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2008年05月30日 (金) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(18)


1 意識の光とは何でしょうか?

それは、自己発光する存在ー意識であり、
人の内部および外部にある名前と形の世界を
見せる当事者である。

この存在ー意識という存在は、
それによって照らし出される対象物によって
推し測ることができるが、意識の対象物には
ならない。


2 知識(ヴィジュニャーナ)とは何でしょうか?


それは存在ー意識の静まりかえった状態であり、
それを熱望する者によって経験されるものであり、
波ひとつない海のようなものであり、
動かぬエーテルのようなものである。


3 至福とは何でしょうか?

すべての活動性が絶えた知識(ヴィジュニャーナ)の状態に
おける喜びあるいは平和の経験であり、深い眠りに似ている。

これはけヴぁら・ニルヴィカルパ(何の概念もなしに在ること)
とも呼ばれている。


4 至福を越えた状態とはいかなるものでしょうか?

それは、止むことのない心の平和であり、心の完璧な静止状態
において見いだされる。それは、ジャグラット・スシュプティ
(目覚めた眠り)と呼ばれ、非活動の深い眠りに似ている。

この状態にあっては、身体や感覚は活動しているが、お母さんが
食物を与えてもそれに気づかずに眠っているこどものように、
外的な知覚は何もない。

この状態にあるヨーギは、何かやっても何もしてはいない。
この状態はまた、サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ
(知覚を失って自己に溶解した自然状態)と呼ばれる。


5 すべての動きつつあり、また動かぬ世界は、自己自身に
依存していると言われる根拠は何でしょうか?

自己は具現した存在を意味している。あらゆる対象物が経験され
るのは、深い眠りの状態に潜在していたエネルギーが、「私」と
いう意識とともに立ち現れた後のことである。

自己は、すべての知覚の内なる知覚者として存在する。
「私」が不在であれば、見られるべき対象物は何もない。

これらの理由から、すべては自己より出で、
自己に帰ってゆくということが、疑う余地なく言われる。




次回につづく


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ケン・ウィルバーが語るラマナ・マハルシ
ケン・ウィルバー ( Ken Wilber, 1949 -)
アメリカの現代思想家。20以上にも及ぶ著作は世界中の言語に翻訳され、
専門家、一般読者の双方に幅広く読まれています。

ケン・ウィルバーの著書「無境界」は私の愛読書の一つでありますし、
「グレース&グリット:愛と魂の軌跡」をつい最近読み終えたばかり。
現在読書中なのが「ワン・テイスト:ケン・ウィルバーの日記」
といったところです。

ハーバード大学のロバート・キーガン教授は、
「ケン・ウィルバーは国宝である。東洋と西洋の叡智の文献の統合において、
彼ほどの知性と感情の深さと広さをもって取り組んでいる人物はいない」
と絶賛しています。

わたくしも、キーガン教授とまったく同意見です。彼の著書によって
随分と助けられたなあと思います。

前置きが長くなりましたが、ケン・ウィルバーの著書にしばしば登場するのが、
ラマナ・マハルシであります。そこのところを取り上げているブログを見つけ
ましたので、次にご紹介させて頂きます。



三つのステップ [ ジュニャーナ、指摘の教え ]

ラマナ・マハルシは、シャンカラを真似て、絶対的真実をこのように表現する。

世界は錯覚である。
ブラフマンだけがリアルである。
ブラフマンが世界である。

これは、コーザルからノンデュアルへの三つのステップともとれる。
初めの二行が、コーザル。顕現世界を後にし、究極的な意識の実現。
最後の一行が、ノンデュアル。究極的意識は、そのまま顕現世界で
あることが明 らかとなる。 (色即是空、空即是色の別の言い方)

ウィルバーは、この三つのステップを要約して次のように言う。

世界は錯覚である。

「それは、あなたがどんな対象でもないことを意味する。
見ることができるものは、結局のところリアルではない。
あなたはこれでもなく、あれでもない。

どんな状況下でも、あなたは自分の救済を有限の、一時的な、
通過的な、錯覚的な、 苦しみを高め、苦悶を引き起こすような
ものに基づかせるべきではない。」

何を拠り所すべきか。
これは、とても重要な問題である。
いかなる世界、いかなる顕現、対象も、私たちを救ってはくれない。
永続しないものに、自らをゆだねないようにと警告する。

ブラフマンだけがリアルである。

「<自己>、制限できない<ブラフマン・アートマン>、純粋な<観照者>、
輝ける<空> だけがリアルである。
それはあなたの状態、あなたの本性、あなたの本質、あなたの現在そして未来、
あなたの欲望そして運命であり、けれどもそれは純粋な<存在>、単独の
<単独 >として、いつも常に存在している。」

ブラフマンが世界である。

「<空>と<形>は二つではない。
顕現している世界が錯覚であることを認識した後に、
そして<ブラフマン>だけがリアルであることを認識した後に、
<絶対者>と万物が二つではなく、非二元であることを見る。

また、<見る者>と見られる者すべてが二つではなく、
<ブラフマン>と世界が二つではないことを見る。

それらが意味することは、あそこの鳥の泣き声なのだ。
<形>の世界全体は、あなた自身の現在の<無形の自覚>の中にある。
あなたは一口で太平洋を飲み込むことができる。

なぜなら、世界全体は、文字通り、あなたの純粋な<自己>、
常に存在する偉大な<私ー私>の中に存在しているからだ。」

コーザルからノンデュアルへの三つのステップは、絶対者の開示であるが、
それを何か達成する、成就すべきものであるとすると、見誤る。
ラマナ・マハルシの核心のメッセージを要約してウィルバーは言う。

「最も重要なことだが、ラマナは純粋な<自己>、それゆえ、
偉大な<救済>が 、 あなたの足や肺で到達できる範囲内でしか、
達成できないことを教えてくれた。

あなたはすでにこの世界を観照している。

悟りを開いた心あるいは純粋な<自己>は、
今この瞬間に100%存在している。
99%ではなくて、100%である。

ラマナが絶えず指摘したように、<自己>が存在する何かになるならば、
あなたの覚醒が時間の中に起ころうとするならば、
それは単なる別の対象になってしまう。

<自己>に到達することはできない。
<自己>はこのページを読んでいる。
<自己>を探すことはできない。
それは今この瞬間にあなたの目から外を見ている。

あなたは単純に、絶対に、失ったことのないものを達成することはできない。
あなたが何かを達成するならば、ラマナは言うだろう。
それはとても素晴らしい。
しかし、それは<自己>ではないと。」



http://plaza.rakuten.co.jp/onetaste/diary/?ctgy=15



2008/05/30(Fri) 19:01 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
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