2008年04月03日 (木) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (61)


読者の方々からたくさんのお便りをいただき、
有り難いことと感謝している。

一番多く反響があったのが「してあげる」
ということで、言う側の立場、

言われる側の立場から、
いろいろとご意見が寄せられた。

そんなちょっとしたものの言い方に
こだわることもなかろうと思うが、

年老いてくると、そのすこしのことでも
こだわりたくなるものなのだ、というのもあった。


そのようななかで、すこしのものの言い方の差が
老人を喜ばせたというのもあったので、
ここに紹介させていただく。

おばあちゃんがケガをしたせいもあって、
外出されなくなった。

家にこもってばかり居ずに散歩でもしたほうがいいと、
周囲のものがいくらすすめても、
おばあちゃんは耳を傾けようとされない。

ところが中学一年生の孫娘さんが、「散歩しようヨ、
私、おばあちゃんと一緒に散歩したいの」と言うと、

おばあちゃんは早速外出され、出会う人に対して、
「孫にせがまれて散歩しています」と
生き生きした表情で話されたそうである。

「体にいいから散歩しなさい」とか、
「散歩に連れていってあげようか」とかの言い方と
比べると、

「一緒に散歩したいの」という言葉の
やさしさがよくわかるのである。

大人よりも子どもの自然な表現に本当のやさしさが
こもり、それが老人の心にとどくということは、
なんと素晴らしいことであろう。




次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
人生なにが大切なことなのか
「すこしでも散歩したほうがいい」とか、
「体にいいから散歩しなさい」とか、
「散歩に連れていってあげようか」とか。

命令口調だったり、押し付けがましい言葉
だったりするのがいやなんですね。


言う側の立場だと、
「そんなちょっとしたものの言い方に
こだわることもなかろうと思ってしまう」
のですが、

言われる側の立場では、
「そのすこしのことでもこだわりたくなる」
のだと思います。


これは年老いてくると「すこしのことでも
こだわりたくなる」というよりは、

年老いてくるとなにが大切なことなのかが
わかってくるからなのではないでしょうか。


「人生なにが大切なことなのか」というと、

「ちょっとしたことなのだ」

ということをわかってもらいたいのでは
ないでしょうか。




2008/04/03(Thu) 17:38 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
一緒に散歩したい
こう言われたら、グッときますね^^
うれしいです。
散歩でなくても、こんなことを言ってくれる人なら、映画でも食事でも、付き合っちゃう。側にいるだけで、楽しいのでしょう。
おばあちゃんのお気に入りのお孫さんだったのですね。
そうか、言葉は心がそのまま出てくるのですね。
同じ言葉を言っても、自分の心と一致していないと、相手の心が動かないのですね^^
2008/04/03(Thu) 07:59 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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