(続々)食養生でいちばん大切なこと
五木寛之・帯津良一 著「健康問答」平凡社より(77)
五木 親友の医師なんですが、
煙草をやたら吸うんですよ(笑)。
以前は、「やめたい、やめたい」といいながら
吸っていたんですが、最近はいわなくなりました。
仕事が一段落ついたときに吸う一服、
さあ、やろうと思うときに吸う一服。
このニコチンで体が汚染されるとか、
血管が収縮するとかということは、わかっているけど、
そのときに感じる安堵感や、ストレスから解放される
感じ。
それから血圧を上げて、さあ、やろうという気持ちに
させる。この効用を差し引くと、害はあっても、この
ほうがいいと納得したといって吸っていますね。
帯津 私も煙草のことは、よく患者さんのご家族から
いわれるんです。私自身はもともと吸わないんですけど、
ある患者さんの奥さんから「この人は、煙草をやめなくて、
もう、しょうがない。先生から、もっときびしくいって
ください」っていわれましてね。
一日に何本、吸うんですかと聞いたら三本だっていうんです。
だったら、その三本を、一本ずつものすごく楽しんで喫むん
じゃないでしょうか。これは、養生になると思うんです。
まず、朝一本目をいつ喫むか、で、喫んだあと、あと二本、
これをいつ喫むかって、この楽しさは、ほかにない。
五木 それは、喫んでいるときの恍惚感もあるでしょうけど、
期待感がいいんですね。
帯津 お酒についても、同じことがいえます。
たとえガンの手術を終えた患者さんでも、飲みたい、
というなら無理には止めません。
家でおいしいものを食べて、楽しみながらのむという程度
ならかまいませんよ、と。あれもだめ、これもだめと、
無理に我慢することで、ストレスをため、精神的に不安定に
なると自然治癒力を低下させることにつながるでしょう。
私なんかも、仕事を終えて、夜、一杯やるのが、最大の
楽しみなんです。李白が「三盃大道に通じ、一斗自然に合す」
と詠んでいるように、酒は昔から養生法のひとつなんですね。
酒は気持ちをリラックスさせ、体を温めます。
いまをときめく新潟大学の安保徹教授の研究によれば、
これはどちらも、リンパ球を増やして免疫力を高めることに
なります。
安保先生が、酒は養生法であるということを、現代医学的に
証明してくれたのですからありがたいですよ。養生法である
以上、一日たりとも休んではいけません。休肝日なんて
もってのほかなんです(笑)。
身をもって実践しているのでまちがいありません。だから
「健康法は?」と問われると「朝の気功に夜の酒」と答える
ようにしています。五木さんは、お酒はどうですか。
次回につづく
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五木 親友の医師なんですが、
煙草をやたら吸うんですよ(笑)。
以前は、「やめたい、やめたい」といいながら
吸っていたんですが、最近はいわなくなりました。
仕事が一段落ついたときに吸う一服、
さあ、やろうと思うときに吸う一服。
このニコチンで体が汚染されるとか、
血管が収縮するとかということは、わかっているけど、
そのときに感じる安堵感や、ストレスから解放される
感じ。
それから血圧を上げて、さあ、やろうという気持ちに
させる。この効用を差し引くと、害はあっても、この
ほうがいいと納得したといって吸っていますね。
帯津 私も煙草のことは、よく患者さんのご家族から
いわれるんです。私自身はもともと吸わないんですけど、
ある患者さんの奥さんから「この人は、煙草をやめなくて、
もう、しょうがない。先生から、もっときびしくいって
ください」っていわれましてね。
一日に何本、吸うんですかと聞いたら三本だっていうんです。
だったら、その三本を、一本ずつものすごく楽しんで喫むん
じゃないでしょうか。これは、養生になると思うんです。
まず、朝一本目をいつ喫むか、で、喫んだあと、あと二本、
これをいつ喫むかって、この楽しさは、ほかにない。
五木 それは、喫んでいるときの恍惚感もあるでしょうけど、
期待感がいいんですね。
帯津 お酒についても、同じことがいえます。
たとえガンの手術を終えた患者さんでも、飲みたい、
というなら無理には止めません。
家でおいしいものを食べて、楽しみながらのむという程度
ならかまいませんよ、と。あれもだめ、これもだめと、
無理に我慢することで、ストレスをため、精神的に不安定に
なると自然治癒力を低下させることにつながるでしょう。
私なんかも、仕事を終えて、夜、一杯やるのが、最大の
楽しみなんです。李白が「三盃大道に通じ、一斗自然に合す」
と詠んでいるように、酒は昔から養生法のひとつなんですね。
酒は気持ちをリラックスさせ、体を温めます。
いまをときめく新潟大学の安保徹教授の研究によれば、
これはどちらも、リンパ球を増やして免疫力を高めることに
なります。
安保先生が、酒は養生法であるということを、現代医学的に
証明してくれたのですからありがたいですよ。養生法である
以上、一日たりとも休んではいけません。休肝日なんて
もってのほかなんです(笑)。
身をもって実践しているのでまちがいありません。だから
「健康法は?」と問われると「朝の気功に夜の酒」と答える
ようにしています。五木さんは、お酒はどうですか。
次回につづく
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やりたくないことはやらない
2008-02-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
アルコールは、過去に留まらせる
錬金術者さんのコメントはいつもハッとする
ところがあり、大変参考になります。
今回も特に興味深かったところを下に抜書き
させていただきました。ありがとうございました。
「アルコールは、モノを保管するのに役立つ薬じゃ。
よい意味で、消毒も行うが、つまりは、細菌には毒で、
菌の発展を阻み、過去のままに留まらせる効果がある」
「そのアルコールを血液中に入れると、
発展が巧くいかなくなるわけじゃね。
自我のなかに、昔のままに留まりたい部分と、
新しく生まれ変わりたい部分に分かれてくる」
「大まかに言えば、血液のなかにいわば新旧の闘いが
起こるわけじゃ。すると、古い部分が、外界の認識を止め、
人体内の認識に止まり始めるわけじゃ」
「すると、通常の外界からくる感覚を止めざるを
得なくなるわけで、覚醒の感覚が鈍ってくる。
例えば、人体内の消化の感覚等に移行するようになり、
通常の空間の感覚を失ったりするようになるわけじゃ」
「あまりに飲みすぎると、消化の世界を、
外界だと思うような錯誤が生まれ、運動能力が錯綜して、
いわゆる乗り物酔いと同じ感覚になるわけじゃね」
「人体内を外界だと勘違いしてしまうわけじゃ」
やっぱり、アルコールを飲んだ後に車を運転するのは
大変危険なんですね。
ところがあり、大変参考になります。
今回も特に興味深かったところを下に抜書き
させていただきました。ありがとうございました。
「アルコールは、モノを保管するのに役立つ薬じゃ。
よい意味で、消毒も行うが、つまりは、細菌には毒で、
菌の発展を阻み、過去のままに留まらせる効果がある」
「そのアルコールを血液中に入れると、
発展が巧くいかなくなるわけじゃね。
自我のなかに、昔のままに留まりたい部分と、
新しく生まれ変わりたい部分に分かれてくる」
「大まかに言えば、血液のなかにいわば新旧の闘いが
起こるわけじゃ。すると、古い部分が、外界の認識を止め、
人体内の認識に止まり始めるわけじゃ」
「すると、通常の外界からくる感覚を止めざるを
得なくなるわけで、覚醒の感覚が鈍ってくる。
例えば、人体内の消化の感覚等に移行するようになり、
通常の空間の感覚を失ったりするようになるわけじゃ」
「あまりに飲みすぎると、消化の世界を、
外界だと思うような錯誤が生まれ、運動能力が錯綜して、
いわゆる乗り物酔いと同じ感覚になるわけじゃね」
「人体内を外界だと勘違いしてしまうわけじゃ」
やっぱり、アルコールを飲んだ後に車を運転するのは
大変危険なんですね。
2008-02-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
禁酒、禁煙法
「やりたくないことはやらない」
というのと、タバコや酒に溺れる人というのは
ちょと違うと思うんじゃね。
「やりたくないことはやらない」人というのは
「できるだけ他人に迷惑がかからない限り」という
前提があるのであります。
タバコや酒に溺れる人というのは、周りの人に
迷惑がかかっているということに気づかないか、
他人に鈍感な人ということになるんじゃないかね。
そもそもタバコや酒を自力のみで止めようということが
間違っていると思うじゃ。
わたくしのように、息子が入学した学校が禁酒、禁煙の
厳しいプロテスタント系の学校であった。
まあこれを利用(他力)させて頂いてみごとに禁煙に成功
したのでした。
かわいい娘が涙ながらに止めるように訴えるのを活用
するとか、会社で禁煙マラソンがあれば参加するとか
五木さんがおっしゃるように「他力の風」が吹いて
きたらそれを利用して自分もその風に乗って自己暗示
を入れる。
禁煙は誰も簡単にできない。だからやりがいがある。
誰もが出来ないことをオレはやる。と自尊心をくすぐれば
禁煙が「やりたいこと」になるのであります。
というのと、タバコや酒に溺れる人というのは
ちょと違うと思うんじゃね。
「やりたくないことはやらない」人というのは
「できるだけ他人に迷惑がかからない限り」という
前提があるのであります。
タバコや酒に溺れる人というのは、周りの人に
迷惑がかかっているということに気づかないか、
他人に鈍感な人ということになるんじゃないかね。
そもそもタバコや酒を自力のみで止めようということが
間違っていると思うじゃ。
わたくしのように、息子が入学した学校が禁酒、禁煙の
厳しいプロテスタント系の学校であった。
まあこれを利用(他力)させて頂いてみごとに禁煙に成功
したのでした。
かわいい娘が涙ながらに止めるように訴えるのを活用
するとか、会社で禁煙マラソンがあれば参加するとか
五木さんがおっしゃるように「他力の風」が吹いて
きたらそれを利用して自分もその風に乗って自己暗示
を入れる。
禁煙は誰も簡単にできない。だからやりがいがある。
誰もが出来ないことをオレはやる。と自尊心をくすぐれば
禁煙が「やりたいこと」になるのであります。
2008-02-19 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
漠然とでなく具体的に!
誰しも「やりたくないことはやりたくない」のは当然じゃし、タバコや酒に溺れる人は、溺れたいのが心情というとこじゃろうね。
しかし、これでは、進歩がないじゃ。
もっと、具体的に考えないといけないわけじゃ。なぜ、やりたくないと思うのか? 雑用だからか? 面倒臭いのが嫌いだからか? 或いは、苦手だからか? という風に、自分の奥底に眠っている価値観をあぶりださないと、せっかく、「やりたくない」と思ったことに対して、自分発見の機会が損なわれるわけじゃ。
同じように、なぜ、タバコや、酒が止められないのか? 科学的に身体に悪いとわかっていても、止められないのは、やはり、そこに意志の弱さが眠っているわけじゃね。
科学者に多いのが、科学的に立証されていることを主張しているのにも関わらず、その本人、自分だけは、その主張から外れていると錯覚しているところじゃね。
普遍的価値観が大切だというのなら、主張でいうのではなく、態度で示すべきだろうね。
科学者を観察していると、その生活が、全く科学的でなく、矛盾だらけなのに気がつく。だったら、その主張を取り下げるべきだと思う位じゃ。
「タバコや酒をやめろ」というのは、価値観を押し付けることで、科学的というと、さも金科玉条のごとく、権威を傘にするから、独断と偏見に陥りやすいので、まず、自らが止めてみることじゃ。
科学者は、身体に悪い、タバコと酒を禁止にすべきじゃね。そうすると、身体によい例を、科学者は持ち出してくるじゃろうが、それはとどのつまり、自分たちのエゴでやっているということになるわけじゃね。少なくとも、人類の幸せの為にやっていることにはならんね。
自らが止めてみて、自らのその行動を通して、他者を感化させていくべきだと思うわけじゃ。
改革というのは、まず、隗よりはじめよ!で、自分から率先して、はじめなければいけないもんじゃ。でないと、大嘘つきになるわけじゃ。
身体によいとか、悪いとか言う前に、タバコと酒がもっと、具体的にどういう働きをもたらすのかを考えるべきじゃ。
秘教的には、タバコと酒は、できるだけ避けるのが望ましいが、それも、強制ではなく、自主的に行わなければ意味がないじゃ。他者からいわれて止めるのは、自主的にタバコや酒をやるよりも悪いといえる。
その意味は、魂の自由が奪われるからじゃ。魂の能力は無限じゃ。何々をするなといわれたら、その分、魂は萎縮してしまい、無意識に影をつくり、そこに篭るわけじゃ。
止めろといわれても、どうしても、魂は表現をあきらめないから、歪な形で、表出してしまうわけじゃ。魂から自主的に納得して、止めないと止める意味がないわけじゃ。つまり、意識の問題じゃ。
例えば、タバコを吸いたいが、タバコは禁止されているので、本人の意識としては、タバコは吸わないが、本人とはまた別の無意識の存在を、魂は作り出して、代替的に、その無意識の人物に吸わせることにするわけじゃ。
そうすると、今度は、この無意識の存在が、本当の存在に、タバコを吸いなさいと命令するようになるわけじゃ。
いつも、隠れている無意識の存在は嫌なので、ふとした切欠や、本当の存在の意識が薄弱になると、その嘘の存在が現れてくるわけじゃ。
そうして、自己のなかで葛藤をはじめ、ついには、どちらが本当の自分なのかわからず、精神分裂気味になっていくわけじゃね。病気というものは、皆、このような感じといえるじゃ。
だから、何事も意識的に行うことが大事じゃね。
秘教では、タバコは、一種の酸欠を引き起こし、血液に一種の恐怖感を与えるというじゃ。呼吸のリズムが狂うわけじゃね。
その恐怖を埋める為に、またタバコを吸うわけで、するとまた更に恐怖が増し、更に恐怖を埋める為に、タバコを吸うという連鎖の繰り返しに陥るわけじゃ。だから、喫煙者はタバコを吸わずにいられなくなるわけじゃ。
そして、ついには、血液の脈動が徐々に速くなってくるので、心臓が肥大してくるわけじゃ。すると、通常の体質よりも、負荷が掛かってくるので、心筋梗塞等になりやすくなるわけじゃ。
血液に恐怖感が増すと、怒りっぽくなるのも、このせいといえるじゃろう。逆にタバコを吸えると、不安が安らぐわけで、まぁ、だから麻薬と同じじゃね。
酒に関しては、確かに、古代人には、薬の働きもし、キリストも、庶民にワインを振舞ったが、それは、現代人とは、身体構造が違うので、もはや昔の話であるぞ。
現代人は本来なら酒も厳禁といわねばならんじゃ。特に、秘儀参入を試みる修行僧などは、厳禁じゃね。なぜなら、酒は、自我を分裂させる働きがあり、自我を留まらせる作用があるからじゃ。
アルコールは、モノを保管するのに役立つ薬じゃ。よい意味で、消毒も行うが、つまりは、細菌には毒で、菌の発展を阻み、過去のままに留まらせる効果があるわけじゃ。
そのアルコールを血液中に入れると、発展が巧くいかなくなるわけじゃね。自我のなかに、昔のままに留まりたい部分と、新しく生まれ変わりたい部分に分かれてくるわけじゃ。
大まかに言えば、血液のなかにいわば新旧の闘いが起こるわけじゃ。すると、古い部分が、外界の認識を止め、人体内の認識に止まり始めるわけじゃ。
すると、通常の外界からくる感覚を止めざるを得なくなるわけで、覚醒の感覚が鈍ってくるわけで、例えば、人体内の消化の感覚等に移行するようになり、通常の空間の感覚を失ったりするようになるわけじゃ。
あまりに飲みすぎると、消化の世界を、外界だと思うような錯誤が生まれ、運動能力が錯綜して、いわゆる乗り物酔いと同じ感覚になるわけじゃね。
人体内を外界だと勘違いしてしまうわけじゃ。
太古では、集団自我から、個別の自我を生み出すために、酒は、薬として有る程度、役割を果たしてきたわけじゃ。だが、いまは酒はもはや薬というよりも、有毒といえるじゃね。
しかし、これでは、進歩がないじゃ。
もっと、具体的に考えないといけないわけじゃ。なぜ、やりたくないと思うのか? 雑用だからか? 面倒臭いのが嫌いだからか? 或いは、苦手だからか? という風に、自分の奥底に眠っている価値観をあぶりださないと、せっかく、「やりたくない」と思ったことに対して、自分発見の機会が損なわれるわけじゃ。
同じように、なぜ、タバコや、酒が止められないのか? 科学的に身体に悪いとわかっていても、止められないのは、やはり、そこに意志の弱さが眠っているわけじゃね。
科学者に多いのが、科学的に立証されていることを主張しているのにも関わらず、その本人、自分だけは、その主張から外れていると錯覚しているところじゃね。
普遍的価値観が大切だというのなら、主張でいうのではなく、態度で示すべきだろうね。
科学者を観察していると、その生活が、全く科学的でなく、矛盾だらけなのに気がつく。だったら、その主張を取り下げるべきだと思う位じゃ。
「タバコや酒をやめろ」というのは、価値観を押し付けることで、科学的というと、さも金科玉条のごとく、権威を傘にするから、独断と偏見に陥りやすいので、まず、自らが止めてみることじゃ。
科学者は、身体に悪い、タバコと酒を禁止にすべきじゃね。そうすると、身体によい例を、科学者は持ち出してくるじゃろうが、それはとどのつまり、自分たちのエゴでやっているということになるわけじゃね。少なくとも、人類の幸せの為にやっていることにはならんね。
自らが止めてみて、自らのその行動を通して、他者を感化させていくべきだと思うわけじゃ。
改革というのは、まず、隗よりはじめよ!で、自分から率先して、はじめなければいけないもんじゃ。でないと、大嘘つきになるわけじゃ。
身体によいとか、悪いとか言う前に、タバコと酒がもっと、具体的にどういう働きをもたらすのかを考えるべきじゃ。
秘教的には、タバコと酒は、できるだけ避けるのが望ましいが、それも、強制ではなく、自主的に行わなければ意味がないじゃ。他者からいわれて止めるのは、自主的にタバコや酒をやるよりも悪いといえる。
その意味は、魂の自由が奪われるからじゃ。魂の能力は無限じゃ。何々をするなといわれたら、その分、魂は萎縮してしまい、無意識に影をつくり、そこに篭るわけじゃ。
止めろといわれても、どうしても、魂は表現をあきらめないから、歪な形で、表出してしまうわけじゃ。魂から自主的に納得して、止めないと止める意味がないわけじゃ。つまり、意識の問題じゃ。
例えば、タバコを吸いたいが、タバコは禁止されているので、本人の意識としては、タバコは吸わないが、本人とはまた別の無意識の存在を、魂は作り出して、代替的に、その無意識の人物に吸わせることにするわけじゃ。
そうすると、今度は、この無意識の存在が、本当の存在に、タバコを吸いなさいと命令するようになるわけじゃ。
いつも、隠れている無意識の存在は嫌なので、ふとした切欠や、本当の存在の意識が薄弱になると、その嘘の存在が現れてくるわけじゃ。
そうして、自己のなかで葛藤をはじめ、ついには、どちらが本当の自分なのかわからず、精神分裂気味になっていくわけじゃね。病気というものは、皆、このような感じといえるじゃ。
だから、何事も意識的に行うことが大事じゃね。
秘教では、タバコは、一種の酸欠を引き起こし、血液に一種の恐怖感を与えるというじゃ。呼吸のリズムが狂うわけじゃね。
その恐怖を埋める為に、またタバコを吸うわけで、するとまた更に恐怖が増し、更に恐怖を埋める為に、タバコを吸うという連鎖の繰り返しに陥るわけじゃ。だから、喫煙者はタバコを吸わずにいられなくなるわけじゃ。
そして、ついには、血液の脈動が徐々に速くなってくるので、心臓が肥大してくるわけじゃ。すると、通常の体質よりも、負荷が掛かってくるので、心筋梗塞等になりやすくなるわけじゃ。
血液に恐怖感が増すと、怒りっぽくなるのも、このせいといえるじゃろう。逆にタバコを吸えると、不安が安らぐわけで、まぁ、だから麻薬と同じじゃね。
酒に関しては、確かに、古代人には、薬の働きもし、キリストも、庶民にワインを振舞ったが、それは、現代人とは、身体構造が違うので、もはや昔の話であるぞ。
現代人は本来なら酒も厳禁といわねばならんじゃ。特に、秘儀参入を試みる修行僧などは、厳禁じゃね。なぜなら、酒は、自我を分裂させる働きがあり、自我を留まらせる作用があるからじゃ。
アルコールは、モノを保管するのに役立つ薬じゃ。よい意味で、消毒も行うが、つまりは、細菌には毒で、菌の発展を阻み、過去のままに留まらせる効果があるわけじゃ。
そのアルコールを血液中に入れると、発展が巧くいかなくなるわけじゃね。自我のなかに、昔のままに留まりたい部分と、新しく生まれ変わりたい部分に分かれてくるわけじゃ。
大まかに言えば、血液のなかにいわば新旧の闘いが起こるわけじゃ。すると、古い部分が、外界の認識を止め、人体内の認識に止まり始めるわけじゃ。
すると、通常の外界からくる感覚を止めざるを得なくなるわけで、覚醒の感覚が鈍ってくるわけで、例えば、人体内の消化の感覚等に移行するようになり、通常の空間の感覚を失ったりするようになるわけじゃ。
あまりに飲みすぎると、消化の世界を、外界だと思うような錯誤が生まれ、運動能力が錯綜して、いわゆる乗り物酔いと同じ感覚になるわけじゃね。
人体内を外界だと勘違いしてしまうわけじゃ。
太古では、集団自我から、個別の自我を生み出すために、酒は、薬として有る程度、役割を果たしてきたわけじゃ。だが、いまは酒はもはや薬というよりも、有毒といえるじゃね。
2008-02-19 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
健康法
やまんばの健康法ってなんだろう????
今は、自分の気持ちに正直に生きる・・ことだろうか?
「やりたくないことはやらない」
以前親しい人から、この言葉が葉書いっぱいに書かれてあるのををいただいた。今も本箱の隅に立てかけています。
この言葉、けっこうやまんばには意味深く、自分を愛すること。と、人を愛すること。にまたがっているので、内部を観察して、バランスをとってきました^^。うまくいく日もあれば、単なるわがままで終わる日もある。そんな時、以前は深刻に受け止め心に葛藤がありましたが、今は「残念でした〜チ〜ン」といって眠れるようになりました^^。
今は、自分の気持ちに正直に生きる・・ことだろうか?
「やりたくないことはやらない」
以前親しい人から、この言葉が葉書いっぱいに書かれてあるのををいただいた。今も本箱の隅に立てかけています。
この言葉、けっこうやまんばには意味深く、自分を愛すること。と、人を愛すること。にまたがっているので、内部を観察して、バランスをとってきました^^。うまくいく日もあれば、単なるわがままで終わる日もある。そんな時、以前は深刻に受け止め心に葛藤がありましたが、今は「残念でした〜チ〜ン」といって眠れるようになりました^^。
2008-02-19 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
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このコメントはやまんばさんにあてたもので
本来一番下に来るはずのものでした。
ゴメンナサイ。m(u_u)m
やまんばさんのお友達は、
まるでわたしの心の深層を
掴んでいるような方ですね。
映画「かもめ食堂」(ろくろくの好きな映画の一つ)
で小林聡美の台詞がこれ。
「やりたいことは、何があってもやるんだから、
やりたくないことはやらない」んだよね。
今までの人生振り返っても、
「やりたくないことは、やってないな〜」
と思います。