2006年03月23日 (木) | Edit |
A・スマナサーラ著「意のままに生きられる」ヴィパッサナー瞑想法 国書刊行会より(5)


瞑想には基本知識が必要です。
初心者や仏教をよく知らない人たちにとって、
瞑想というと、魂の浄化とか、

クンダリーニの上昇とか、
チャクラの開発とか、
訳の分からないことなどよく聞きます。

神との一体化という人もいます。
仏教でも如来と一緒になる
という人がいますね。

ヒンドゥー教のヨガでは、
我々の尾てい骨の辺にクンダリーニという
エネルギーが出ているのだと言います。


そんなに大事なものだったらなぜ
お尻のところに隠れて寝ているのですか。

そんなに大事なものだったら、
勝手に上がってこいというのです。
ばかばかしいことでしょう。

……
瞑想をしていると、
自分の浮のエネルギーとでもいうか
軽いとでもいうか、

そういうエネルギーが、
どんどん下から上へあがってきます。
それは当たり前なのです。

それは、座っているときに
一番重さを感じているのは
お尻や足なので、

心が軽くなってくると、
お尻も足も軽くなってくる
という理屈なのです。

その軽くなった状態がまとまってきて、
どんどん上にきて上にきて、
頭のてっぺんまでくるのです。

すると何だか自分自身がぜんぶ消えたような、
実にいい気持ちになるのです。

その感覚を、ある宗教ではクンダリーニの上昇
とか言って説明しているだけなのです。
たいしたことのないことを大げさにしてしまう。

・・・・・・
仏教ではそういう訳の分からない
言葉は使わないのです。

ただ身体には沈静化する働きを持つ
エネルギーがあるというだけです。
そして、心によって身体が変化すると説明します。

そういう知識をもった上で瞑想をします。
瞑想と言ってもいままでの瞑想のイメージと違うので、
皆さんは、これがほんとうに瞑想なのかなと
おもわれるかもしれませんが、

我々の瞑想では最初からよけいな判断を
やめることにチャレンジします。

瞑想をはじめた瞬間から、
悟りの第一段階にチャレンジするのです。


では具体的にはその瞑想は
どうするかという話に移りましょう。
まず歩く瞑想を説明します。

・・・・・・
まずしっかり立つ。
しっかり立ってからしっかり歩く。
歩くときは、下を向いて歩くのではなくて、
まっすぐ前を見て歩く。

・・・・・・
歩くときも何も判断しない。
ただ歩くことに集中するのです。


次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
判断のつけものさま
そうなんです。ひっきりなしに判断しています。
なにはともかく、やまんばさんのすぐに実行してみるところは清々しくてよいです。
(6)では、頭に判断させることをやめさせる方法が詳しく説明してあります。もうしばらくおまちください。
判断のつけもの石より
2006/03/24(Fri) 14:49 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
きのう一日の自己観察
わたくし、やまんばさんは{判断のつけもの}といっていい位、ひっきりなしに判断していました。必要な判断もあるけど、何かを決めつける、相手を批判するような判断は減らしていきたい。瞑想については、スマナサーラさんはこういうふうに思っておられるのだなあ~。身体には、沈静化する働きを持つエネルギーがあり、心によって身体が変化するという箇所は、救われました。
2006/03/24(Fri) 09:13 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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