2008年06月27日 (金) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(26)


弟子 バガヴァンは昨日、人が「内」なる神の探究に熱中していれば、
「外」なる仕事は自動的になされてゆくだろう、と言われました。
シュリ・チャイタニアの生涯にあってもそのようなことがいわれています。

チャイタニアは弟子たちを教えている間にも、
実は内なるクリシュナ(自己)を求めつづけており、
自分の身体のことはすっかり忘れて、
ただクリシュナのことだけを語りつづけたということです。

このことについて、そんなことをすれば仕事が安全に行なわれるだろうか
という疑問があります。人は、肉体上の仕事に部分的な注意を払うべきで
はないでしょうか?


マハリシ 自己はすべてである。
あなたは自己から離れられるかね。
あるいは、自己なしに仕事が続けられるかね。

自己は宇宙である。
あなたが、仕事に熱中するために自分を引き締めようと引き締めまいと、
すべての行為は続けられている。
仕事はそれ自身において続けられてゆくだろう。

クリシュナはアルジュナに、カウラヴァの人たちと戦って
殺すことについて想い煩う必要はない、と語って聞かせた。

彼らはすでに神によって殺されているのであり、その問題を解決しようと
思い悩む必要はなく、ただより高い力の意志を遂行する自分の自然性の
ままに戦え、と語った。

弟子 しかし私がそれに注意を向けなければ、仕事はうまくゆかない
でしょう。

マハリシ 自己に注意を払うということは、仕事に注意を払うという意味
である。あなたは、あなた自身を身体と同一視しているので、仕事が
あなたによってなされていると考えるのだ。

けれども、身体と仕事を含むその活動性は、自己と別のものではない。
あなたが仕事に注意を払おうと払うまいと、それが何の役に立とう。

ある地点からある地点へ歩くことを考えてみよ。あなたが、歩く一歩一歩
に注意を払わなくても、一定の時間が過ぎればその地点に到着している。
あなたの注意などなしに、歩くという仕事が続けられているのがわかる
だろう。他の仕事もまた同じである。

弟子 それではまるで眠り歩きです。

マハリシ 夢遊病のようだと言うのかね。まったくそのとおりだ。
子どもがぐっすり眠っているとき、母親は食事を与える。子どもは
眼が覚めているときとまったく同じようにたくさん食べる。

しかし次の朝、子どもは母親に言う「お母さん、ぼくはゆうべご飯を
食べなかったよ」と。母親と他の人たちは子どもが食べたのを知って
いるが、彼は食べなかったと言う。彼は眼が覚めていなかったのだが、
行為は行なわれた。



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
今ここに生きる力
見たくない自分がいる。
可能なら消しゴムで消したい自分がいる。
なかなか巧妙な自分がいることにも気づき、
不愉快がっている自分がいる。

機嫌がいいときは自分の領域に邪魔物がないときらしい。
ひとたび、その領域を犯されそうになると、
猿のようにキーキー怒る自分がいる・・・
まあ、あんまりりっぱな人ではない自分がいる^^^^。

しかし、心は単純でおもしろい。
おいしいものを食べたり、誉められたり、
きれいなものに出会うと笑ってる・・・
自動販売機みたいな自分がいる


やまんばさんのコメントはそのままエッセイですね。

このように「自分を客観的にながめている」と「本当の自分」
である「大いなる存在」が自覚できるようになるのですね。


そして、「いま、この瞬間に自分が在る」ときは、
「今ここに生きる力」が働き、落ち着きや洞察力にあふれ、
すべてがスムーズに流れるようです。

しかし、自分を客観的にながめている余裕のないときは、
「あんまりりっぱな人ではない自分」が前面に出ている
時ですから、何故だか自覚がないままトラブルメーカー
になってしまうのです。

これはやまんばさんだけでなくほとんどの人のごく普通の
日常風景です。


また、いま、ここにいて自分を観察しつづけていると、
「今ここに生きる力」The Power of NOW が働いて
次々に問題を解決することができるようになる、といいます。

「いま、ここにいて、自分の思考と感情を客観的にながめる
ことを続けましょう」


「今」に生きるための方法の一つは、
人のいうことに心から耳を傾けることです。

一つ一つの会話を大切にして、
新たな気持ちで相手がどんなことを伝えたいのかを、
「本当に」聞こうとすれば、
あっという間に人生を変えることができます。

エリエール&シーヤ・カーン「今ここに生きる力」より



2008/06/27(Fri) 18:37 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自己は宇宙である
おはようございます。
ろくろくさん、昨日のコメント、ありがとうございます。わかりやすかったです。
「わたしたちはあまりにも長い間、自分の心=思考と一心同体でした」
「思考と感情を客観的にながめる・・ことを続けましょう」
「スケッチのとき・・悟りの心境になっている・・それは感動そのもの」

しかし、心はなんとも忙しい。
「エゴが心の源」・・心の動きをみていると、見たくない自分がいる。(可能なら消しゴムで消したい)自分がいる。なかなか巧妙な自分がいることにも気づき、不愉快がっている自分がいる。機嫌がいいときは自分の領域に邪魔物がないときらしい。ひとたび、その領域を犯されそうになると、猿のようにキーキー怒る自分がいる・・・まあ、あんまりりっぱな人ではない自分がいる^^^^。
しかし、心は単純でおもしろい。
おいしいものを食べたり、誉められたり、きれいなものに出会うと笑ってる・・・自動販売機みたいな自分がいる
        *******
不愉快になったら、おいしいものをたべたり、美しい音楽や、いい香りの中に身をおこう、そして絵を描こう^^。

思考は長続きしないようだ。
目の前の状況で、たえまなく変化している。

2008/06/27(Fri) 07:31 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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