2008年04月11日 (金) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (69)


老人の性を考えることが必要である。
しかし「性」ということだけを切り離して
考えることは危険性が伴う。

前頁に紹介した波多野完治先生のエッセー
にも、岡本一平がかの子夫人と死別し、

淋しさをまぎらわすために芸者に接したが、
「体操」のようなもので味気なかったと
語ったことが述べられていた。


また、たとえ「体操」好みの方が居られたとしても、
しばらく後では相当な、たましいの病に苦しむこと
にもなるだろう。

性を男性と女性を結合するものとしてのみでなく、
「精神と身体」、「生と死」などなどを「つなぐ」
ものとしてみるとどうであろうか。

何かとの接触の回復を体験するものとしての性は、
人生において大きい意味をもっている。

このことを忘れてしまうと、
性がむしろ「切り離される」ことの体験になる。

哲学者の市川浩さんが日本語の「み」という言葉を
解明され、「みにしみる」とか「みまかる」とか
「みうち」とか「みいり」とか、あげてゆくと切り
がないが、

それは、人間の体だけではなく心も魂も意味し、
社会的なつながりなどにまで及び、人間存在の
全体性に関連していることを明らかにされている
(市川浩『〈身〉の構造』青土社)。

このように「み」を考えて、日本語で「おんみ」
という表現を二人称に使うことから、性というのは
「おんみ」を愛することだと考えてみてはどうだろう。

そうすると、狭い意味での性行為に限定されず、
性が広がりと深さを持つように思われるのである。




次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
つなぐもの
「性を男性と女性を結合するものとしてのみでなく、
「精神と身体」、「生と死」などなどを「つなぐ」
ものとしてみる」のはとても重要なことだと思います。

チベット密教では瞑想の際、男神と女神が交合した姿で
描かれる官能的なヤブユムなどのタンカを足がかりにして
究極の至福である大楽の道を探ります。

「性」は我々凡夫と悟りの境地を「つなぐ」ものでも
あるのです。


2008/04/11(Fri) 19:17 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
体操?
なにかむなしいですね^^。
やはり喜びがないとつまらないですね。

外に出るときは手をつないだり、一緒にコーヒーを飲んだり、なるだけ触れ合って楽しく生きたいものですね^^。
2008/04/11(Fri) 09:46 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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