2008年05月18日 (日) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (26)


そんな怒った顔して睨めたって駄目ですよ。
私は四十何年間、毎晩こういうところに立って、

パッと一目見ると、ああ、いまこの人間、
何を考えているかということがわかるくらいの
能力を持っているんだからね。

私だけはこうだ。清くて強くて正しいという顔
をしたって駄目だ。顔つきだけそうしているだけ
の話なんだから。


それともあれですか。私が言い過ぎだったかな。
天風さん、あんまり威張りなさんな。あなた自分で
傲慢な自惚れだと言っているのが、鼻の先に出ているぜ。

私なんか毎日毎日、自分の心の状態にひざまずきたく
なるようなことばかりだと言いたかろうけれどもね。
いままでに一ぺんでもそういうことはないでしょう。

あとから後悔することばかり。あのときは何も、ああまで
怒ることはなかったんだ、とか、あのときはもう少し親切
にしてやればよかったとか、あとから考えている。

さて、私ごときはさておき、
さらに肉体の生存に対する自然法則に順応するとは、
どういうことをするのかというと、生命存在の条件に調和
する、これを怠ってはならない。

あなた方がご存じないだけで、生命には生命存在の条件と
いうのがあるんだ。それにちゃんと調和して生きさえすれば、
どんなことがあろうとも、寿命の来るまでは、自分でも
びっくりするような強健さで生きていかれるのだ。

それから、生活に対する可能率を促進するところの精神生命
は、これはたいていの人が知っているでしょう。
コンセントレーション。

日本語で言えば、いかなる場合にも精神を統一して生活する。
これが精神生活に対する侵すべからざる根本条件です。

肉体生活の方は、これはまた、多くの人の気のついていない
ところですが、どんな場合にも、つねに訓練的に積極化する。

これがあべこべになっちゃってるんだ、いまの世の中の人は。
とくに訓練的に積極化する必要にせまられているのは、
四十を過ぎてからです。

いまの人は、若い中だけが訓練的に積極化するときだと思って
いる。若いときに訓練的に積極化することは、その余りの余力
をもって、四十を越したのちの生命にも、

それをアピールして行くというつもりでもって、若いうちに
うんと、肉体に対する訓練を与えておくのであります。

それが四十を越して、金も出来る、地位も出来る。いままで、
自分のことは自分でしなければならなかったような身分の人間
でも、今度は人を使ってからに、ぜいたくな生活が出来るよう
になるってェと、

訓練的に積極化するどころか、非訓練的な、消極的な生活を
おこなくことになる。横のものを縦にもしやァがらねェ。




次回につづく


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