2008年03月22日 (土) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (9)


ところが、ぐうぜんの機会からインドに行きまして、
インドへ行ったというと体裁がいいのですが、
インドへ連れて行かれた。

それも行きたくて行ったわけじゃありません。
非常に憧れて行った旅でないのはもとより、

インドへ行って、ヨガの哲学を研究するという
ようなことは、始めから知らされていない。

偶然の行きずりに、
カイロの宿屋で出会ったおたがい旅人同士の人から、


「とにかく、お前は、自分のすることだけはすべて
しつくしたのに、病がよくならない。同じ助からない
病なら、生まれ故郷へ帰って死ぬのだと言っているが、

私の目にうつるお前は、まだ大事なことを一つだけ
気がついていない。その大事なことに気がつけば、

お前が自分自身の生命を見捨てたような、哀れな運命に
自分を陥れることはないんだ。とにかく、俺にくっついて
来い。ほんとうに助かる道を教えてやる。」

と言われたんです。
あれはなんというのですかな。

あれほど強情、傲慢な私が、現代の言葉で言えば、
人生意気に感ず、とでもいうのですかな。

どこに連れて行かれるのやら、そうして連れて行かれた
さきで、どんなことを私に教えてくれるのやら皆目わから
ないのにですね。

簡単な言葉なんですよ。
ユアー、ベター、ツー、フォロー、ミー。
これだけ言っただけなんですよ。
お前、俺にくっついて来いよ。

幸いそのとき、私の心持があなた方のように、
あれこれと考える入念な観察や、いろいろと吟味する気持が
出て来なかったことは、いま思い出してもよかったと思う
のですが、これがもし、あなた方だったら如何でしょう。

どこの馬の骨か豚の骨の尻尾かわからない、始めて会って、
しかも長い会話を取り交わしたあとならとにかく、
さっと会ってぱっと言われたその刹那です。

「お前はどこへ行くんだ。」
「俺は日本へ帰るんだよ。」

「お前は右の胸に重い病を持っている。
その病を持ちながら故郷に帰るのは、
墓場を掘りに行くんだな。」

「好んで行くのではない。あらゆることをやったのちに、自分
の救われないことに気がついた。どうせ終わるべき命なら、
故郷の日本に帰って終わろうと思って帰るところだよ。」

「お前は自分でやることだけはやったと言うが、どうかな。
たった一つの大事なことをお前は気がついていない。
それがわかればお前は助かるんだよ。だから、俺について来い。」



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
こんな話がある。
宇野千代の積極的養生法④
『小説新潮』昭和四十四年九月号より



これは千葉大学の小林博士に聞いた話であるが、
九州地方に住んでいる或る男が、強度の神経痛にかかって
福岡の大学病院に入院した。

豪農の息子か何かで、金に糸目をつけず、百方手を尽したが、治らない。
福岡では駄目だが、京都の大学病院なら治るに違いないと言うので、
京都で入院したが、やはり効果がない。

いっそのこと東京ならと、最後の希みを托して東大病院に入院した。
しかし、ここでも治らなかった。絶望の未その男は、
或る街に住む高名な漢方医に紹介されて、その診察をうけた。

叮濘に診察し了ってその医者は、「あなたのこの病気は、あなたにとっては
死病です。たぶん、あなたはこの病気で死ぬでしょう。しかし、ただ一つ、
これは験しにやって見るのですが、この薬を飲んで見て下さい。

昼と夜と二回これを飲んで、もし万一効き目があったら、
明日の朝は真っ黒な便が出る。そうなったらあなたは助かるが、
しかし、たぶん、この薬も効き目はないと思うが」と言って、
一包みの粉薬を渡した。

一体、医者と言うものは、決して患者に向いて、これはあなたの死病です。
あなたはこの病気で死にます。などとは口が割けても言わないのが常識である。
その男は顔面蒼白になって、もう死んだようになってその医者の許を立ち去った。

その筈である。福岡、京都、東京と、名だたる大病院へ入院しても
効果のなかった病気だったのだから。ところが、その翌朝、
慌しくその男が駆け込んで来た。「先生、私は助かりました。
真っ黒い便が出ました」「出たか。そうか。助かったのか」

と医者もともに手をとって喜んだ、と言う話である。
その男はそのまま九州へ帰ったが、先生から頂いた薬のお蔭で、
さしも難病の神経痛がけろっと治った。と言う礼手紙が来た。

吃驚したのは医者の方である。その粉薬は、(何と言う名の薬であったか、
私は聞き忘れたが)飲むと腹の中の何とか言うものと化合して、
真っ黒な便が出るものと決っている、そう言う薬であった。

その葉を飲むと、真っ黒な便が出るに決っているのに、
「たぶん効き目はないと思うが」と駄目を押して飲ませた。
命が助がりたい一心で、藁をも掴む心持でその薬を飲んだ男にとって、
それは一大暗示であった。

黒い便が出た、と思った瞬間に、その強烈な暗示によって、痛みが止った。
いや、止ったと思ったのである。そして、この痛みが止ったと確信したことで、
ほんとうに痛みが感じられなくなったのである。

この話を小林博士から聞いただけで、神経痛が治ったと言う人もあると言う。
私はよく知らないが、神経痛と言うのは、神経的な痛痒のことなのか。
痛い、痛い、と思うと、なおのこと神経で痛むのか。或る暗示によって、
痛くない、痛さは治ったと確信すると、痛痒がとまるのか。

とにかく、自分は治ったのだと確信するチャンスを与えられたことが、
その男の幸福であった。



2008/03/22(Sat) 19:06 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
たった一つの大事なこと
ホント「人間関係って、端で見たらナゾにみえます」
端で見るだけでなく、中央で見ても、上から見ても
謎だらけです。

自分ひとりでさえ手におえない大きな謎ですから
それが男女ともなると、もつれにもつれて諦める
しかないのかもしれません。(^。^;)




さて、天風先生のお話

「たった一つの大事なことをお前は気がついていない。
それがわかればお前は助かるんだよ」

その「たった一つの大事なこと」が
いったい何なのかがなかなかわかりません。

でもこうして少しずつ一歩一歩近づいていくことで、
「たった一つの大事なこと」を理解するための準備を
しているんだなと思います。



2008/03/22(Sat) 19:02 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
プロポーズの言葉みたいですね^^
結婚も似たような感じですね。
先のことは皆目わからないけど、ここまで、言われると、ついていこうかなあとおもうのかもしれません。
まして生きる希望も断たれたとき、一筋の光のように感じられたのかもしれませんね。

言った人、言われた人・・この二人にしかわからないみえない絆がつながったのだと思います。
人間関係って、端で見たら ナゾみたいにみえることが多々あります^^
2008/03/22(Sat) 07:38 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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