2008年07月07日 (月) | Edit |
H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房より(16)
ここで、ブッダの教えの要点を説明しておこう。
仏教の教義は元来、無味乾燥で規則正しい、
ほとんど機械的な言葉で表現されている。
それぞれの要素はきれいに細分、分類されており、
図式化できるほどである。事実、そのように意図
されたものなのである。
ほとんど文献が存在しなかった当時、知識は師から弟子へ、
覚えやすい方法、つまり口頭で伝えられていた。
ここで、ブッダの教えの要点を説明しておこう。
仏教の教義は元来、無味乾燥で規則正しい、
ほとんど機械的な言葉で表現されている。
それぞれの要素はきれいに細分、分類されており、
図式化できるほどである。事実、そのように意図
されたものなのである。
ほとんど文献が存在しなかった当時、知識は師から弟子へ、
覚えやすい方法、つまり口頭で伝えられていた。
このようにして
〈八つの尊い道〉(八正道)、
〈四つの尊い真理〉(四聖諦)、
〈五つの執着の集まり〉(五取蘊)、
などが教義の核心として今日に伝えられている。
これらは、複雑で抽象的な概念を記憶しやすく、
しかもブッダの教えの本質を損なわずに伝承できるよう
組織する便利な方法である。
ブッダはそのような言葉で、最初の仏弟子となる五人に
話しかけたのであった。
ブッダの哲学の基本は四聖諦である。
そのうち最初の三諦(真理)は、実は簡単な段階的議論であり、
ブッタ自身がかつて、王子の快適な生活から悟りの探究に
進んだ過程と対応している。それは次の通りである。
①人生は苦悩に満ちた〈涙の谷〉である。
病気、老齢、不満、そして死の自覚の故に。
②この苦悩原因は、苦悩をひき起こす俗世への執着、欲望である。
つまり、官能の快楽に対する欲望、いやなことが終わってほしい
という欲望、生き続けたいという欲望などである。
③したがって、苦悩を滅する方法とは、ただ欲望を滅すること
である。
第四諦は、この欲望を除去する方法を明らかにする。
それは仏教徒の修行の中心をなし、八正道あるいは〈中道〉と
呼ばれる。
(注)(四聖諦)
①〈苦諦〉人生は苦であるということに尽きるが、具体的には
〈四苦八苦〉があげられる。生、老、病、死の四苦に愛するものと
別れる苦〈愛別離苦〉、憎いものに会う苦〈怨憎会苦〉、欲しい
ものを得られない苦〈求不得苦〉、そして〈五つの執着の集まり〉
が苦であること〈五取蘊苦〉を加えて八苦になる。
②〈集諦〉苦の原因は欲望である。性欲、生存欲、存在を否定したい
という欲望などがあげられる。
③〈滅諦〉欲望の止滅により、苦は消滅される。苦からの解放とは
〈涅槃〉に他ならない。
④〈道諦〉苦の消滅に導く手段、すなわち〈八正道〉である。
次回につづく
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〈八つの尊い道〉(八正道)、
〈四つの尊い真理〉(四聖諦)、
〈五つの執着の集まり〉(五取蘊)、
などが教義の核心として今日に伝えられている。
これらは、複雑で抽象的な概念を記憶しやすく、
しかもブッダの教えの本質を損なわずに伝承できるよう
組織する便利な方法である。
ブッダはそのような言葉で、最初の仏弟子となる五人に
話しかけたのであった。
ブッダの哲学の基本は四聖諦である。
そのうち最初の三諦(真理)は、実は簡単な段階的議論であり、
ブッタ自身がかつて、王子の快適な生活から悟りの探究に
進んだ過程と対応している。それは次の通りである。
①人生は苦悩に満ちた〈涙の谷〉である。
病気、老齢、不満、そして死の自覚の故に。
②この苦悩原因は、苦悩をひき起こす俗世への執着、欲望である。
つまり、官能の快楽に対する欲望、いやなことが終わってほしい
という欲望、生き続けたいという欲望などである。
③したがって、苦悩を滅する方法とは、ただ欲望を滅すること
である。
第四諦は、この欲望を除去する方法を明らかにする。
それは仏教徒の修行の中心をなし、八正道あるいは〈中道〉と
呼ばれる。
(注)(四聖諦)
①〈苦諦〉人生は苦であるということに尽きるが、具体的には
〈四苦八苦〉があげられる。生、老、病、死の四苦に愛するものと
別れる苦〈愛別離苦〉、憎いものに会う苦〈怨憎会苦〉、欲しい
ものを得られない苦〈求不得苦〉、そして〈五つの執着の集まり〉
が苦であること〈五取蘊苦〉を加えて八苦になる。
②〈集諦〉苦の原因は欲望である。性欲、生存欲、存在を否定したい
という欲望などがあげられる。
③〈滅諦〉欲望の止滅により、苦は消滅される。苦からの解放とは
〈涅槃〉に他ならない。
④〈道諦〉苦の消滅に導く手段、すなわち〈八正道〉である。
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