2008年05月16日 (金) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (24)


とにかく、世間にないものを、
いままさに聞こうとせられるこの幸福というのが、
聞けばわけないことです。

わからない間は五里霧中。
そのわからなかったことも、
三段論法的な理解でわからせられると、

わからなかった世界から突然明るい世界に出たせつな、
困難だとわかったことが困難ではなくなります。


しかし、そのときは、戒むべき大きな問題は、
労せずして得たものは失い易い、ということであります。

私のように、長年のあいだ、自分の病苦と闘いながら、
世界の三分の二を遍歴して、こういうことを研究して
歩いたという苦心を経験したものは、

わずかなものでも自分の知識の中にはいったものを、
非常に価値高く考えますけれども、フワーッと昨晩ここに
来て、フワーッと来たのではないにしても、

来ていきなり二日目か三日目にこういう話を聞かされると、
ものの尊さを正しく認識することができない。
豚に真珠を与えたと同じ現象事実が出来る。

豚でなくたって鶏でもいい。犬でもいい。真珠でもダイヤ
モンドでもやってごらん。どんなに飼い馴らされたセパード
でも、

奥さんが惜し気もなく二カラットくらいの指輪をやったとしても、
「ああ、有難い、これ、さっそく質屋へ持って行って食い物に変え
よう。」なんて言わないから。

聞かないうちが楽しみだ。聞いてしまえば、なんだ、そんなこって、
心身統一ができるのかい、と思うようなやさしいことなんだ。
それを私は十年以上もかかって考え出した。

こういうと、「そうだろうな。きのうからじっとお前の顔を見て
いると、あれ、大人の頭かい、と思うほど、お前の頭は小さいな。
あの中に人間の普通の知恵、分別があるのかと思って不思議に
思ったんだが、

お前なら十年以上もかかるだろう。俺なら二日目にわかっちまわァ、」
と言うだろう。あなた方は聞いてわかる。聞いてわからなかったら、
大べらぼうよ。

それでは、心身統一に対するファンデーションを申し上げよう。
これがわからないと、心身統一というものが正しくある、スタティック
なもので組立てられない。

ここで、まず第一番に考えなければならないことは、われわれの命と
いうものは、肉体生命であろうと精神生命であろうと、そういう言葉
で表現しなければならないのが、現代の人々にとっては気の毒なこと
だと思う。

これで、いまに百年も経ったら、われわれの生命は、という言葉と
同時に、その生命の中に肉体生命と精神生命とがあることを、
無意識的に、パッと感じるでしょうけれども、

いまの人々には特別に、肉体生命であれ、精神生命であれ、
と蛇足を加えないと、正しい理解がゆかない。




次回につづく


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