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2008年06月30日 (月) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(29)


マハリシ ジュニャーニにあっては、サマーディ、眼覚め、
夢のある眠り、深い眠りのそれぞれの状態は、

牛たちが動いている状態、立ち止まっている状態、くびきを
解かれた状態のように通り過ぎてゆき、その乗客は眠っている。

あなたが仕事について出した結論は、アジュニャーニ(無知な人)
の見地からやってくるものである。さもなければ、このような
問いが起こるはずはない。


弟子 もちろんです。こんな問いが自己に起こってくるはずは
ありません。そこに問うべき誰があるでしょう?けれども不幸
なことに、私はいまだ自己を実現してはいません!

マハリシ それこそがあなたの道における障害物である。あなたは、
自分がアジュニャーニであるという考えや、まだ自己を実現して
いないという考えを乗り越えなくてはならない。

あなたは自己である。
これまであなたが自己を知らなかったことがあったかね。

弟子 ですから、私たちは眠りながらおきている試みを……あるいは、
日中の夢みを試みる必要があるのではないでしょうか?

マハリシ (笑う)

弟子 私が言わんとしていることはこうなのです。つまり、自己への
絶えざる「黙想」の結果としてサマーディに入った人の物理的な身体
は、当然動かないものになるでしょう。

それは活動でもあり非活動でもありましょう。黙想の内に確立された
心は、身体の動きや感覚によって影響をうけないばかりでなく、物理
的な活動の前触れである心の乱れにも影響を受けないでしょう。

私はそう考えているのですが、他の人は、物理的な活動は確実に
サマーディすなわち絶えることのない「黙想」を妨げると主張するの
です。バガヴァンのご意見はいかがでしょうか? あなたは私の意見
の生きた証人であられます。

マハリシ あなたたち二人の意見は両方とも正しい。あなたは
サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディについて述べており、もう
一人はケヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディについて述べている。

後者にあっては、心は自己の光に浸されて横たわっており(ところが
同時に、心は深い眠りの中の無知の暗闇に横たわってもいる)、その
主体はサマーディからさめた後には、サマーディと活動性の間に
区別をつける。

ケヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディを実現しようとする人に
とっては、身体や、視覚や、生命力や心の活動性、あるいは対象物
の認識といったもののすべてが障害物となる。

サハジャ・サマーディにあっては、心は自己に溶けて失われてしま
っている。それゆえに、今述べたような差異や障害はここでは存在
しない。

このような状態に入った人の活動性は、眠っている少年の食事の
ようなもので、それを見る人には認知できるが、その本人はなにも
知らない。

動いている牛車の中の眠れる旅人は、心が暗闇に沈んでいるので牛
車の動きについて知らない。

それに反してサハジャ・ジュニャーニは、チダーナンダ(自己の至福)
の恍惚に溶かされていながら心が死んでしまっているゆえに、自分の
身体の活動については何も知らないままでいる。



次回につづく


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ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
「気ままにクラシック」
クラシックをまるで知らない笑福亭笑瓶さんがはちゃめちゃな
質問を浴びせかけ、お嬢様の幸田浩子さんがまじめに答えよう
とするのが毎回面白くてよく聴いています。
で、今朝も「気ままにクラシック」を聞いていたんです。

笑瓶「褒められるのは、好きですか?」

浩子「好きです。え?褒められるのが嫌いな人っていますか?
褒めてって、おねだりすることもあります。」

笑瓶「私は褒められるのが嫌いです。つい何か魂胆があるのやないか
と思ってしまう。」


野球の話で・・・・・・

笑瓶「バッターが、年俸一億円のピッチャーの球を打つのと、年俸百万円
のピッチャーの球を打つのと違うんです。年俸一億円のピッチャーの球の
方が打ちにくい」

浩子「へえ~そうなんですかね~」


笑瓶さんは褒められ、おだてにのって、奢らされたり騙されたりして
いやな体験が沢山あるのでしょうね。

また、年俸百万円のピッチャーの球を打つ時は、はなから舐めてかかれ
るのでしょう。だからたとえ年俸一億円のピッチャーの球よりも、
スピードがあって打ちにくい球でも、打ててしまう。


どちらも「思考の罠」にかかってしまっているのだと思います。
思考の得意技は意見をする、推測をする、判断を下す、比較をする、
文句をいう、好き嫌いをいう、といったことですから、
バッターボックスに立つ前から、もう勝負がついているのです。
また、褒められても、けなされてもそのままを観察すればよいのだと
思います。

※今朝の放送の内容を思い出しながらタイプしましたので、
実際の会話のリライトとは違います。間違っていたらごめんなさい。



『気ままにクラシック』NHK-FM 毎週月曜日午前7:20~9:15
(金曜日午後2:00~ 3:55)

笑福亭笑瓶とソプラノ歌手・幸田浩子が贈る、
おしゃべりとクラシック音楽の気ままなひととき
http://www.nhk.or.jp/kimakura/




2008/06/30(Mon) 23:12 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
感情の嵐が去ったあと
振り返るのがせきのやまの、やまんばさんのようですね。

でも遠からず本当にできるようになると思いますよ。

先ず、自分の中に起きる思考や感情を自分と同一視している
のに気づくことからはじめていけばいいわけです。

やまんばさん(ほとんどの人が同様)の、
「大体感情の嵐が去ったあと、振り返るのがせきのやまです」
というのは、感情の嵐の最中は「無意識状態」だということ
なんです。

「無意識状態」ではまったくコントロールができませんが、
それを意識し気づくことができたら、コントロールすることが
できるようになるのです。


2008/06/30(Mon) 21:04 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
思考と感情
やまんばはゴッチャにして見ているようです。
 
感情が湧き出た時、「いま、この瞬間、私の心で何が起こっているのだろう?」と自問する習慣をつけよう・・・・・とろくろくさんのコメントに書かれてある。
こういうことが「冷静な行為」ということなのでしょうか???
まあ、大体感情の嵐が去ったあと、振り返るのがせきのやまです。これが本当にできるようになると、やまんばの雰囲気は変るでしょうねえ^^。
2008/06/30(Mon) 16:28 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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