老化にブレーキがかけられる
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (27)
それもですよ。人間も四十を越してから、
多々ますます弁ずるていに肉体の生きる力が
増加してくれるならともかくとして、
どんなに金があろうと身分があろうと、
四十を越すと細胞の、よろしいか、老化状態
というものが発生して来るんだ。
四十を一つのセクションとして、
老いぼれだすんですよ。
人によって速度は違うけれども、老いぼれだす。
何のために老いぼれだすのか、人生の最後の
ターミナルへ到着せんがためです。
それもですよ。人間も四十を越してから、
多々ますます弁ずるていに肉体の生きる力が
増加してくれるならともかくとして、
どんなに金があろうと身分があろうと、
四十を越すと細胞の、よろしいか、老化状態
というものが発生して来るんだ。
四十を一つのセクションとして、
老いぼれだすんですよ。
人によって速度は違うけれども、老いぼれだす。
何のために老いぼれだすのか、人生の最後の
ターミナルへ到着せんがためです。
人生の最後のターミナルとは、
帰りがけにこの裏へ廻ってごらんなさい。
(この講演は、東京音羽の護国寺でおこなわれたものである)
ターミナルの駅の印が立っている。
あそこへ行くためには、四十を越すと毎日毎日、
だんだんにこの細胞萎縮が始まる。
つまり、身体細胞がだんだんに縮まるんだよ。
夜店で買った風船に息を入れて、そのままにしておくと、
十日、二十日たつうちにだんだんしなびちゃうだろう。
ああいうふうになる。
そんな情けない顔したって駄目だよ。
これは女の人が一番よく知っているわね。
十八、十九、二十くらいのときには、われながら艶っぽい
顔だと思った奴が、三十ともなると目尻に一本。四十とも
なると、五、六本、五十ともなると、もう勘定できない。
そこでだ。どうしても行かずんばあるべからざるターミナルだ。
行くべく余儀なくされているところの、この老化趨勢にブレーキ
をかける。これが訓練的積極化です。
坂を転がる玉を、転がるままに転がすと、落下速度がついて、
どんどん勢いよく転がって行く。その落下の勢いに対する
ブレーキを与えることは、
二度と再び生まれ出てこられない人生を、出来るだけ長生き
させる計画の、いちばん端的な考え方ではないのか。
これが多くの人に怠られていやしませんか。
もう四十を越して贅沢が出来るようになるってェと、
肉体の生活が自堕落な、わがままな、放縦な、
非訓練的な消極的なものになる。
その人の人生の状態にもよるけれども、すこし早い奴は、
四十、五十あたりで神経痛が出て来たり、腰が痛んで来たり、
頭がぼんやりして来たり、
起居に何となく骨が折れて、どっこいしょのしょ、と言わな
ければ立てなかったり、坐れなかったり、自分の生命の、
とくに肉体生命が勢いある状態で現在生きているかいないかは、
自分自身が知っている。
しかもこれは、年齢のせいだというような、惨めなことを
言うなかれ。訓練的に積極化する気持ちになってごらん。
われながら怪しむばかりの強さが、どんどん出て来るから。
たとえば、ちょいと両足でもって駆け出すことですら、
毎日毎日、僅かでも駆けることを怠らずにやっていると、
幾つになっても駆け足しても、息も切れなきゃ心臓も踊ら
ない。
古い会員にきいてごらん。私は二里駆けても三里駆けても
平気だから。
次回につづく
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帰りがけにこの裏へ廻ってごらんなさい。
(この講演は、東京音羽の護国寺でおこなわれたものである)
ターミナルの駅の印が立っている。
あそこへ行くためには、四十を越すと毎日毎日、
だんだんにこの細胞萎縮が始まる。
つまり、身体細胞がだんだんに縮まるんだよ。
夜店で買った風船に息を入れて、そのままにしておくと、
十日、二十日たつうちにだんだんしなびちゃうだろう。
ああいうふうになる。
そんな情けない顔したって駄目だよ。
これは女の人が一番よく知っているわね。
十八、十九、二十くらいのときには、われながら艶っぽい
顔だと思った奴が、三十ともなると目尻に一本。四十とも
なると、五、六本、五十ともなると、もう勘定できない。
そこでだ。どうしても行かずんばあるべからざるターミナルだ。
行くべく余儀なくされているところの、この老化趨勢にブレーキ
をかける。これが訓練的積極化です。
坂を転がる玉を、転がるままに転がすと、落下速度がついて、
どんどん勢いよく転がって行く。その落下の勢いに対する
ブレーキを与えることは、
二度と再び生まれ出てこられない人生を、出来るだけ長生き
させる計画の、いちばん端的な考え方ではないのか。
これが多くの人に怠られていやしませんか。
もう四十を越して贅沢が出来るようになるってェと、
肉体の生活が自堕落な、わがままな、放縦な、
非訓練的な消極的なものになる。
その人の人生の状態にもよるけれども、すこし早い奴は、
四十、五十あたりで神経痛が出て来たり、腰が痛んで来たり、
頭がぼんやりして来たり、
起居に何となく骨が折れて、どっこいしょのしょ、と言わな
ければ立てなかったり、坐れなかったり、自分の生命の、
とくに肉体生命が勢いある状態で現在生きているかいないかは、
自分自身が知っている。
しかもこれは、年齢のせいだというような、惨めなことを
言うなかれ。訓練的に積極化する気持ちになってごらん。
われながら怪しむばかりの強さが、どんどん出て来るから。
たとえば、ちょいと両足でもって駆け出すことですら、
毎日毎日、僅かでも駆けることを怠らずにやっていると、
幾つになっても駆け足しても、息も切れなきゃ心臓も踊ら
ない。
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平気だから。
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ジャンル : 心と身体





