2008年05月21日 (水) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (29)


聞いて見ればわけないだろう。
そのわけないことを考えるのに、
天風は頭が小さいから十年もかかった。

とくに、この精神生命の生存に対する条件の
確定に対して、一番、年限がかかった。

なぜ年限がかかったかというと、生存条件は
ご承知のとおり、尊く、強く、正しく、清く
ということ。

これは他の条件が、ああするんだ、こうするんだ
ということがわかっていて、そうしよう、こう
しようと思えばすぐ出来る。


たとえば、心の使い方は精神統一、精神統一は意識明瞭、
ああそうか、やろうと思えばすぐ出来ます。

また、肉体の生存に対する根本条件である、生命生存の
条件に調和する。これも出来ます。調和する方法さえ
わかれば、訓練的に積極化するということも、勇気さえ
あれば、出来ることばかりであります。

けれども、精神生命の生存の根本条件である、尊く強く正しく
清くという言葉は、いくら心がけても、そうしなければならな
いことがわかっていても、いざとなると、そうなり得ない。
私も何年間それで苦しんだかわからない。

あなた方。苦しみませんか。心身統一の条件のなかで、心ある
人なら論理的にはすぐわかる。そのすぐわかる事柄のなかに、
いちばん難しいことが一つあったなァと気がつくでしょう。

しかも、その難しい、おのれの命の心でありながら、いざと
いうときに自分の思うようになしえない心が、何と、何と、
われわれの命の一切を働かす、原動的立場におかれているので
あります。

これをまた、多くの人が気がついていない。つまり、言いかえ
れば心の生命に対する、肉体生命ばかりじゃないよ。生命全体
に対する重大性を、ほんとうに認識している人がすくないので
あります。

おわかりになる筈だがなァ、ということは、この私もわからず
にいた、あわて者の一人だがね。たとえば今夜、あなた方が
ここに来られたのは、肉体が来たんですか。心があなた方を
連れて来たんですか。

おぼろに霞む春の夜に、行って銭をとられて難しい話を聞くよりも、
それだけの銭があれば、銀座へ行ってコーヒーを一ぱい飲んで、
映画が見られらァ。

今日は一つ銀座へ行くべェかと思って家を出たつもりなのに、
はっと気がついたらここへ来ちゃって、受付で金払ってここへ
坐った、という人があったら手を上げて見てください。

そうじゃなかろう。こういうチャンスを与えられたということは、
これは偶然ではない。東京にさえ何百万人と人間のいる中に、
俺がこのチャンスを与えられたということは、結局自己改造の
エポックに違いない。

行かずんばあるべからずという心が、あなた方をここへ坐らせた
んじゃないですか。という端的なことを考えただけでも、ああなる
ほどと、心の重大性がわかるのだが、いざ鎌倉となると、それが
わからなくなっちまう。



次回につづく


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