碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

理解すること

ティク・ナット・ハン著「微笑を生きる」春秋社より (41)


理解と愛はふたつの別々のものではなく、
ひとつのものです。

たとえば、息子さんが
朝寝をしてしまったとします。

そこで、この子はすぐに妹を起こして、
朝食をとって、学校に遅れないように気を使います。

妹はたまたま機嫌が悪くって、
「ありがとう、お兄ちゃん」と言うかわりに、

「うるさいわね、ほっといてよ」と言って、
足で兄を蹴ったとします。


そうすると、おそらく兄は腹を立てて、
こう考えるでしょう。

「優しく起こしてやったのに、
どうして蹴ったりするんだ」。

彼は台所までやってきて、
あなたにそのことを
言いつけたいと思うかもしれないし、

あるいは妹を蹴りかえしたいと
思うかもしれません。

しかし兄は、ここで妹が昨晩とてもひどい咳を
していたのを思いだして、
体のぐあいが悪いのではないかと思います。

妹があんないやな言い方をしたのは、
きっと風邪をひいていたからだろう。

これに気づいて、はじめて兄は、
妹の反応がわかったのです。

妹の状況を理解してやると、腹は立ちません。
相手を理解すると愛さずにはおれなくなります。
腹など立てようがありません。

この理解するこころを育てるためには、
生きとし生けるものすべてを、
慈愛の目で見つめる練習をすればよいのです。

あなたが理解すれば、
愛はひとりでに育ちます。

あなたがひとりでも愛を実践すれば、
自然にほかの人たちの苦しみを
解き放てるような行ないができるのです。




次回につづく


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2008-02-23 | 瞑想法 |  コメント : 2  |  tb : 0

Comment

日本人にとって「愛」ほど使いにくい言葉はない。
アメリカ人はいとも容易に I LOVE YOU などと
言っていますが・・・

わたしは日本人が「わたしはあなたを愛してる」と
日常生活のなかで使ったのを聞いたことがない。

だから、愛=理解といわれても、やっぱりピンと
こないのはいたしかたないことなのだろか・・・


「恕(じょ)」という言葉が「愛」に近いともいわれる。

他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり。
他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情。

この「思いやり」といった部分を「理解」ととれば
取れなくもないから、ティク・ナット・ハンさんの
いわれることも理解できるのではあります。



2008-02-23 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

理解と愛は一つのもの

理解と愛はふたつ別々のものではなく ひとつのもの。
相手を理解すると愛さずにはおれなくなります。

相手を理解するのは愛なのかあ・・。

やまんば、自分のことにばかりかまけていて、友人を失くしかけたことが何度かあります。一つのことに夢中になりすぎるのがいけません。周囲が見えなくなるのです。
突然おこられたり、「もう貴女は必要でなくなった」なんて、悲しい言葉を突きつけたりするのです。やまんばは慌てて理由を探す。そんなときは相手が弱っていることが多いです。どんなに相手のことを好きでも、行動でしめさなければならないのだと、思い知るのです。(植物にお水や肥料をあげるように、周囲に目をむけ、自分で出来るささやかなことでも気がついたら、行動にうつさなければならないのだと思いました)自分のことばかりかまけていると、時々神様からしかられます。
相手を理解するってやまんばはむつかしい課題です。見当はずれの理解も多々あるようですから・・・。

2008-02-23 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]

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