2008年04月06日 (日) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (64)


私が勤務している国際日本文化センターの同僚の
山折哲雄さんに、「仏像で、仏さんが苦しい顔を
しておられるのがありますか」と尋ねてみた。

山折さんは周知のように非常に博学な宗教学者で
ある。

本書でも「よい死に顔で」という題で、
ヘヤー・インディアンの人たちが、よい死に顔で
死ぬことをこよなく大切にしてる、ということを
書いた。


これにも読者の方々から大分反響があったが、
そのなかで一人、親族の方が非常に苦しんで
亡くなられ、

亡くなられた後で、顔をなぜて平静な顔にして
あげたのに、しばらくするとまた苦しい容貌に
変り、いたましい思いをした、と言ってこられ
たのがあった。

以後、そのことがずっと心にあったので、
ふと思いついて前記のような質問を山折さんに
してみたのである。

山折さんはすぐに私の質問の意図を解されて、
苦しい顔の仏像はないと思うが「阿弥陀の胸割」
という話がありますよ、と話して下さった。

その話をここに紹介する余裕はないが、要は、
親孝行のため胸を割かれる運命にあった娘の
身代わりとして、

阿弥陀如来の胸が割けて血が流れ、
娘の命が助かる話である。

これを聞いて、私は「苦しい顔」で亡くなられた
方は、この世に生きるだれかの苦しみを身代わり
となって背負っていかれたのではないかと思った。

「よい顔」と言ってもわれわれ俗人の想像を超えた
「よい顔」があるように思われるのである。



次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
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