2008年07月25日 (金) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(34)


シュリ・バガヴァンが、丘に登っていってしまわれたのは
夕方の五時ごろだったが、そのとき八歳半の少年がひとり
ホールの中に坐っていた。

師が留守の間、その少年はヨーガとヴェーダンタについて、
聖者の言葉や聖典の言葉を自在に引用しながら純粋で単純
な、タミール語で語った。

シュリ・バガヴァンが、四十五分くらいしてホールに入って
こられると、沈黙だけが支配した。二十分もの間、少年は
シュリ・バガヴァンの現前の内に坐り、ひとこともしゃべら
ずにただ師を凝視(みつ)めていた。

やがて少年の眼から涙が流れた。少年は左手で涙をぬぐうと
しばらくして、自分は自己実現をまだ待ちつづけている、
と言い残してその場を立ち去った。


弟子 あの少年の非凡な素質をどう説明すべきなのでしょうか。

マハリシ 前世の素質が、彼の中ではとても強い。しかしそれが
どんなに強くても、静かさ、静かな心のときを除いては、自身を
現わすことはない。

記憶を蘇らせようとしても、どうしてもうまくゆかない経験は誰で
も持っているが、心が落ちつき静かになると突然に思い出される。

弟子 反抗的な心を静め、落ちつかせるためにはどうすればよいの
でしょうか?

マハリシ その心が消えてしまうよう、心の源を見るか、
その心が打ちのめされてしまうようにあなた自身を放棄しなさい。

自己放棄は自己知識と同じものであり、両方とも必然的に自己制御
を意味している。エゴはより高い力を認めるときにのみ服従する。

弟子 心を落ちつかなくさせる本当の原因と思われるサムサーラ
(輪廻)から、どうすれば私は逃れられるのでしょうか?

マハリシ サムサーラはただあなたの心の内にあるだけである。
世界は「ここに、私、世界がある」と言って宣言などしない。

もしそうであるなら、あなたが眠っている間でさえもあなたにその
存在を感じさせ、世界はいつでもそこに在るだろう。けれども眠りの
中には世界はないのだから、それは一時的なものである。

一時的なものであるから、実体を欠いている。
自己の他には実在はないのだから、
世界は自己に簡単に服従させられられてしまう。

自己ひとりが永遠である。
放棄とは、自己と非自己を同一視しないことである。

自己を非自己と同一視する無知がぬぐわれるならば、
非自己は在ることをやめる。そしてそれが真実の放棄である。

弟子 そのような放棄なくして、執着なしに活動を続ける
ことはできないのでしょうか?

マハリシ アートマ・ジュニャーニ(自己知識者)のみが、
よいカルマヨーギ(仕事をとおして真理を求める者)でありうる。

弟子 バガヴァンはドヴァイタ哲学(二元論者)を非難なさるのですか?

マハリシ ドヴァイタは、あなたが自己と非自己を同一視するときに
のみありつづけることができる。アドヴァイタ(不二一元論)は
非同一視である。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
忘れていました。
ろくろくさん、ありがとうございました。
新聞配達さんのバイクの音がやってきました・・・あれから、一時間も経ったのですね。
2008/07/26(Sat) 04:32 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
まだ夜明け前。
えらく早くに目が覚めました。
ゆうべいただいたトマトをざっくり切り、コーヒーを入れてここに座りました。トマトが甘くておいしいこと!

やまんば、昨日のつまずきがどこで起こったか?ろくろくさんのコメントを読ませていただいて、わかりました。
「自己と非自己を同一視しないこと」
この、非自己の言葉の意味を理解できていなかったのです。
「非自己」とは自分の思考や感情のこと・・・・自分以外の何かの存在と思い、こんがらがっていました。

これなら、すーとつながりました^^。

うれしいです^^。

これも感情ですねえ。非自己ですね。
青空にわく雲。決して青空ではない。
青空は青空。。。雲は雲。


2008/07/26(Sat) 04:25 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
静かであること
悟りには「大悟」と「小悟」があると言われています。
昨日のやまんばさんのは「小悟」と言われるものだと思います。
言葉のうえでわかったことも体を通してわかったことも、
さとりには違いないと思います。

いきなり「大悟」で、ドカ~ンとすべて理解してしまう
ということは、あまり多くはないと思ってください。

悟りの状態そのものは時間を越えているわけですから、
「小悟」を何度か重ねることで「大悟」に至ると表現するのは矛盾
したことになってしまいますが、ありうると思います。

言葉を使って理解しようとするときは、ズレや、誤解や、矛盾は
つきものです。文字面を追うだけではなく、本意は何か?絶えず
洞察していくしかないと思います。それは、今日のラマナ・マハリシ
の文章を理解するうえでも言えることでもあると考えます。

さて、やまんばさんもおっしゃるように、今日の内容を理解するのは
簡単ではないです。どれだけ分かり易くご説明できるかりませんが、
試みてます。

マハリシさんは、「人の行為は来世に影響を与えるのでしょうか?」
の問いに次のように答えています。

「あなたは今これから生まれるのかね。なぜ次の生のことなど考えるのだ。
誕生もなく死もない、これが事実である」

多くの人(マリアさん)が考えているような輪廻はないということです。
つまり客観的な世界というものは存在しない。唯一存在するのは生まれる
ことも、死ぬこともない自己のみがある。

「自己の他に実在はない」 つまり私たちがこの世とか、世界とか呼んで
いるものは実在しない。深く眠ったとき世界を認識できないのは、世界が
実在しないからだ、とマハリシさんはおっしゃっているのです。

ですから「自己ひとりが永遠」 に存在するのです。これを「不二一元論」
ともいいます。


「放棄とは、自己と非自己を同一視しないことである。
自己を非自己と同一視する無知がぬぐわれるならば、
非自己は在ることをやめる。そしてそれが真実の放棄である」

非自己とは、自分の思考や感情のこと。
自分の思考や感情と同一視する無知がぬぐわれるならば、
非自己は存在しなくなる。


「記憶を蘇らせようとしても、どうしてもうまくゆかない・・・・が、
心が落ち着き静かになると突然思い出される」とかかれてある「記憶」は、
前世の記憶のことなのですか?

前世の記憶ともとれますね。しかし自己は不生不滅ですから、これを
どのように解釈すればいいかいまのところわからないです。


あなたの務めはは、在ることであり、
これであったりあれであったりすることではない。
「私は私であるものである」ということが、すべての真理の要諦である。
その方法は「静かであること」に尽きる。

では静寂とは何を意味するのだろうか。それは「あなた自身を打ち壊す」
ことを意味する。


あれ、やまんばは変な質問をしてますね。
理解は時間を越えているはずなのに、
時間の中で考えようとして質問していますね^^^。
あれ?あれ?しどろもどろ

思考と自分を同一視してしまうのは危険ですが、
色々と注意深く考えをめぐらすことは必要です。

また、時間に振り回されることなく、
時間を利用することも出来ます。

ただ静かに、自分の思考や感情を観察しつづけましょう。



2008/07/25(Fri) 20:50 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ありがとうございました
ろくろくさんに誉められて うれしかったです。が、今日の内容はさっぱりわかりません^^^^。やっぱり、言葉のうえでわかったようにおもえても、本当にわかってはいないのですね^^^。

「自己の他に実在はない」
「自己ひとりが永遠」
「放棄」とは自己と非自己を同一視しない・・最後の「不二一元論」にも、自己と非自己を同一視しないと書かれてあります。さっぱりわかりません。

それから、「前世の素質が、彼の中ではとても強い」とかいてあると同時に、「輪廻はただあなたの心の内にあるだけ」ともかかれてある。輪廻はなく、前世の素質というのは、単なる少年の思い込みなのでしょうか????
「記憶を蘇らせようとしても、どうしてもうまくゆかない・・・・が、心が落ち着き静かになると突然思い出される」とかかれてある「記憶」は、前世の記憶のことなのですか?
あれ、やまんばは変な質問をしてますね。理解は時間を越えているはずなのに、時間の中で考えようとして質問していますね^^^。あれ?あれ?しどろもどろ
2008/07/25(Fri) 07:23 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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