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2008年03月14日 (金) | Edit |
宇野千代著「天風先生座談」二見書房より (1)


みなさん。ようこそおいでになりました。
私が中村天風であります。

さて、今日から私の話を聴くためにお集まり
くださったみなさんに、できるだけ率直簡明に、
心身統一の方法をお話しすることにいたしましょう。

人生は理屈ではありません。
生きているということは、
どこまでいっても現実であります。

夢のようなうつつのような世界でないのが
人生であります。そしてしかも、これも真剣に
お考えにならなければならない問題ですが、

言われればああそうかと気がつくのですが、
たいていの人が気がつかない。


それは、人間てェものは、
生まれたら必ず死ぬものだということです。

どうも、とかく現在生きている人は、
死なずにいるものですから、
自分だけは死にそうにないように気楽に考えて
いる人がある。

しかし、死の魔の手は、いつなんどきあなたの
生命の上に襲いかかるかわからない。

ただ自分が急にそういう恐しい目に会いそうもない
という、自分だけの独りぎめの観念で、

「そりゃァ、人間はいっぺんは死ぬよ。」
というようなことを平気で言っていて、
やがて自分もその運命に見舞われる一人だと
いうことを真剣に考えない。

一休禅師の言葉に、「昨日まで人のことだと思いしに、
こんだ俺らか、こいつ堪らん。」という歌がある。

一ぺんは必ず死ぬということを考えたときに、
同時にもう一つ考えなければならないことは、

こうして毎日毎日、刹那刹那に、生きているものは
すべて一様に、人生の最後のターミナルである死の墓場に、
知ると知らざるとを問わず、近よりつつあるということです。

あなたがたが今日ここへ来られた午後六時より、
いまはもう、半時間たちました。半時間だけ、
あなたがたの最後のターミナルへ近づいたのでありまして、

こう申しあげても、微笑で私の顔を見られて、
「俺だけはそうじゃァないや。」という顔をして、
気楽に考えておられる人がありますが、しかし、

この否定すべからざる人生の一大事を、静かに考えてみたときに、
自分の生命の現在の在り方を考えてみたときに、
これで好いわ、とあなたはおぼしめすか。

いえ、もっと率直に申しあげれば、
健康なり運命なりがどう見ても完全ではなく、
生きているとは名ばかりの、すこしも生き甲斐というものを
感じない人生を、繰り返しているだけなのです。

このおろそかに出来ない事実を、なぜもっと真剣に
考えないのかと、私は不健康な人や不運命な人に会うたびに
考えさせられるのです。

そのうえ、なかには、不健康だとか不運命だとかいうものは、
人生の逃れることのできない約束ごとで、これがあるのが
人生だと、そういうふうに、古いショーペンハウエル流の
哲学を、いまだに信奉して生きているひともあります。



次回につづく


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