2008年03月23日 (日) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (10)


「お前は自分でやることだけはやった
と言うが、どうかな。

たった一つの大事なことを
お前は気がついていない。

それがわかればお前は助かるんだよ。
だから、俺について来い。」

このとき、あなた方ならどうだろう。
ご親切にありがとうございますが、
失礼ですが、あなたはどういうおつもりで、

重い病いで死に目に近くなっている私を、
助けてくださる気におなりになったのですか。


これはたいてい、誰でもが、心の中に出てくる
質問でしょうね。それから、次に出てくる質問は、
これからどこへ連れて行くおつもりなんです。

これももちろん、ききたいことですわね。
それから第三にききたいのは、いったい、
どんな方法で私をお助けくださるんですか。

この三つの質問は、そういう場合に誰でも心の中に
湧いてくるでしょう。それを私はしなかったので
あります。

なぜしなかったかという理由は、私は釈明する
何ものも持たない。ただ、質問する気になれな
かったから、しなかった。

言下に私は「サーテンリー、」と言ってしまった
のです。なぜサーテンリーと言ったか、どうして
そんなことを言ったのか、あのときの私の気持ち
というものは、私自身がわからない。

思うに、その人の申し出に対して、
非常な感動を受けたに違いないのであります。

血を分けた親兄弟でも気悪がって、めったに近寄ら
ないであろうような、病のためにやつれ果てて、

しかもその朝、大きな喀血をしたばかりの午後なん
ですからね。恐らく顔面蒼白、生きている人間か
死んでいる人間かわからないくらいの、やつれ方に
違いなかった。

そんな病人を連れて行ったら、いつ何時、くたばって
しまうかわからない。これはもう素人目にもはっきり
わかることだ。

その人間に、とにもかくにも俺について来い。
お前の助かる道を教えてやる。

という言葉を聞いたとき、
形容の出来ない感動をうけたということは、
嘘、偽りのない告白です。

私はそう感じた。
おそらく、そのときまでに、こんな大きな感動で
ショックを受けたことはない。

私の魂が直ちにその私の心を表現して、
サーテンリーと言ってしまったに違いないのです。



次回につづく


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ジャンル:心と身体
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この記事へのコメント
くたびれた、疲れたと言うな
宇野千代の積極的養生法⑤
『小説新潮』昭和四十四年九月号より



それにしても、現代人は何て確信することが下手なのだろう。
或いは疑うことが好きなのだろう。
朝から晩まで、自分の体のことを疑ってばかりいる。

疑って、びくびくしてばかりいる。まァ、見ててごらんなさい。
年配になった男女が集ると、判コで押したように病気の話ばかりする。
自分の体の状況を、あれこれとそれは詳しく述べ立てる。

一体、自分の病気の話をしてどうなるのか。
人の病気の話を聞いてどうなるのか。
人の病気の話を聞いて、それで愉しいとしたら異常である。

私は出来るだけ自分の体の具合の悪いことは人には話さない。
これは自分の身の上話を人にしないのと同じ心理である。
自分の体の具合を人に話すことによって、いやでももう一度、はっきりと、
自分の体の具合の悪いことを、心に思い浮べる。

これがいやなのである。もう一つは、自分の体の具合の悪いのは、
自分で知ってるだけでたくさんである。他人に聞かせて、他人にまで
いやな気持にさせるのは失礼ではないか。

悪い話は、それが自分の体のことでも、決して口には出さない。
「ああ、くたびれた」「頭が痛い」「何だか風邪ひいたようだ」
「腹が痛い。胃潰瘍じゃないか」などとは決して言わない。
これも私の積極的養生法の一つである。

その替り、好い話は会う人ごとに自慢する。
「私は風邪もひかないし、便秘も下痢もしないし、
つまり、いつでも健康体の平均状態なんです」とか、
「私は今年の秋で満七十二歳になるんですけど、
何て言うか、体中に若い頃と同じような活力があるみたい。

だから、七十二歳が自慢なんです」などと平気で言う。
この自分の言葉は、もう一ぺん自分の中に戻って来て、
そうだ、確かに若い頃と同じ気持だなァ、と思うのである。
つまり、自分の言葉で、繰り返し自分に暗示を与えるのである。

この、繰り返される暗示くらい、魔法のようなカを持つものはない。
この間、ある本を読んでいたら、アメリカの政府部内で、
「決してくたびれたと言う言葉を使うな」と言う指令が出たと言う。

くたびれた、疲れたと言うと、それは個人の体のことではなくて、
アメリカの国力が、くたびれた、疲れたと言う印象を与える、
と言うのだそうである。

くたびれたと言う言葉は、欠伸のように伝染する。
誰でも、「あ、自分もくたびれてるな」と思い易い。
言わなければ決してくたびれないのである。

疲労の中で、真に肉体的な疲労は皆無に近く、
殆ど凡ての疲労が心理的なものだと言うからだ。
くたびれたと言う気のせいでくたびれるのである。



2008/03/23(Sun) 18:52 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
certainly 
サーテンリー


〈依頼や質問に答えて〉
もちろんです; いいですとも, 承知しました



チベット仏教の寺院では、かならず「知恵遅れの人」
を住まわせているといいます。何故かといいますと
知恵遅れの人と解脱した人(悟った人)とは、ほとんど
同じであると考えているからなのです。

知恵遅れの人を身近に観察し、接することによって、
人間の洞察を深め、悟りに近づこうとしているのですね。

中村天風先生は、アメリカのコロンビア大学の医学部を
卒業されるような、とても賢い方だった。その賢さが
ゆえに「たった一つの大事なこと」をなかなか理解する
ことが出来なかったのです。




2008/03/23(Sun) 18:49 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
サーテンリー
おまかせします・・・という意味なのでしょうか?
人間関係は本当に不思議です。ビビッとくる・・そんな直感がものをいうからです。理屈もへちまもありません。この人でないといけないのです。そんな出会いが人生の進路を決めていくことがありますね^^。
宇野千代さんのお話、毎回おもしろいです。気の持ちようって、本当に大切なことなのですね!

2008/03/23(Sun) 07:26 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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