
ているのではないかね。そしてあなたが神であるからには、
すべてが神であるということが不思議なことだろうか。

これがシュリ・バガヴァタその他の聖典ではいつも示され
ている方法である。けれどもその実践のためには、
その神を見る人、あるいは考える人がいるはずである。
その人は誰であろうか。

弟子 すべてに浸透するものである神を、どのようにして
見ますか?

マハリシ 神を見ることは、神であることである。
彼に浸透する神の他に「すべて」というものはない。
彼のみがある。

弟子 ときどきギーター(バガヴァッド・ギーター)を読むべき
でしょうか?

マハリシ いつもがよい。




次回につづく


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不二一元論
やまんばさん「自己と非自己を同一視しないこと」の件が
理解できてよかったですね。

さて、昨日の続きというか「まとめ」を下にしたためてみました。
参考になさってください。


不二一元論、アドヴァイタ(Advaita)は、非二元論とも呼ばれます。

不二一元論は、アートマン(本当の自分、自己の本質)は、
ブラフマン(宇宙の根本原理、究極の実在、あらゆる存在の真髄)と等しい、
という教えです。

エックハルト・トールによると、「大いなる存在」こそが「人間の本質」であり、
「大いなる存在」とは、「死を運命づけられた無数の生命形態を超える、
唯一の不滅の命であり、あらゆる生命の奥深くに、目には見えず、
絶対に滅びることのない本質として、宿っている」ものだといいます。

不二一元論の世界観と対極にある二元的な世界観では、
私たちは、一人ひとり、他とは区別された自我(エゴ)をもっており、
他と区別された自我として自分を認識しています。

二元論は、自己と他者は対立し、分離しているという世界観です。

しかし、自分とは何か、私は誰か、ということを考えていくと、
自分であると思っている自我(エゴ)というものは、自分が属する家族、
社会、カルチャーの中で、他から隔てられた自分を防衛するために
作り出されたものに過ぎないことが分かってきます。

自分の考えや感情が他者から否定されたように感じられたとき、
自分の存在が脅かされたかのように、必死に反論したり、また、
相手を攻撃したりする経験は、誰しもあるでしょう。

これは知らず知らずのうちに、自分の中に起きる思考や感情を
自分と同一視しているのです。

思考は有用なものですが、それを有用な道具として使うことと、
それに振り回されることは違います。

自分を洞察してみると、
過去の苦い失敗した記憶や、好ましい成功した記憶や、
それに伴う感情を何度も何度も心の中で再生したり、

未来の不安を打ち消すため、または、未来の好ましい展望を確認するために、
堂々巡りの思考や、それに伴う正負の感情を繰り返すということを、
ひんぱんに行っています。

これこそが、思考や感情に振り回されていることなんだなと
実感することが出来ます。(いままでの私たちはすべてこれでした)

不二一元論の教えを通して、思考や感情は、本当の自分ではなく、
自我(エゴ)が自身を防衛するために発動しているものに過ぎないということを、
あらためて理解することが出来ます。

自我(エゴ)の奥深くに潜んでいる真我というものを認識しはじめましょう。

自分の思考や感情をじっと見つめる、自分の自我(エゴ)の声をじっと聴く、
ということに注意を払っていくと、真我は既にあるものであることが、直感
されるようになってきます。

しかし、うっかり、そこに至るために思考を巡らすことは、
思考の罠にはまることになりますので要注意です。

思考や感情を、ただ静かに見つめる。静かに耳を傾ける。
という態度を取り続けることではじめて、
それらを超えることが出来るのです。




2008/07/26(Sat) 19:03 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
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