2008年06月18日 (水) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (37)


とにかく、いまの医者の言葉でもわかるように、
たいていの病はまず心を強く、第一番に病を
気にしないようにすることはよくわかった。

たしかにそれに違いないが、しかし、
体が悪かった日には、心というものは、
いくら強くしようと思っても強くならないんだな。

頭痛ひとつしたって、腹がひとつ痛んだって、
げんきがなくなるところを見れば、これは大事だ。


この大事な心を強くするには体を強くしなければ駄目だ、
という考えが、いまから五十年前にはあったな。
こういう言葉があった。

「健全な肉体にあらずんば、健全な精神宿る能わず」
よくない言葉だよ。そのよくない言葉が、それ以外の事実を
知らない人間の頭には、もっとはっきり言っちゃうと、

人生に対する論理思索が立体的におこなわれていない人間の
私には、こういう言葉がピシャッと、なんともいえない、
神の啓示のように響くんだよ。

五十年前てェのは野蛮だったね。テレビもなければラジオも
ない。飛行機だって、まっすぐには飛ばなかった時代なんで
すから。

へんなことを話すようだけれども、日本で始めて所沢でもって、
飛行機が二分間とんだのが大正二年。のちに中将になった徳川
さんが大尉の時分です。

これはもう、号外が出ましたよ。号外、号外と言って、腰に鈴
をさげた奴が、あたりにビラ撒いて歩いた。「驚くなかれ。
徳川大尉、滞空じつに二分間。」わあッ、やった。

鳥のように飛んだ。二分間とんで、びっくらこいたのが大正二年。
ねえ、まったく四十五六年前にはそんな状態だった。だから、
五十年前の人間の頭なんて、人生に対して極めて幼稚だった。

それだから、反対事実はちっとも知らない。知らないんじゃない。
考えない。考えないからわからないんだ。

もしも健全な肉体にあらずんば健全な精神やどる能わずならば、
体の丈夫な奴は、みな心が強いはずであります。ところがあにはか
らんや。

運動家や武術家や、あるいは特に相撲取りなんていうものは、みな
体が強い。弱かったら勝負師になれんもの。その体の強い彼らが、
心も体の強さに比例して強いかってェと、あにはからんや。そうじ
ゃない。

特に相撲取りなんてものは、締込(しめこ)みの中に成田山のお札を
入れずに土俵に上る奴は、もうほとんどいない。すると、あの土俵
でもって、ハッケヨイってやっている関取は、実はお守りが相撲を
とっているんだ。

結局、気が弱いから、お守りなんかに頼るんだね。考えてごらんな。
成田山てェのは、木の札に焼印が押してある。あんなもんでもって、
いつも勝ちになるとしたら、おかしいや。




次回につづく


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テーマ:モノの見方、考え方。
ジャンル:心と身体
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