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2008年02月28日 (木) | Edit |
ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (46)


抱擁はたいへん楽しい西洋の習慣です。
私たち東洋の人間としては、この習慣に
意識的呼吸を合わせて行ってみたいと思うのです。

子どもを抱くとき、あるいは、母親を、
夫を、友人を抱き締めるとき、
三回ほどしずかに呼吸したら、

そのときの幸せな感じは、
すくなくとも10倍に膨らむことでしょう。


抱き締めたとき、気が散ってよそごとを考えていたら、
それはかたちだけのものになってしまい、
抱き締めることの喜びを味わえなくなります。

子どもや友人、妻や夫を抱き締めるときには、
まず息を吸って、吐いて、いまここに戻ること
からはじめてください。

それから両手でしっかりと抱き締めて、三回呼吸をします。
このように抱擁してみたら、これまでに経験したことがない
深い喜びが湧きあがってくるはずです。

コロラド州のセラピストを対象にしたリトリートで、
抱擁の瞑想を実践したことがありました。

ある参加者は、フィラデルフィアの空港に迎えに来た妻を
このリトリートで練習したように抱きしめたところ、
いまだかつて経験したことがない感動を彼女に与えて、
これが縁で、彼女も次のシカゴのリトリートに参加する
ことになりました。

……
たとえば、あなたの娘さんが、あなたの前にすがたを見せた
としましょう。そのとき、あなたのこころがそこになくて、
過去や未来のことを心配したり、怒りや恐れにとりつかれて
いたら、その子はあなたの前に立っていても、いないも同然
です。

娘さんもあなたも、ともに実在しない幻になってしまいます。
そのこと一緒にいたいならば、あなたはいまここに立ち戻ら
なければなりません。

意識的な呼吸をして、こころと体をひとつにし、もう一度
自分を生きた存在にしてみてください。あなたが本当に
いまここに戻れば、娘さんもまた現実の存在としてそこに
現れるのです。

その子の存在は奇跡のように、いまここの出会いを可能に
してくれるのです。その子を抱き締めて、息に戻ってみて
ください。

そうすれば、あなたは愛する子がいま自分の前にいること
への愛しさに目ざめ、生命がそこにすがたを現わすのです。




次回につづく


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ジャンル:心と身体
コメント
この記事へのコメント
とてもわかりやすい「縁起」の話
これはある人の話です。
小学校の先生が受持の時間に子供を見ていると、
授業中に居眠りをしている。

けしからんと叱ってそこに立たせておこうかと思ったけれども、
ひょっと思い直して尋ねた。この人は仏法を聞いている人だった。
「お前昨夜寝たか、眠れたか」すると「いや眠れなかった」という。

「なぜ眠れなかったか」「蚊が喰うた」
田舎のことですから蚊がいますね。
「なぜ蚊が喰うたか」「蚊帳がない」「なぜないか」

「父が事故に逢って急に入院したので家の蚊帳を持って行った」
という。この子供は居眠りしている。だからけしからん奴だ。
そうでなしにそれには因縁があった。眠れなかったのである。

なぜ眠れなかったかというと色々の因縁がある。

「どうしてお父さんが怪我したのか」
「飲酒運転の車がお父さんの自転車にぶつかった」
「なぜその運転手は飲酒していたのか」

「棟上げの祝いがあって酔っぱらっていたのだろう」
「なぜ棟上げをやったか」
「その前日にやる筈だったのが、
その家のおばあさんが日どりが悪いというから一日延びたんだ」

このようにその結果が起るのには原因がある。
またお父さんがその時間にそこを通るのにも色々の条件があり、
運転手もこのような事情がある。

条件は無限に広がっていく。
そこで、今子供が居眠りをしているという状態の原因は
どれかということになると、どれというわけにはいかない。

それは「よりて起る」といわねばならない。
従って、子供がここで居眠りをしているという事柄は、
これを大きく表現すれば三千大千世界につながっている。

それが寄り合い寄り合って起っている。これを縁起と申します。



2008/02/28(Thu) 20:39 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
依他起生=よりて起こる
ろくろくの他力の概念というよりは、
仏教の「縁起法」でご説明すれば分かりやすい
かもしれません。

縁起は「因縁生起」(いんねんしょうき)の略です。
これは仏教の根幹をなす考え方です。
縁起は「よりて起こる」ということ。

「因」は直接原因、「縁」は間接原因のことであり、
世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちで
それぞれ様々に関わり合って消滅変化しているという
考え方をさす語であります。

縁起を別な言葉でいうと「依他起生」ということに
なります。

あらゆるものはよりて起るという。

よりて起るとは、沢山の条件が集って間接原因が
いろいろあって起るものであるということ。
それを縁起法という。

ある結果が起るについては沢山の条件があって、
それが集まり色々のプロセスがあって、
そういう結果ができるんだということであります。


釈迦は、

「私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして
一般の人々の知り難く悟り難いものである」

(「南伝大蔵経」12巻、234頁)と言ったという。

また、この甚深なる法はわが作るところにも非ず、
また余人の作るところにも非ず。
如来の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。

如来は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、
諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり
と言って、この世の自然のあり方であり、真実であると言う。


錬金術者さん曰く

「純粋に私でつくったものがないとしたら、
私という存在は一体何なのでしょうか? 」


私という存在は「無」であります。
私という存在も「依他起生」=「よりて起る」のですから、
固有の私というものは無いのです。


「自説経」では、

「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す」

と説かれています。

これは「此」と「彼」とがお互いに相依相成しているのであり、
それぞれ個別に存在するものでないことをいう。

すなわち有・無によって示される空間的にも、
生・滅によって示される時間的にも、すべての存在現象は、
孤立してでなく相互の関係性によってのみ現象していることが
説かれます。

釈迦が悟ったように、
「いっさいのものは、独一存在でなく、無我である」

しかし、すべてが無我でありながら、価値を持ち、
存在性を持ちうるのは、すべてが縁起であるからである。

この関係においてのみ存在者は存在性を獲得することができる。


2008/02/28(Thu) 20:35 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
最近お二階がさわがしいな^^
だはははっ・・・
やまんばさんは、巻き込まれない処で
高みの見物といったところでしょうか?


今日の言葉を変えました。
政木和三さんの言葉です。

「人間の修行とは 他人に幸福を与えることである」


政木和三さんは・・・

生涯に1,000件以上の発明をしながら、
特許権を無償で公開したため、
自動炊飯器、自動ドアー、格安テレビの誕生をはじめ、
人々に多くの喜びを与えるとともに、社会の進歩発展に
大きく寄与した。

とあります。
彼が発明したバイオライトは目にいいそうですね。
私も長年利用させていただいてます。


http://www.agosu.cleans.jp/page006.html



2008/02/28(Thu) 18:57 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
唯物論では「私」を理解できない
 ろくろくさまのおっしゃるように、「私」という存在は、不可視であるじゃ。
 
 「私」という存在の全ては、なんらかの借りものであるじゃ。

 借り物だから、必ず、返さないといけないわけじゃ。あまりに、大きな借りものをすると、返せなくなって、私という存在をわすれてしまうわけじゃ。

 何を選ぶかは「私」の自由、自分の趣向に合うものを選び、最後に、借りた分のお礼を返せればよい。つまり、ヴァイキング形式で、食事を楽しむものともいえるじゃろう。

 さて、唯物論、つまり、物質だけに捉われていると、「私」という存在は、空しいものと思ってしまうじゃろうが、「私」という存在は、不可視なだけで、その可能性は無限大なのじゃ。
2008/02/28(Thu) 09:40 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
息を吸って吐いて 今ここに戻る
そしてお互い抱っこする。
暖かくて やさしい気持ちになる。
お母さんのお腹の中にいるみたい、うん、気持ちいい。
エネルギー充電!

なんだか、最近お二階がさわがしいな^^
カハカハ。
息を吸って 吐いて 今ここに戻る。
練習 練習^^。
2008/02/28(Thu) 07:56 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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