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2008年06月22日 (日) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(21)


5 絶えることのない至福を望まぬ者はないのに、すべての聖者
(ジュニャーニ)がヴァリシュタまで行かないのはなぜでしょうか?

そこには単なる努力や願いによって到りうるものではない。
カルマ(プラーラブダ)がそれを決める。エゴは、第四段階において
すでにその源とともに死滅している。

その上まだ何かを願い、努力をする必要はない。努力している
かぎりは、彼はまだ聖者(ジュニャーニ)ではない。

聖典(シュルティ)はヴァリシュタについて特別扱いをしているが、
他の三段階の人々が無明の人だとは言っていない。


6 ある聖典では、至高の状態にあっては感覚器官と心は完全に
打ち壊されると言っています。それでは、その状態にあっては
身体と感覚による経験がどうして可能なのでしょうか?

もし聖典が言うとおりだとしても、その状態と深い眠りの状態は
同じものにちがいない。あるときには肉体感覚が存在し、あると
きは存在しないなどということは、自然な状態ではありえない。

前にも述べたように、深い眠りに似た感覚も心もない状態は、
ある人々には、その人のカルマ(プラーラブダ)に従って、
しばらくの間か、死ぬまで続くこともありえる。

けれども、それを究極の状態と見なすのは適当ではない。
もしそれを究極の状態だと言うなら、ヴェーダやヴェーダンタ
(ジュニャーナ・グランタス)の聖典を著した偉大な魂たちや
神々は、無明の人だったことになる。

至高の状態が、感覚も心も存在しない状態であり、
それらが存在すれば至高の状態ではないと言うなら、
それは完全な状態(パリプルナム)とは言いがたい。

ただカルマのみが、聖者の活動性と非活動性に影響力を及ぼす。
偉大な魂たちは、サハジャ・ニルヴィカルパ(概念のない自然状態)
のみを究極状態であると述べている。

7 ふつうの眠りと、目覚めた眠り(ジャーグラト・スシュプティ)
の違いは何でしょうか?

ふつうの眠りには、何の想いもなく自覚もない。目覚めた眠りには
自覚だけがある。そのため、眠りながら目覚めていると呼ばれる。
それは、そのうちに自覚のある眠りである。

8 自己が、四番目の段階(トゥリーヤ)とも四番目を越えた段階
(トゥリーヤーティータ)とも呼ばれるのはなぜでしょうか?

トゥリーヤとは四番目を意味する。目が覚めている状態、夢を見なが
ら眠っている状態、深い眠りの状態、この三つはそれぞれヴィスヴァ、
タイジャサ、ブラジュニャーと呼ばれているが、

これら三つの状態を行ったり来たりさまよっている人(ジーヴァ)は、
自己ではない。自己は、これら三つの状態にはなく、それらの状態の
目撃者である。それゆえに四番目(トゥリーヤ)と呼ばれる。

このように呼ばれるのは、今まで述べたことを明確にするためである。
このことが知られると、三つの段階のさまよいは消え、自己がその
目撃者であるという考えも、四番目であるという考えも消える。

これが、自己が四番目の彼方のもの(トゥリーヤーティータ)と
述べられる理由である。



次回につづく


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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
チベットのダライ・ラマ
人間の場合はハイポニカ農法のトマトのようにはいかないでしょうが、
私が以前から注目しているのは、チベットのダライ・ラマです。

ごく平凡な家庭に生まれた少年が、ダライ・ラマ十三世の生まれ変わり
といわれて、チベットで最高の宗教的指導者になるべき人として教育を
受け成長していきます。

これって、いま地球上で考えられる最高のプラス暗示であり、
究極の英才教育だと思いませんか? 

現在のダライ・ラマ十四世が、本当にダライ・ラマ十三世の生まれ変わりか
どうかは別にしても、ある意味、理想的な育て方には違いないわけです。

この世界に類を見ないユニークな「一国の指導者を育てるシステム」が
存亡の危機に立たされているのはとても残念です。


映画「クンドゥン」とても面白かったです。是非ご覧ください。

名匠マーティン・スコセッシが、映画史上初めてダライ・ラマ十四世の
半生にスポットを当てた野心作。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=84907
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5559


2008/06/22(Sun) 19:41 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
悟りとハイポニカ農法
ハイポニカ農法のホームページを開けると・・・
口があんぐり!
驚きました。一本のトマトに鈴なりの完熟トマト。
ストレスのない状態にするとこんなにも見事に育つのですね。
今ここで学んでいるのは「悟る」ということ。曇りなき心の原点への到達への道。
今この瞬間をあるがままに受け入れる・・・その行為そのものがストレスがストレスでなくなることなのですね。
私たちは地球の環境を大きく変えてしまった強欲な愚かな存在でもあるけど、それをはるかに超える知恵の持ち主でもあるのですね。
なんだか、この先希望を持ってもいいかもしれない・・と感じました。
ものごとが単純でなく、複雑に絡んでいくのは、ここに書かれている「各々のカルマ」の存在のようですね。どうやって自分のカルマを見つけたらよいのだろうか?
2008/06/22(Sun) 10:16 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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