碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

(続々々)食養生でいちばん大切なこと

五木寛之・帯津良一 著「健康問答」平凡社より(78)


五木 お酒は、焼酎の水割りを一杯、飲むか飲まないか
ですね。昔は、文壇酒豪番付の張出大関までいったことが
あるんですが(笑)。

煙草も、戦後、十三のときから吸っていましたけど、
四十三でやめたんです。やめようと思ってやめたんじゃ
なくて、吐く息が吐けなくなってきましてね。
吸うのは、すえるんですけど。

帯津 肺気腫かな。でも、現在はよくなっているんです
から、ちがいますね。


肺気腫というのは、簡単にいえば肺の弾力がなくなって
起こる病気ですから、いったん落ちた弾力が回復するって
ことは考えにくい。

煙草の刺激で、一時的に肺機能が落ちたということ
なんでしょうかねえ。
 
五木 それで、地下鉄に乗れなくなってしまったんですよ。
乗るともう息ができなくなって。それで自然と煙草から
遠ざかった。

ですから、酒を飲む時期は、飲む。あんまり飲まなくなる
ときは、自然に飲まなくなる。煙草も、まあ、吸うことが
苦痛なときは、自然と離れます。

そう考えてみると、禁酒にしろ、禁煙にしろ、
「わが計らい」では、無理だと思うんです。

これは「自然法爾」という言葉に尽きると思うんですが、
「わが計らいにあらず」という心境になれたのが、
五十くらいからでしょうか。

三年ほど前、百のお寺をまわろうなどという、
むちゃな計画を立ててまわっていたんです。

もし途中でできなくなったら、迷惑をかけるなあとも
考えたんですが、目に見えない大きな、天の声というか、
他力というか、

そういうものが「お前、これやれよ」ということで、
この話が舞いこんできたのであって、こちらが「やりたい、
やりたい」と、あちこちに頼みまわってやったことじゃない。

そういう天命が下ったんだから、「このへんでいいよ」と
いわれればやめればいい。「いや、ちゃんと最後までやれ」
というのが天命であれば、最後までいけるだろうと思って
いました。

ほんとうに、百回の旅の途中で大きな事故もなく、台風が
一日ずつずれるなんていうラッキーなこともいろいろあり
ましたけど、

終わったときには、自分の「計らい」というものは、
知れたものだと感じましたね。



次回につづく


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2008-02-20 | 健康法 |  コメント : 9  |  tb : 0

Comment

自力の努力が必要

 ということで、自力=他力ということでよろしいでしょうか?

 ひたすら努力を続ければ、天も味方になってくれるということだと思うのですが。

 自力=地力、つまり、地の力だけでは、成就せずに、他力の天の援助を必要とするということと、私は解しております。

 物事全てには、順序と道理があり、成就するには、時を必要とするわけで、無理押し、ゴリ押しはよくないということの戒めでもあると思うわけです。

 ろくろくさまは、若いときに自力でやられた経験があるから、そのような境地に到達できたので、はじめから、自力でやらない人たちには、悟れない境地だと思います。

 イチロー選手も、松坂選手も、自ら野球をやろうと思わなければ、プロ選手にはなっていないでしょうし、たとえ、天から、そのように仕組まれていても、本人が同意しなければ、途中で、挫折していたでしょう。

 特にイチロー選手の場合は、父親も存在も大きいですが、本人は並々ならぬ努力者です。もし、野球が嫌いなら、父親に反発してでも、やらなかったはずです。

 本人には自力を自力とも思わない無意識さがあるからこそ、天の力、生かされていることが悟れるように思うわけです。 

2008-02-21 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

鉛と亜鉛は、全く別物

じつは、わたしも鉛と亜鉛は別物かもしれない
と思っておりました。でも、賢い錬金術者さんが
間違いを指摘しておられないので、

鉛と亜鉛は、同じものなんだと思ってしまいました。
ろくに調べもせずに勝手なことをコメントして
すみませんでした。

まあ結果的に花粉症が治ったのですからよかったです。
亜鉛で花粉症が治った人は、ネット上ではいろいろと
おられるようでした。



2008-02-20 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

他力本願とは

「そんな他力本願みたいな情けないことで
どうするんですか」というように、
自分ではちっとも努力しないで、

ものごとをほかの人にまかせてしまう、
という意味でよく使われますが、違うのです。


人事をできるだけ尽くし、もう人事(自力)では、
やることが無くなったから、自然(他力)に任せる
という意味ではないのです。

大リーグで活躍しているイチロー選手や松坂投手。

彼らが活躍できるのは、両親(他力)がいて、
彼等の能力を引き出した監督やコーチ(他力)がいた
からだし、粘り強く練習を繰り返し続けることが
出来たのも、そのような生まれ育ち(他力)があった
からだというのです。

「人事をできるだけ尽くし」というのは
「人事(自力)をできるだけ尽くすことができる
ような天分(他力)」の持ち主という意味。

もう人事(自力)では、やることが無くなったから、
自然(他力)に任せるという意味はなくて、

人事(自力)を尽くせる天分(他力)にまかせる
ということになるのであります。


2008-02-20 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

わが計らいにあらず

天命とは
人の力で変えることのできない運命
という意味で「自然法爾」と同義語

「自然法爾」とは
「おのづからしからしむ」

自然とは「おのずからそのようになる」ことで、
人為的なもののない状態、あるいは
いかなる人為をもってしてもしょせん無駄で、
落ち着く所に落ち着くという意味。

自然と法爾とは、同義ですから、
「自然と法則どおりになる」という意味。


「自然法爾」=「わが計らいにあらず」
という心境になってきたのが、五木さんは
五十くらいからだとおっしゃってますが、
私の場合はもう少し後でしょうか。

五十歳になるまでは自力のみでしたね。



自然法爾ということ

http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub9722jinen.htm


2008-02-20 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

錬金術の鉛とは

 現代化学が、中世の錬金術を基に命名しているので、中世の命名の意味が曲解されておるが、この事は、ギリシャ時代の4大元素についても、同じだが、本来の意味は、物質的存在を命名したものでなく、霊的存在で、いまでいえば、さしずめ、エネルギーの形態、入れ物、器のことを指すじゃ。

 ギリシャ時代の4大元素とは、火、風、水、土で、いまでいえば、それぞれ、熱、気体、液体、固体のことを指すわけじゃ。現代科学では、相転移と呼んでいるが、ギリシャ時代は、霊で区別していたわけじゃ。

 この事と同じように、中世の錬金術でいう金属は、現代の金属名とは違い、早くいえば、「気」の流れやその形態を表すものといえるじゃ。

 つまり、現代科学が、物質名をアルファベットを用いた化学命名で表現するのと同じで、「気」の流れを、錬金術命名で表現するわけじゃ。

 だから、必ずしも、物質名=錬金術名ではないじゃ。

 例えば、現代科学では、元素を、電子と原子核の配列で、周期的に命名するが、錬金術は、気の流れを、いまでいう金属名の形態で、命名するわけじゃ。金属名は、遡ると、天体名からきているわけじゃ。

 この事は、例えば、現代科学でいう核分裂と、核融合は、その背景の元素の原子核遷移の記述に帰されるわけだが、錬金術では、気の流れの金属名で表し、例えば、植物などをモデルにして、生命力の記述に帰しているわけじゃ。この東洋哲学版が、易経じゃ。

 だから、錬金術でいう鉛の作用といえば、植物の花や種子形成力を意味するわけじゃ。

 植物の花や種子は、地表から、天に伸びるように、魂に向かって、気を伸ばす働きがあるので、鉛の生命力は、魂の過剰な力に対抗し緩める働きがあると命名されているわけなんじゃね。

 この力は、天体でいう土星の、地球への働きと同じで、この土星の地球への働き、力が、地中に鉛を生み出すというわけじゃ。

 宇宙であるマクロコスモスと、人間のミクロコスモスが対応関係にあることから、鉛の形成力が、人体になんらかの作用を行うわけで、その鉛の作用が、植物においては、花-種子形成力に発見されるというわけなんじゃね。

 だから、鉛の代わりに、植物の花-種子形成力を、そのまま、人体の魂の強い作用に対抗する為に、用いることもできるわけじゃ。

 人体にどのように反映させるかは、消化力等の個性があり、この適応に技術を要するのは、現代医学での物質操作技術と同じなわけじゃ。

 ただ、気の方が、目にみえないから、遥かに困難であることは確かである。物質の背後にある「気」の流れを読み取らないといけないわけであるからじゃ。

2008-02-20 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

勘違いに気づきました!

 もしや、ろくろくさまは、鉛と亜鉛を勘違いしてはいないでしょうか? 

 「亜鉛のサプリをとったら、花粉症に罹らなくなった」とありましたが、亜鉛のサプリと、私がいっている鉛不足は、本来、別物ですじゃ。

 私もついうっかり、未熟なもので、鉛と亜鉛を取り違いておりました。いうまでもなく、金属の鉛と亜鉛は、全く別物ですじゃ。

 しかし、自然においては、鉛と亜鉛は、一緒に鉱物としてみつかるので、自然のなかでは、似たような働きをしていることがわかりますじゃ。

 しかし、注意すべきことは、いうまでもなく、多量の金属を摂取するのは有毒となりますじゃ。地球のなかの、金属の存在量と同じように、いわゆる金属の原子番号は、地球での存在量から推測され、決められていますが、地球全体からすれば、非常に微々たるものなわけですじゃ。

 微々足るものでも、その効果は非常に大きいわけですじゃ。

 しかし、このような微々たるものの影響が微妙に、人体のなかの平衡状態に影響を与えるわけなので、鉛と亜鉛の微々足る取り違いが大きな影響を与えんとも限りません。ホメオパシーの原理は、この微々足る存在にあるわけですじゃ。

 しかし、ろくろくさまの場合は、亜鉛サプリにより、恐らく金属の亜鉛とは、全く異なるものを摂取したことで、上部の炎症傾向が緩和されたのであるなら、本来、秘教でいう鉛の作用の、上部の魂の過剰な働きが抑えられたといえるわけですじゃ。

 しかし、鉛と亜鉛は全く別物ですが、ろくろくさまのなかでは、同じような効果をもたらしたとも考えられるわけです。例えば、亜鉛サプリを飲むことで、よく眠れるようになったとかの、経験があれば、その効果が支持されますじゃ。

 前にも書きましたが、上部の過剰な魂を抑える作用は、色々あり、「気」を強めることで、「魂」の活動を抑えることや、人体下部の活動を正常に戻すことで、特に消化等の過剰な新陳代謝活動を緩めること等が挙げられますじゃ。

 ろくろくさまの場合は、亜鉛のサプリの効果というよりも、この下部活動を正常に戻した効果が大きいのではないかとも考えられますじゃ。

 ともかくも自分なりの治療法をみつけたのは素晴らしいことには変わりないですが、その治療原理がわからないのに、体質が異なる他者に薦めるのはあまりいいとはいえませんね。

 錬金術者の使う金属名は、現在の金属ではなく、金属を存在させている結晶構造や、形態のことですじゃ。

 だから、例えば、液体状の金属全般を、水銀と呼んだのですじゃ。金属の水銀は、つまり、錬金術者のいう水銀の一部でしかないですじゃ。

 空海が探した水銀というのは、恐らく、錬金術者が呼ぶ水銀で、天の力、宇宙の球形の形成力、生命力のことだと思いますじゃ。

 だから、錬金術でいう、銀不足とか、鉛不足とかは、現代用語とは、異なるので注意したいです。うっかり、間違えてしまうのは、現代教育の申し子でもあるからで、困りますですじゃ。

2008-02-20 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

問わなければ答えは得られない

 「虎穴に入らずんば虎子を得ず」といわれるように、学問は、問うことの大切さを説いているといえるじゃ。

 秘教では、宇宙、自然を大宇宙、つまりマクロコスモスと呼び、人間自体を、小宇宙、つまりミクロコスモスと呼び、これは、人間は、宇宙のそっくりそのままの生き写しであるという意味で、つまり、聖書にある、人間は、神に似せてつくられたというのと同義であるわけじゃ。

 つまり、人間が日々、宇宙、自然、いわゆる外界を感じれるのも、宇宙と人間が、同じ構造をもつから、生まれえるわけじゃ。

 人間と宇宙がまるっきり無関係だったら、人間は、宇宙を感じることができないわけじゃ。同様に、人間が神という存在を語れるのも、人間と神が似たような存在を持っているからといえるわけじゃね。

 だから、人間のなかには、既に答えが秘められているわけじゃ。自然、宇宙の出来事は、予め、人間のなかにもある。つまり、あらゆる解決法は、既に人間のなかに眠っておるわけじゃ。

 その巨大なデーターベースのような存在を魂と呼ぶわけじゃ。データーベースを経験から検索し、取り出すのは、霊、つまり自我であるじゃ。

 体験から、何を検索し、知識を叡智として経験するかは、霊の自由、つまり、自我本人の意志の問題で、生き方にある。
 
 つまり、何を問うかじゃ。

 日常の自然現象のなかから、何かの問いを見つけ、知り、知識を得るが、それだけでは、ダメで、自由意志をもって、自らに問う態度が要求されるわけじゃ。

 例えば、ある病気に罹り、治療法を知識として得ても、知識だけでは、経験が足らず、病を克服できないが、経験を得るために、自らに問い、悩み続けるなら、寝ている間に、日常のその病と闘った経験が整理され、知識と経験が、自分のなかで融合され、自らが治療法という叡智になり、病が克服されるというじゃ。

 よく悩み続けていると、枕元に仙人のような人が現れて、解決法を教えてくれる夢をみるのは、このような例といえるじゃ。

 自らに問うなら、得られるはずじゃ。

2008-02-20 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

人事を尽くして天命を待つ

 ろくろくさま、やまんばさまのおっしゃるとおりだけども、あまりに他力本願を強調しすぎると、何にもやらないことが、さも美徳であるように、曲解され、現代の風潮になってしまうのも困りもんですじゃ。

 本人としては、できるだけのことをやったから、天命を知ることができるわけですじゃ。何も行動をおこさずに、あちらから、勝手に天命が下るということはありませんじゃ。

 やはり、本人がそのことで悩んでいるから、天命を悟れるわけで、はじめから、悩まずにいて、天命が下るのは、虫のよすぎるお話じゃね。

 この事は、同じように、老子の「無為自然」も、何もしない他力本願のように曲解されることがあるが、そうではなくて、人事をできるだけ尽くし、もう人事では、やることが無くなったから、自然に任せるという意味が、秘教的解釈なんじゃね。

 だから、一般的に言われている、孔子の主張の通り、積極的に何事も為す姿勢が、前提になければいけないわけで、孔子と老子は、そういう意味で、セットになっている教えといえるわけじゃ。

 タバコや酒に関しても、何度も止めようという自覚があるから、他力に頼れるわけで、はじめから、他力に頼って、喫煙や飲酒を正当化するのは、大間違いの素といえるわけじゃね。

 現代人は、ひねくれた思考をするので、他力というと、そんなら、結局、止めるのは無駄な努力だから、何もしないと安易に考えてしまうわけじゃ。

 これでは、何事も成就しないわけじゃね。

 このような天命他力本願主義は、大きな過ちで、昨今は、なんでも霊のせいにしたりという、心霊主義の悪しき体質をもたらしておるじゃ。

 このような心霊主義は、物質主義思考の真逆のもので、同じ性質をもっているわけじゃ。

 結局、他に任せて本人は何もしないというもんで、何かに支えてもらわないと価値観を見い出せない素となるじゃ。

 科学主義では、専門家がいうことをそのまま鵜呑みにし、科学者が言っているからと、本人の意志を捨ててしまうわけで、心霊主義でも、同じように、霊能者が言っているからと、本人の意志を捨ててしまうわけぞな。

 簡単に本人の意志を捨ててよいことなどあるわけがなく、捨てないように、天から人間には一人一人自由意志が委ねられているわけじゃね。
 
 だから、まず、自分の意志というものをしっかり持つことが大切じゃね。

2008-02-20 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

天命

みんなこの世に生をうけたのは、この天命にしたがったのだとおもいます。
だからやまんばは何も心配せずに生きようと思います。自分にとってマイナスに感じるときは、何かその天命にさからっているのかもしれないとおもって、それを探し、改めていきます。あらためないと、いつまでも、いつまでも形を変えてマイナスがやってくるからです。ホント!しつこいくらい^^。
なんだか、首根っこをつかまえられているようにおもうことさえあります。「こら!まだわからないのか!」って。困りますよ。なにせ、天の目からは隠れることができないから・・・^^。
とにかく、やれるとこまでやって、まあ、あとは流れに逆らわずおまかせするのが、一番うまくいく!と、しみじみ実感してるのでありまする。

2008-02-20 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]

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