2008年05月17日 (土) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (25)


いずれにしても、その生命に対してわれわれが
考えなければならない、おろそかに出来ない認識
というものは、

生存に対する条件と、生活に対する条件と、
この二つのものがあるということです。

そこで、どっちが大切かというと、
生存に対する条件の方を正しく実行に移さないと、
生活に対する条件は相対的なものであって、

絶対的なものではないのであります。


これがあなた方にはあべこべに考えられている。

生活に対する条件の方が絶対的で、
生存に対する条件の方が相対的だという考え方が、
ほとんどたいていの人の頭の中に常識となっている。

これが人生というものを正しくキャッチすることの
出来ない、盲点なんです。

そこで、精神生命に対しても肉体生命に対しても、
生存も生活も、条件というものは一つの規格をもって
いる。

その規格は何だというと、生存に対する条件は、
それが精神生命であろうと肉体生命であろうと、
どんな事情があっても、自然法則に順応せしめ
なければならないのであります。

肉体生命だから自然法則に順応せしめ、
精神生命だから自然法則に順応せしめないでもいい、
というわけにはいかない。

なぜかならば、自然界に生じたものは、
どんなものであろうと、自然物であります。

よし、われわれが万物の霊長たる人間でありましても、
自然物なんであります。従って、自然界に生まれたものは、
そこに峻厳侵すべからざる法則がある。

その法則にあくまでも順応しないかぎりは、
その生存を確保することは出来ないのであります。

国に法律がある。侵せば必ず、身分のいかんを問わず罰せ
られる。人間同士の作った一つの法律と名づけられるもの
でさえ、そこに、そういうコンペンセーション(つぐない)
がある。

これはどういうことか。
肉体生命の生存に対する自然法則に順応するということは、
どういうことかということから先に言って置こう。

やさしいでしょう、聞いていて。
やさしく説明することに、私は十年かかったのだ。だから、
阿呆な奴だと思いながら、聞きなさい。

生存に対する精神生命の、自然法則に順応するという状態は、
終始一貫、いかなる場合があろうとも、その精神の精神状態を
積極的であらしめなければならないのであります。

そして、この積極的というのはどういうことかというと、
どんな場合にも、尊く強く正しく清く生きることなんで
あります。その反対が消極的という。

そう言ってもわからなかったら、あなた方が生きている、
おおむね、多くの場合の心の状態が、あなた方の毎日の
人生に生きる場合の、心の生存の態度じゃァないですか。



次回につづく


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