霊的な教え(1) …… 教え(ウパデーシャ)
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(8)
1 本当の師(グル・サットグル)の特徴はなんでしょうか?
自己の内にしっかりと定住していること、
すべての事柄を平等の目で見ること、
いつでもどこでも、そしてどんな環境にあっても、
揺るぎない勇気を持っていること、などである。
2 最も熱心な弟子(サットシシャ)の特徴はどんなものでしょうか?
悲しみをぬぐい去って歓喜に至ることを激しく願い、
すべての種類の世俗の楽しみを激しく捨て去った者である。
3 教え(ウパデーシャ)とはどのようなことなのでしょうか?
教え(ウパデーシャ)という言葉は、
「場所あるいは席の近くにある」という意味を持っている。
ウパは「近くに」、デーシャは「場所」または「席」を意味する。
サット-チット-アーナンダ(存在-意識-幸福)という三語一体が
指し示しているものが、肉体の姿をとって現れたものがグルである。
弟子は、感覚の対象物にとらわれて自分自身の真実の性質から
はぐれ、喜びと悲しみに打ちのめされて苦しんでいる。
グルは弟子を自分の近くに引き寄せ、彼がそのような苦しみに
沈むのを防ぎ、彼の真実の本性の内に、彼自身をあますところなく
確立するよう導くものである。
ウパデーシャとはまた、遠い対象物を間近に示すことをも意味する。
弟子が、遥か彼方のものであり自分とは関係ないものと信じこんで
いるブラフマンは、すぐ、近くにあるものであり、彼自身に
ほかならぬことが、教えられる。
4 グルは弟子自身の自己(アートマン)である、と言われているのが
真実ならば、弟子がどんなに学び、いかなる神秘力を獲得しようとも、
グルの恵みなしには自己実現(アートマ・シッディ)に至ることはない
と言われているのは、どのような原理にもとづくものなのでしょうか?
絶対真理の中では、グルの状態はすなわち弟子の状態である。
けれども、無知ゆえに個人の人格になってしまっている自己には、
グルの恵みなしにその真実の状態あるいは本性を実現することは、
大変にむずかしい。
すべての心の問題は、真実のグルがただそこにいるというだけで制御
される。もし弟子が、自分は学問の大海の向こう岸に至ったと傲慢に
宣言したり、自分はほとんど不可能なことを行うことができると宣言
すれば、グルは彼に尋ねるだろう、
「よろしい。お前は学ぶべきことのすべてを学び終えた。それでお前は
自分自身を知ることを学んだのかね。不可能に近いことをよくなしうる
というお前は、おまえ自身の自己を見たのかね。」
そうすると彼らは頭を垂れて恥ずかしげに沈黙するだろう。このように、
ただグルの恵みによってのみ、自己自身を知りうることが明らかである。
5 グルの恵みのしるしは何でしょうか?
それは言葉や想いを越えたものである。
6 そうだとすれば、グルの恵みによって弟子は真実の状態を悟る、
と言われているのはどういうことなのでしょうか?
それは、夢の中でライオンを見て目を覚ます象のようなものだ。
夢の中でライオンを見ただけで、象が眼を覚ますように、
弟子はグルの恵み深い眼差しを受けて、
無知の眠りの中から真実の知識の目覚めへと眼を覚ます。
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1 本当の師(グル・サットグル)の特徴はなんでしょうか?
自己の内にしっかりと定住していること、
すべての事柄を平等の目で見ること、
いつでもどこでも、そしてどんな環境にあっても、
揺るぎない勇気を持っていること、などである。
2 最も熱心な弟子(サットシシャ)の特徴はどんなものでしょうか?
悲しみをぬぐい去って歓喜に至ることを激しく願い、
すべての種類の世俗の楽しみを激しく捨て去った者である。
3 教え(ウパデーシャ)とはどのようなことなのでしょうか?
教え(ウパデーシャ)という言葉は、
「場所あるいは席の近くにある」という意味を持っている。
ウパは「近くに」、デーシャは「場所」または「席」を意味する。
サット-チット-アーナンダ(存在-意識-幸福)という三語一体が
指し示しているものが、肉体の姿をとって現れたものがグルである。
弟子は、感覚の対象物にとらわれて自分自身の真実の性質から
はぐれ、喜びと悲しみに打ちのめされて苦しんでいる。
グルは弟子を自分の近くに引き寄せ、彼がそのような苦しみに
沈むのを防ぎ、彼の真実の本性の内に、彼自身をあますところなく
確立するよう導くものである。
ウパデーシャとはまた、遠い対象物を間近に示すことをも意味する。
弟子が、遥か彼方のものであり自分とは関係ないものと信じこんで
いるブラフマンは、すぐ、近くにあるものであり、彼自身に
ほかならぬことが、教えられる。
4 グルは弟子自身の自己(アートマン)である、と言われているのが
真実ならば、弟子がどんなに学び、いかなる神秘力を獲得しようとも、
グルの恵みなしには自己実現(アートマ・シッディ)に至ることはない
と言われているのは、どのような原理にもとづくものなのでしょうか?
絶対真理の中では、グルの状態はすなわち弟子の状態である。
けれども、無知ゆえに個人の人格になってしまっている自己には、
グルの恵みなしにその真実の状態あるいは本性を実現することは、
大変にむずかしい。
すべての心の問題は、真実のグルがただそこにいるというだけで制御
される。もし弟子が、自分は学問の大海の向こう岸に至ったと傲慢に
宣言したり、自分はほとんど不可能なことを行うことができると宣言
すれば、グルは彼に尋ねるだろう、
「よろしい。お前は学ぶべきことのすべてを学び終えた。それでお前は
自分自身を知ることを学んだのかね。不可能に近いことをよくなしうる
というお前は、おまえ自身の自己を見たのかね。」
そうすると彼らは頭を垂れて恥ずかしげに沈黙するだろう。このように、
ただグルの恵みによってのみ、自己自身を知りうることが明らかである。
5 グルの恵みのしるしは何でしょうか?
それは言葉や想いを越えたものである。
6 そうだとすれば、グルの恵みによって弟子は真実の状態を悟る、
と言われているのはどういうことなのでしょうか?
それは、夢の中でライオンを見て目を覚ます象のようなものだ。
夢の中でライオンを見ただけで、象が眼を覚ますように、
弟子はグルの恵み深い眼差しを受けて、
無知の眠りの中から真実の知識の目覚めへと眼を覚ます。
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2008-04-30 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
Comment
試験の前の一夜漬け
2008-04-30 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
ラマナ・マハリシの教え
こうして毎日読ませていただいて、感謝です。
本当にろくろくさんのお陰です。ありがとうございます。
昨日の内容の中では
自己は五つの覆いの内側にあるが、書物はその外にある。自己は五つの覆いをはぎ取ることによって探求されるべきもの・・。やがて、彼が勉強したすべてのことを、忘れ去らなくてはならないときが来るだろう。
心を静めるために
人はただ、自分自身の内に自己とは何かと問い続けるべきである。
今日の内容では、次の言葉が印象に残りました。
*本当の師の特徴
自己のうちにしっかりと安住していること。
すべての事柄を平等の目で見ること。
いつでもどこでも、そしてどんな環境にあっても、揺るぎない勇気を持っていること。
*最も熱心な弟子とは
悲しみをぬぐい去って歓喜にいたることを激しく願い、すべての種類の世俗の楽しみを激しく捨て去った者。
絶対真理の中では、グルの状態はすなわち弟子の状態である。無知ゆえに個人の人格になってしまっている自己には、グルの恵みなしにその真実の状態あるいは本性を実現することはたいへんむつかしい。
そして最後に「今日の言葉」
{包帯を巻いてやれないのなら 他人の傷にふれてはならない}
あまりにも多くの智慧がつまっている言葉にふれるので、やまんばの頭は試験の前の一夜漬けみたいな状態です^^。
本当にろくろくさんのお陰です。ありがとうございます。
昨日の内容の中では
自己は五つの覆いの内側にあるが、書物はその外にある。自己は五つの覆いをはぎ取ることによって探求されるべきもの・・。やがて、彼が勉強したすべてのことを、忘れ去らなくてはならないときが来るだろう。
心を静めるために
人はただ、自分自身の内に自己とは何かと問い続けるべきである。
今日の内容では、次の言葉が印象に残りました。
*本当の師の特徴
自己のうちにしっかりと安住していること。
すべての事柄を平等の目で見ること。
いつでもどこでも、そしてどんな環境にあっても、揺るぎない勇気を持っていること。
*最も熱心な弟子とは
悲しみをぬぐい去って歓喜にいたることを激しく願い、すべての種類の世俗の楽しみを激しく捨て去った者。
絶対真理の中では、グルの状態はすなわち弟子の状態である。無知ゆえに個人の人格になってしまっている自己には、グルの恵みなしにその真実の状態あるいは本性を実現することはたいへんむつかしい。
そして最後に「今日の言葉」
{包帯を巻いてやれないのなら 他人の傷にふれてはならない}
あまりにも多くの智慧がつまっている言葉にふれるので、やまんばの頭は試験の前の一夜漬けみたいな状態です^^。
2008-04-30 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
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試験の前の一夜漬けみたいな状態というのは、
十分に身についていない知識、といった感じ
なんですね。とてもよくわかります。
あまりに沢山の興味深い言葉が
次々に出てきて、じっくり学ぶ間もなく
また次の言葉に出会う。
すみませんですね。ラマナ・マハリシ老師は
もったいぶることもなく、真っ向からストレートに
投げ込んできて下さいますから、有難いことです。
理解できない所もありますが、
しっかり吸収していきたいものです。
「包帯を巻いてやれないのなら 他人の傷にふれてはならない」
は、あさのあつこさんの小説「ガールズ・ブルー」でも感じた
ことでした。