2008年03月21日 (金) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (8)


今日から、あなた方が毎日過ごされるに
必要な注意を申しあげる筈ですが、
始めてこういう話を聴く人は、何かこう、

無理矢理にでも、天風の言うことは無条件で
受入れろ、とでも言っているように聞くかも
わかりません。

決してそうではないのであります。

あなた方もいままで、人生に生きて来られた
以上、大なり小なり、自分というものを考え
てこられたに相違ない。


だから、その考え方をぜんぜん無にして、
これから私の話を聞こうという計画は、

これはきわめて尊いことに相違ないが、
それは出来ない相談というものです。

出来ない相談どころではない。
そういう相談をするほうがすでに無理なんで、
そのいい例が、私が人生を研究しつつある最中に、

世界的に名のある学者や識者に何人か会いました。
そうして、彼らの口から、彼らのいう学問的な薀蓄や
体験を聞かされたとき、私は決してそれを無条件に
受入れようとはしなかった。

彼はこう言うが、私はこう考える。
あれはあれとして学問的な意見で、
彼はそういう観察をしているが、
私は彼とは生い立ちから違う。

生活の条件が違っている。
あれをそのまま受入れるというのは、
どうかと思うな。

というような、常に批判的な態度で聞いていた。
考えてみると、ずいぶん、愚にもつかないことを
正しい態度でもあるように考えて、いま言ったように、

むなしくアメリカやヨーロッパの世界的な学者に
会いながら、その批判的な気持ちがいつも私の心の中
に大きな根城をしめているために、

あるいはもっと早く悟りが開けたのかもしれなかったのに、
その機会を逸したと思っているのであります。

人の言葉はつねに批判し、かつつねにそれを自分の観察と
比較対照して、自分の是認したことだけを取り入れ、
承認しないものは受入れない。

こういう態度が、むしろ文化人としての当然の態度
ではないか、と考えていたものです。

何故かというと、自分承認したもの以外は受入れない
のですから、しかもそれが、当然の態度だと思って
いたわけですから、

アメリカやヨーロッパには、有名な学者というものは数多く
いるかにみえるが、俺のような年若い青年の、人生に迷って
いる気持ちを、

真に正しく救いうるほどの会得も認識もないのだな、
といふうに思ったのであります。

これは一つには、あとから考えてみると、自分の心の中に、
非常に傲慢なうぬぼれがあることに、少しも気がつかなかった。
そうです。傲慢なうぬぼれです。

俺のいま考えていること、俺のいま知っていることは、
非常に価値の高いことだと、こういうふうに思っていたから、
どんなことを聞いても、ああそうですか、と無邪気に受入れる
態度が、心の中に出来ていなかったのであります。



次回につづく


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テーマ:モノの見方、考え方。
ジャンル:心と身体
コメント
この記事へのコメント
便秘症の人たち
宇野千代の積極的養生法③
『小説新潮』昭和四十四年九月号より


考えて見ると、私たちのしていることは不思議なことだらけである。
朝起きて食事をする。いま、この口の中へ入れている食べ物が、
果して咽喉を通って胃袋へ這入り、そこで消化されて腸を通って首尾よく
肛門を出るだろうかと、心配する人間があるだろうか。

それは出るにきまっていると、生れたときから確信している、
その確信のために出るのである。ところが、この肛門から間違いなく出る、
と言うことさえも、確信できない人たちがいる。それは便秘症の人たちである。

人ごとのように、便秘症の人たち、などと言ったが、
私もついこの間まで、酷い便秘症であった。この話は前にも書いたが、
私は十日くらい便通がないのが普通だった。

そして便の出るときと言うものは、それこそ七転八倒の苦しみで、
まるでお産をするような騒ぎであった。これも前に書いたと思うが、
私の便秘は生れつきで、私を育ててくれた伯母の話によると、
私は生れたときから普通では便が出ない。

いつでも伯母が楊子のさきで便をつつき、まるで鼠の糞のような、
小さい、黒いものをほじくり出す。そう言う方法でやっとのことで排便した。
だから生れつきの便秘だと、便秘であることを心の底から確信していたのである。

それが、或るときから、意識して多量の牛乳をのみ、
一日一万歩は欠かさず歩いている中に、この酷い便秘症が治った。
一日一回、理想的な色と形をした便が必ず出るようになった。

その中に、これは特筆大書すべきことだが、
自分が便秘の選手だと言うことをすっかり忘れて了い、逆に、
便は毎日理想的な色と形をしたものが必ず出るものだと言うことを、
平気で確信するようになった。

そして、牛乳をのむのも忘れ、一万歩歩くのも忘れていても、
便は出る。出る出ないと言うことを考えず、出るものと確信している、
そのためである。

しかし、この確信を獲得するためには、私たち凡人は、
さまざまな手管と言うか、手続きを要するのではあるまいか。
自分で自分の神経をだまし、だまし、やっとのことで到達しなければ
ならないのではあるまいか。



2008/03/21(Fri) 17:56 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
批判をしない!
親しい人間関係を壊さないためにも、
「うっかり批判をしない」ということは
とても大切なことですよね。

批判をされることは、大概はいやなことですから
しないほうがよいのです。

「タバコを吸う人がなかなかタバコがやめられない」
というのはいま、批判というか、非難したくなる筆頭
ですね。でも聞く耳を持たない人に言っても、意味がない
だけでなく、人間関係を破壊してしまいますから、要注意
です。

タバコを止めて欲しい時は、ビックイベントのタイミング
を利用するのがよいですね。
たとえば彼から結婚を申し込まれた時に、

「一つわたしのお願い聞いてくれる?」「なに?」
「タバコを止めて下さるならお受けします」

というのはグットタイミングですよね。でも、
「結婚の申し込み、なかったことにしてください」

なんていわれたら、ガックリきますから、
勝算があるかどうかを見極めないといけません。

まあ~タバコを止めてくれないような男とは結婚しない
ほうがいいですね。ホント


2008/03/21(Fri) 17:54 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
やまんばが今やっていること
批判をしない!
ということです。
いかなることでも。批判をしない。
批判が口からでようとしたとき、うっかり口からこぼれてきたときも、気がついたらそれ以上は口にしない。心の中でじーーーと見守っている。
タバコを吸う人がなかなかタバコがやめられないように、批判の心は次々と湧きあがってきて、やまんばの心の平静さを奪っている。

そう心がけていると
一つの変化がやってきつつあります。
それは自分の心も、外側の空気も穏やかになっていく・・・(それも瞬時に。相手の反応をみれば一目瞭然です)ということです。
大変興味ある変化です。

そして思うに、なぜ私はこんな小さなことが正しいといってたのだろう????どちらでもいいことはどんどん捨てていこう。
朝日のあたる浜辺に打ち寄せるノッタリノッタリする波のように、心が静まっていく。

批判する心は傲慢な心だったのですね。

昨日のコメント、びっくりしました。
心の力って、すごいのですね。
「出来ると確信することさえ出来れば、どんな不可能と見えることでも可能なのである」
やまんば、この言葉今後の人生にかならず活かします!ありがとうございました。
2008/03/21(Fri) 08:12 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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