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2008年04月12日 (土) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (70)


67に紹介した、山折哲雄『臨死の思想』
(人文書院)に、次のようなことが述べられている。

山折さんがインドで有名なマザー・テレサに
会われたときの話である。

待っていると彼女が来られるが、
「ちょっと離れたところからコツコツという
ハイヒールの音を立てて、テレサさんが
やってまいりました。


非常に快活で、速いテンポの歩き方に私は驚きました。
入ってこられるのを見て、さらに驚きました。

身のこなしが非常に軽やかで力強く、若々しい人です」
ということである。彼女はおそらく七十歳以上であろう。

このようなマザー・テレサの姿に接して、
山折さんは一般に聖者とか悟りを開いた人というと、
「どうも静かで不動の聖者というイメージ」が強いのだが、

むしろ「本当の聖者というのは、活動的で快活な人間では
ないのか」と考える。確かにこれは大切なことである。

ところで、山折さんはマザー・テレサに会って、
死を看取る仕事をしていて思いどおりにゆかぬときや、
苦しいときはどうするのかと尋ねられ、

彼女はそれに答えて「祈ります」と言い、
夜の間眠らずに祈り続けることさえあると答えられる。

この祈りの姿は、
先に述べた活動的で快活な姿とは逆に、
まったくの「静」の姿と言っていいだろう。

静と動との共存とバランスこそが、
聖者の姿としてふさわしいものと感じられるのである。




次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
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この記事へのコメント
マザー・テレサ
インドのカルカッタに設立された「神の愛の宣教者会」の目的は
「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、
必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰から
もケアされない人のために働く」ことであるという。


私たちが「あまり相手にしたくない人たち」ばかりを救い続けた
のがマザー・テレサさんだったんですね。



この世で最大の不幸は、“自分は誰からも必要とされていない”
と感じる事。

ノーベル平和賞受賞の際のインタビューで
「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」の問いに、
「帰って家族を大切にしてあげて下さい」とマザー・テレサは答えた。


晩年、神の沈黙と不在に絶望し、孤独に苛まれていた事が、
死後公開された書籍内容によって明らかになった。


2008/04/12(Sat) 20:14 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
静と動
やまんばが尊敬しているある人のことです。

顔はいつも柔らかな表情ですが、何を考えておられるのか?頭がよいのやら悪いのやら、いい人なのか悪い人なのか?なかなか感情が掴みにくい人なのですが、行動を起こすときがすばやく、しかも弓で的を射るが如く的確なのです。・・・参ります。
いつもただ者ではないなあと呆れるやら、尊敬するやら^^^^
でも、そのような人は目覚めて生きている人。この世の価値に惑わされない人だと、心から思います。
2008/04/12(Sat) 06:56 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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