2008年04月25日 (金) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(3)


11 「私は誰か」という想いをつねに持ちつづけるには、
どうしたらいいでしょうか?

他の想いが起こってきたときに、その思いを追いかけることをやめ
「その想いは誰に起こってきたのか」と尋ねるべきである。

どんな想いが起ころうとかまいはしない。
想いが起こるたびに「その想いは誰に起こってきたのか」
と勤勉に問いつづければよい。

その問いに対する回答は「私に」であるに決まっている。
そこで、その「私は誰か」と問えば、心は源へ引き戻され、
現れ出た想いは静かになるだろう。


この方法をくり返し実修することにより、
こころはその源にとどまる術を見いだすだろう。

微細なものである心が、頭脳や感覚器官をとおして外部へ出ると、
粗大なものである名前や形が立ち現れる。心がハートの内に
とどまっていれば、名前や形は消えてしまう。

心を外に出て行かせず、「内在性」――アンタール・ムカと呼ばれ
ているハートの内にとどめておきなさい。

心をハートから出してしまうことは「外向性」――パピール・ムカ
と呼ばれている。

このように、心がハートの内にとどまっているときには、
すべての想いの源である「私」は去り、常在の自己が輝くだろう。

人が何をするにしても、「私」というエゴ性なしにそれをしなければ
ならない。すべてのことをそのように行えば、すべてはシヴァ(神)
の本性として現れるだろう。


12 心を静かにするその他の方法はないでしょうか?

問う以外に適当な方法はない。他の方法によって心を静めても、
心は静められたものとして現れ、力を増して前面に出てくるだろう。

例えば、呼吸の制御によって心は静められるが、
それは呼吸が制御されている間だけのことであり、
呼吸が元に戻れば心は再び活動を始め、

潜在しているさまざまな印象に衝き動かされてさまよい歩くだろう。
心も呼吸も、その源は同じものである。想いとは、実に心の本性である。

「私」という想いが、心の最初の想いであり、それがエゴ性である。
エゴ性が生まれ出る同じ場所から呼吸も生まれてくる。

それゆえに、心が静かになれば呼吸も制御され、
呼吸が制御されれば心も静かになる。

けれども深い眠りの中では、心は静かになっているものの、
呼吸は停止してはいない。これは、身体が保持されてあるよう、
また他者が見て、その人が死んでしまったと思いこまないようにとの、
神の意志によるものである。

目が覚めている状態およびサマーディ(三昧)にあっては、
心が静まっていれば呼吸も制御されている。
呼吸は心の粗大な姿である。

死のときまでは、心は身体内に呼吸を保つ。
身体が死ねば、心は呼吸とともに出てゆく。

それゆえに、呼吸制御の実習は、心に静かさを取り戻すための
方法、すなわちマノニグラハであって、心を消滅させる方法、
マノナーシャではない。

呼吸制御の実習と同じく、神の姿を瞑想すること、
マントラを唱えつづけること、断食その他の実習は、
心に静かさを取り戻すための方法にすぎない。

神の姿を瞑想することや、
マントラを唱えつづけることによって、
心は一点に集中される。

心はつねにさまよいつづけるものではあるが、
鼻を鎖でつながれた象が他のものは何もつかまえられないように、
神の御名や姿に満たされていれば他の対象には動かない。

数知れぬ想いへと心が拡散しているときは、
そのひとつひとつの想いは弱いものとなる。
それが消えてしまうと心は一点に集中され、強いものになる。

そのような心にとって自己を問うことは容易である。
これまで述べてきたいろいろな方法の中では、
適当な量の清らかな食物を摂るという方法が最上である。

これを実践することによって心の清らかさが増し、
自己を尋ねる助けになってくれる。



次回につづく


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テーマ:仏教・佛教
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
心を静かにする方法
ラマナ・マハリシ老師は、心を静かにする方法で
ベストなのは「私は誰か」と問うことである、という。

そして限定的だが、
「呼吸が制御されれば心も静かになる」
と語っている。

「呼吸制御の実習は、心に静かさを取り戻すための
方法であって、心を消滅させる方法ではない。」

面接試験とかスポーツの試合とか舞台に立つときとか
心を静かにする必要があるときは活用したいですね。


息を吸って 私はしずか
息を吐いて 私は微笑む


2008/04/25(Fri) 20:38 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
「静かであること」に尽きる
あなたの務めはは、在ることであり、
これであったりあれであったりすることではない。

「私は私であるものである」ということが、
すべての真理の要諦である。

その方法は「静かであること」に尽きる。

では静寂とは何を意味するのだろうか。
それは「あなた自身を打ち壊す」ことを意味する。

なぜなら、すべての名前と形が困難の原因だからである。
「私-私」が自己である。
「私はこれこれである」というのがエゴである。

「私」が「私」のみを保ちつづけるとき、
それは自己である。

それが突然に脇道にそれて
「私はこれであり、あれであり、これこれである」
と言うとき、それはエゴである。


ラマナ・マハリシの言葉より


2008/04/25(Fri) 20:37 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
具体的方法
想いとは実に心の本性・・ここで何度も教えていただいたから、やまんばのような年になると。すぐ忘れるので、ありがたいです^^。
いつも心を見守っていると、空の雲のように想いの流れが見えやすくなってくるようです。つらいことがあると、その流れの様子をみるのがむつかしい。けれど、辛抱強く解明していくと、その中心(我)が見えてきて、今後の心の持ちようの参考になることがあります。やまんばの経験では、辛いことは自分の欲深さからおこることが多く(欲の深さの度合い=辛さの度合い)相手の立場をおもいやり、幸せを願う気持ちをすっかり忘れていたことが多かったです^^。呼吸や適当な清らかな食べ物に関しては以後もう少し意識していきたいです。
ろくろくさん、私のコメントが少なかった理由は、ろくろくさんのコメントが冴えていて、興味深く、聞いていたいと思ったからです^^。引き続きよろしくお願いいたします。毎日楽しみにしています。
2008/04/25(Fri) 09:01 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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