2008年05月11日 (日) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (79)


表題の字を読者は何と読まれただろうか。
「きずな」と読まれたことだろう。

親子の絆を大切にしようなどというときに
用いられる。しかし、これは平安時代の物語
などを読むと「ほだし」と読まれ、

それは馬の足にからませて歩けないようにする
綱を意味し、出家して仏門に帰依したいときに、

親子の情などの「ほだし」が邪魔になる、
という意味に用いられているのである。


青年期に人間が自立しようとするとき、
親子関係などは「ほだし」として意識される
のではないだろうか。

かと言って、親子の「きずな」が弱いほど
人間は自立しやすいと言えないところに
人間関係の面白さがある。

十分な「きずな」の存在を前提としつつ、
それを「ほだし」と感じて青年は努力する。

その逆説とバランスの間で、
一人前の成人が誕生してくるのである。

人間の死を最後の「自立」の完成の機会として
把えるときも、この「きずな」と「ほだし」の
関係は意味深いものとなるであろう。

老人の生を支える「きずな」の存在のなかで、
それを「ほだし」として把える老人に「自立」
への志向があるとき、

老人と周囲の人たちの「絆」の意味が深められて
ゆくのではなかろうか。

絆を「きずな」として一方的に肯定するだけではなく、
「ほだし」としてみる態度をもってこそ、老いや死を
意味あるものとして迎えられることだろう。




次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
ウイット???
やまんば、本気で心配しました。
ごめんなさい。
2008/05/11(Sun) 10:32 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
唐変木
あのねえ~
私はやまんばさんの疑問を考えていて
朝になったらあっそうか「砂の女」の水は
愛のことではないのかなと思ったのです。

ですから今朝のやまんばさんのコメントにある
ような「愛とは何か」についてのおはなしでは、
ありません。

あなたのおっしゃりようではまるで、
ろくろくは学習能力のまるでない、
ばかで、まぬけで、愛のあの字もわからない
気のきかない、物分かりの悪い、唐変木みたいでは
ないですか。

もっともろくろくは、気のきかない、物分かりの悪い、
唐変木なんですけどね~それはともかく

あなたの疑問に一晩考えてお答えしたのですから先ずは、

「ありがとうございます。「砂の女」の「水」は「愛」
というとらえかた。なるほどと思いました。」

とか前置きしてから、最近私は愛についてこんなフウに
考えるようになりました・・・・・・・・


それとやまんばさんの喉に引っかかった魚の骨は、
「砂の女」的な解釈をすればこうなるのかなあ~
と思ったのでウイットのつもり書きました。

もうちょっと相手のことも考えていただかないと
立場がなくなります。というか怖くてなにも書けなく
なります。



2008/05/11(Sun) 09:31 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
あれっ?昨日のろくろくさんのコメント。やまんばはびっくりしましたよ。ここで何度も自分とは何かを教えていただいたところ、愛は探すものではなくて、今ここにあるんだと気がつきました^^。自分とは?愛とは?・・・雲ひとつない青空なんだわ。自分っていうのは十二単衣のようにいろんな思い込みを脱ぎ捨てていくと、最後にさらっぴんの赤ちゃんが出てくるんだわ。「無」なんだわ!
なんでもなくて、なんでもある!
「愛」「自由」「無」呼び方がちがうだけなんだわ!かはかは^^。むつかしく考えすぎていたんだとおもいました。愛とは何?なんて問わなくてもいいんだ。私たちがいる・・そのものが愛なんだとわかりましたよ。愛が洋服を着て歩いてる。どこにある?どこにある?とさまよいながら、愛はさみしく悲しく放浪しているのだわ^^。
やまんばが居て、どこかにろくろくさんやみなさんが居られる。その間には愛があるんだわ。「完全な愛」は赤ちゃん同志になったとき現れるんですね。人間関係のすべての間に愛は存在するのですね。人間関係ばかりではなく、森羅万象がもう愛そのものなんだわ。ここからここまでなんて線引きできない。溢れるものを、使わないないてもったいない!もったいない!
いかかでしょうか?
心を開く・・・赤ちゃんのような心になればいいんだ
       赤ちゃんは憎しみや苦しみが何かも知らない。未来も過去もない、ただ今と戯れているだけ。不快だったら、顔をしかめ泣く。快だったら、笑顔になり、声をだして笑っている。・・・どうやって生きていくと良いのか?わからなくなったら、赤ちゃんをみたらいいのですね。
いろんな人生を送り大人になる技術を学び、最後の仕上げは赤ちゃんの心を取り戻す。そうやってはじめて人間として、完全になるのだと、やまんばはここで毎日学んで、そう思うようになりました。

2008/05/11(Sun) 07:45 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック