2008年07月24日 (木) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(33)


弟子 ときどき、人々や事物がぼやけて、
夢の中でのようにほとんど透明な姿になることが
あります。

そのときは、それらを外側に認識するのではなくて、
その存在を受身に意識しているのです。

もちろんどんな自我をも能動的には意識していません。
心の内に深い静けさがあります。

人が自己の内に突入するのは、
そのようなときなのでしょうか?

それともこれは不健康な状態で、
自己催眠の結果なのでしょうか?


あるいは一時的に生まれ出た平和として、
大いに元気づけられるべきものなのでしょうか?

マハリシ 心の中には、静寂に寄り添って存在する
意識がある。それはまさしく求められるべき状態である。

あなたの質問が、それが自己であると理解されずに、
そこに枠組みを作ってしまったという事実は、その状態が
堅固なものではなく偶然であること示している。

「突入する」という言葉は、外部に向かう傾向にあるときに
適切なものであり、心が内面に向かわねばならぬときには、
外的な現れの下へ「もぐる」という表現が出てくるものである。

静寂が意識を妨げることなく支配しているのに、突入する必要
がどこにあろうか。その状態が自己として自覚されていない
ならば、そうする努力を「突入する」と呼んでもいいかもしれ
ない。

その意味では、あなたの状態は、自覚、あるいは突入に適した
状態と言える。したがって、あなたの終わりの二つの問いは
問題にならない。

弟子 心は、子どもたちへ特別の愛情を持ちつづけています。
それは多分、子供たちの姿がしばしば理想の体現だからでしょう。
どうすればこの偏愛を脱することができるでしょうか?

マハリシ 自己を凝視(みつ)めつづけよ。なぜ子どもたちや子ども
たちへのあなたの反作用のことを考えるのか。

弟子 このたびのティルヴァンナマライへの三度目の訪問は、私の
内のエゴイズムの感覚を強くし、瞑想をむずかしくしてしまった
ように思われます。

これは、たいした問題ではないひとつの通過段階なのでしょうか、
それとも、今後はもうこういう場所は避けるべきだという兆し
なのでしょうか?

マハリシ それは想像上のものである。この場所も他の場所も、
あなたの内にある。そのような想像は、終わりにしなければなら
ない。このような場所は、心の活動性に対しては何もすることは
できない。

あなたを取り囲んでいる環境は、あなたの個人的な選択の結果と
してあるだけでなく、自然のなりゆきとしてそこにあるのだ。

あなたは場所を越えていなくてはならない。
あなた自身を、場所の巻き添えにしてはならない。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
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この記事へのコメント
得ようと努力する必要などない
探さなくても、ここにある
世界の全てが合唱するように生きている

(わたしたちは)夜空の星を一つずつ神様からいただいて
この世に誕生してきたのです

なにごとにも傷つくことのないダイヤモンドのような心が
全ての人の心の中にすでにあるのです

何も心配しなくてもいい。
得ようと努力する必要などないのです
追わなくても すでにここにある・・のです

お母さんの子宮の中にいるような感覚

毎日毎瞬、起こることに 心を巻き添えにしないように 
生きていけばいいのです

たとえ何かのことで真ん丸い心のどこかが欠けた感情を抱いたとしても、
それは想像上のもの
目をつむり、ふるさとに帰る様に、思考のない世界に留まればいいのです



やまんばさん完璧です。その通りです。

さとりの状態というのは時間の概念を越えています。

どういうことかといいますと、
さとりの状態は懸命に努力して得られるものではないということです。
また、さとりの状態というのは時間がたてば得られるものでもない、
ということです。

さとりの状態というのは、なんと、生まれたときからず~とわたしたちの
心の中にあり続けているのです。

ですから、

「何も心配しなくてもいい
得ようと努力する必要などないのです
追わなくても すでにここにある・・のです 」


わたしたちは、ただ気づきさえしたらいいだけなのです。
ただあるがままに見つめ続けさえしたら、
そこはもうさとりの世界です。



2008/07/24(Thu) 18:26 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
あなた自身を巻き添えにしたはならない
あなたを取り囲んでいる環境は、あなたの個人的な選択の結果としてあるだけではなく、自然のなりゆきとしてそこにあるのだ

瞑想はあなたの本性である

「幸せの青い鳥」と同じですね。探さなくても、ここにある。
目を閉じて、呼吸を意識する。
吸って 吐いて 吸って 吐いて 

世界の全てが合唱するように生きている

夜空の星を一つずつ神様からいただいてこの世に誕生してきたのですね。

泣いたり 笑ったり 怒ったりしながら 生きている
でも忘れてはいけないのですね
なにごとにも傷つくことのないダイヤモンドのような心が全ての人の心の中にすでにあるのですね。

自己実現・・・むつかしい言葉ですが 得ようとすれば逃げていくような禅問答のような感覚。

何も心配しなくてもいい。得ようと努力する必要などないのですね。

追わなくても すでにここにある・・のですね
お母さんの子宮の中に戻るような感覚

焦点をいつもそこに定めて、毎日毎瞬起こることに
心を巻き添えにしないように 生きていけばいいのですね。たとえ何かのことで真ん丸い心のどこかが欠けた感情を抱いたとしても、それは想像上のもの。目をつむり、ふるさとに帰る様に、思考のない世界に留まればいいのですね。

2008/07/24(Thu) 08:29 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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