--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2008年02月15日 (金) | Edit |
五木寛之・帯津良一 著「健康問答」平凡社より(73)


五木 帯津さんが前からおっしゃっている、ホリスティックな立場
というのは、もう、われわれ普通の人のあいだでは常識なのに、
それが、学界とか医学界では常識ではないなんて、納得がいかない
ですね。

いま、いちばん問題なのは、現場でやっている人たちと、いわば
ユーザーの人たちとのあいだのギャップが、非常に大きいことです。

今日もあるところでエレベーターに乗って、階数表示が小さな英語
で書かれており、色が同系色なものだから、読めないんですよ。

年を取ってきて、老眼になるのは当たり前なんだから、そういう人
たちに向かって、なんという不自由なデザインをするのだろうと。


昨日も新しい大きなホールに言ったんですが、出演者の控え室から
トイレまでが、階段を下りて、まわっていかなきゃたどり着けない
ような、とんでもない設計なんですね。

そういう意味で、病院でいうと、患者と医師のあいだ、それから
読者と編集者のあいだ、あるいは国民と政治家のあいだの格差と
いうものが、戦後六十年たっても、相変わらず埋まっていないと
いうのが現実だと思います。

帯津 柳原和子さんというガンの患者さんで、ルポライターの方が、
『がん患者学』という本を出されたときに、お会いしてお話したん
ですね。

彼女はガンになって病院にはいってみて、雰囲気がちょっとおかしい
なと感じたらしいんです。その場に感謝の念が漂っているのかと
思ったら、そうじゃない。

怒りと恨みが渦巻いている。それで、私はこの本を書く気になった
んです、というお話だったんです。「なぜでしょうか」と訊かれる
ので、

やはり患者さんの意識が変わってきて、ボディだけじゃなく、
マインドとかスピリットにも目を向けてくださいよ、考えているのに、
医療者の方が、相変わらずボディだけしか見ていない。

心と命のほうは、自分たちのあずかり知らないこととして、
まったく関心をもとうとしない。そのあいだのギャップが、感謝の念
を、怒りと恨みに変えちゃったんじゃないかという話をしたんです。

彼女は、それに対して賛成とも反対ともいってなかったですけどね。

五木 そういうことなんでしょうね。

帯津 ですから、もっと患者さんがのびのびとできる環境、そういう
「場」つくれれば、病気もよく治る、というと簡単すぎますけど、
もう少し、経過のいい人が増えてくると思うんです。

特効薬が出なくても、患者さんがはいると、ホッとするような医療の
「場」があれば、ずいぶんちがってくるでしょう。いま、ホッと
しませんね、ピリピリしちゃう。

ガンなどの病気になって病院を訪れると、いろんな恐怖とか、悲しみ
につつまれてしまいますからね。だから、そういうところから変えて
いかなきゃいけないと、うちの病院も、なんとかそういう方向に
持っていきたいと思っているんです。



次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
テーマ:モノの見方、考え方。
ジャンル:心と身体
コメント
この記事へのコメント
つむじは、人体を鉛中毒から守る
鉛の力を、跳ね返す力の源じゃという。


つむじがないと、つまり、「気」に、
鉛を跳ね返す力がないと、
人間は、いわば鉛中毒に罹ったようになり、

感覚に捉われ、感覚対象物、つまり見るもの、
聞くものに自分を愛着してしまうわけで、
よく言えば、ホレ薬ともいえるじゃ。


へえそうなんですか。


鉛中毒になると、思考ができずに、不道徳になり、
対象物に病理的な親和性をもつようになってしまう
というじゃ。

この事は例えば、子供の頃の、やたら臭い匂いを
嗅ぎたがる習性にも現れるというじゃ。

つまり、本来、嫌な匂いや、嫌悪感を催す匂いを
嗅ぎたがる習性をもつのは、
鉛中毒の前兆といえるべきものだというわけじゃ。

そのような場合、すみやかに、鉛を人体から解毒する
のが望ましいというじゃ。


逆に鉛が不足したらどうなるのでしょうか?


わたくし以前花粉症になったことがありまして、
たまたま手元にあった亜鉛のサプリメントを
間違って飲んだところ、ピタリと花粉症が治って
しまったのです。

それ以来花粉症になっていません。



2008/02/15(Fri) 20:50 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
カネのかかる西洋医学
そうですね現代西洋医学はお金がかかりすぎ
ですよね。発想を180度変えた、お金のかからない
代替医療が間もなく生まれるのではないでしょうか。

病気にかからない方法はもう分かっているのです。
粗食の日本食にして、食べ過ぎない。適度な運動を
日常生活に取り入れること。




2008/02/15(Fri) 20:37 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
全人教育
玉川学園の創立者小原國芳は「全人教育」を提唱
している。

人間文化には、学問、道徳、芸術、宗教、身体、生活の
6方面があると小原國芳氏は説いている。
学問の理想は真であり、道徳の理想は善であり、
芸術の理想は美であり、宗教の理想は聖であり、
身体の理想は健であり、生活の理想は富である。

教育の内容には、人間文化の全部を盛らなければならない。
故に、教育は、「全人教育」でなければならない。

全人教育とは、完全人格すなわち調和ある人格を
はぐくむことである。
(小原國芳著、玉川大学出版部発行「全人教育論」参照)


http://www.tamagawa.jp/


2008/02/15(Fri) 20:26 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
生涯教育
人間存在の全構造を、
感受性と英知をもって理解すること

そのとおりですね。
しかもその教育はウオルト・ホイットマンが語る
ごとく生涯にわたってなされる教育でなければ
ならないと思います。




学校が主に子供達の為にあると思ったら、
それは間違い。
本当の学校は、成人の為、中高年者の為、
そして誰一人除外されない場だ。


無上の美しさ、
それは取るに足らないものの中にある。


僕らは聖典や宗教が神聖だとみなす―
神聖じゃないなんて僕だって言いはしない、
だが僕は言う、それらは全て君から芽生えたもの、
そして今だって芽生えているに違いないと。

おのれ自身がどれほど神聖か、
そして未来がどれほど確実であるか、
未だ、誰一人考え始めもしない。

もし神聖なものがあるとすれば、
人間の体こそが神聖だ。

男性の肉体は神聖、
女性の肉体も神聖、


君、誰であれ、
その体、そのどんな部分だって
なんと見事で神聖か!



ホイットマンの箴言: Maxim of Walt Whitman より
http://blogs.yahoo.co.jp/toynwalt

2008/02/15(Fri) 20:05 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
人間はつむじの御蔭で思考できる
 秘教によると、頭の髪の毛の生え際にある、つむじは、人体を鉛中毒から守る、いわば、鉛の力を、跳ね返す力の源じゃという。

 もし、このつむじがないと、人間は、鉛を受け入れ、鉛中毒に罹り、自己を自己と自覚できずに、見るものや聞くもの、つまり外界の対象物のなかに、いわば感情移入してしまうが如く、対象と自己同一化してしまうというじゃ。

 つまり、感覚対象から、対象物を切り離して、自己を、その対象物の観察者とできるのは、このつむじの御蔭で、このつむじとは、人間の「気」のなかの、鉛を跳ね返す力、つまり鉛に対する斥力の中心なのであるというじゃ。

 つまり、人間の「気」には、鉛中毒から、自らを守り、鉛を排除する斥力があり、その斥力の中心が、つむじとして、頭の髪の生え際に現れているというわけじゃね。

 つむじがないと、つまり、「気」に、鉛を跳ね返す力がないと、人間は、いわば鉛中毒に罹ったようになり、感覚に捉われ、感覚対象物、つまり見るもの、聞くものに自分を愛着してしまうわけで、よく言えば、ホレ薬ともいえるじゃ。

 だから、鉛中毒になると、思考ができずに、不道徳になり、対象物に病理的な親和性をもつようになってしまうというじゃ。

 この事は例えば、子供の頃の、やたら、臭い匂いを嗅ぎたがる習性にも現れるというじゃ。つまり、本来、嫌な匂いや、嫌悪感を催す匂いを嗅ぎたがる習性をもつのは、鉛中毒の前兆といえるべきものだというわけじゃ。

 そのような場合、すみやかに、鉛を人体から解毒するのが望ましいというじゃ。

 つむじの形から、変人とか馬鹿だとか、天才だとかいう伝承があるが、元々は以上のような意味が、民間に伝承されて、面白おかしく伝わったのだということがわかるわけじゃね。
2008/02/15(Fri) 17:05 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
七人の侍ならぬ七人の医療者
 「七人の侍」という黒澤映画がありますじゃ。有名な映画ですが、現代の医療をみると、正に、この「七人の侍」ならぬ、「七人の医療者」という映画が必要なのではないかと思いますじゃ。

 「七人の侍」では、盗賊に悩まされている農民が、お金を集めて、村を守ってもらう侍をみつけにいき、実際に守ってもらうお話ですが、過疎化が進み、医療行政が立ち行かない町は、この映画の農民のような工夫が必要なのではないかと思うわけですじゃ。

 自分の目で、足で歩いて、信頼に足る医療従事者を、町に連れてくるしかないと思うわけですじゃ。

 そもそも、町の行政を国に任せ、丸投げしていた責任は、町の人々にあり、そのような政治家を選んだ選挙にあるわけですじゃ。

 文句をいって、待っているだけでは、何も変わらないでしょうね。町を変えていこうと思うような政治家が、町に出なければいけませんね。

 民間療法とホリスティック(全人医療、包括的医療)は、その霊-魂-体の接点から融合性のある親密な関係にありますじゃ。

 経済とは無関係な、自然のままにある、薬草や体操を基本とした、いわゆる金のかからない治療法なのです。だから、民間療法として伝承的に伝わってきたわけですじゃ。

 西洋の医学を陽とするなら、陰となるべき東洋の医学といえるでしょう。カネのかかる西洋医学は国に任せて、東洋医学を再生すべきときといえるでしょうね。同時に自然の恩恵がわかるはずですじゃ。
2008/02/15(Fri) 15:36 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
専門馬鹿になってはいけない
 やまんばさまに、お褒め戴いて誠に光栄でございます。やまんばさまほどの、素直な方も非常に珍しいと思います。素直さが、人間性にとっては最も貴重な徳目といえるでしょう。

 だから、やまんばさまは、宝物を大事にして、生きてこられたということなんでしょう。やまんばさまに負けずに、一層錬金術に磨きをかけていきたいように思いますじゃ。

 昨今の教育の大きな特徴は、効率性や実用性、といっても、経済資本性の一面だけしかみてないが、を重視するあまり、全人的教育、包括的教育がなおざり、おざなりにされてきたことがいえますじゃ。

 大学でも、すぐに専門課程に結びつかない教養科目が、削減されたり、研究では、金や資本がとれないものは、カットされたりで、また、驚くのは、研究者が一般常識にまるで、無知なのと、社会で起こる出来事には、まるで無関心で、洞窟にでも住んでいるような感覚で、平然としていることなどは、人間というより、機械人間になってしまったように思いますじゃ。

 特に現代医療は、倫理や道徳性が問われる時代になったというのに、医療従事者が、宗教や道徳すらマトモに議論もできずに、排他的に取り扱おうとする態度は、無教養な権力志向の野蛮人のようにみえますじゃ。

 特に医学関係の研究は、診療で忙しいのもあるが、自ら行わずに、なんでも他人任せなのは、呆れてモノもいえないですじゃ。捏造が行われて当然のように思いますじゃ。

 大学教育は、人間を育成せずに、機械人間、金稼ぎ人間を生産する工場と化していますじゃ。だから、病院は、もはや、機械修理工場とでもいうような世界になってしまったわけですじゃ。

 いわば大学教育は崩壊しているように思いますじゃ。

 確かに、いまある大学が、ギリシャ時代のプラトンの学院のようなアカデミィアであったためしは、15世紀以降みられなかったので、確かに、アカデミーの大学というよりは、社会で戦うという広い意味で軍隊養成所、つまりアーミィニズムと化しているわけじゃ。

 キリスト教の十字軍も軍隊だが、この事は、言葉からして、悪魔に乗っ取られたことを意味しているわけじゃね。

 だから、大学、つまり軍隊養成所にいくと、視野が狭くなるので、ついには、自分のことが自分でできなくなり、専門馬鹿になるわけじゃ。

 専門馬鹿になると、自分のことさえ、自分でできないから、逆に自分のことしか分からなくなるので、段々と周囲から隔絶されていくわけじゃ。

 この事は、全体をある程度見通せる支配者にとっては都合がよいわけじゃ。専門馬鹿同士を競わせ、お互いを自滅に追い込めば、自らの地位は安泰だからじゃね。

 イギリスの大学は、だから王立なんじゃね。革命を起こそうと企む人物は、大学に入れて、専門馬鹿にしてしまったわけじゃね。

 アメリカの大学は、イギリスの物まねだが、支配者は、見えない構造になっているわけじゃ。巨大資本家というべき存在だろうね。だから、私立の方が発展しているわけじゃね。

 日本の大学は、恐らく、江戸幕府の要人の学校を基に、官僚養成大学として誕生したんじゃろうね。文明開化自体が、西欧の物真似なので、大学で教えることは、全て西欧の物真似の仕方じゃね。

 それでも、日本の近代は、富国強兵という目的があったから、まだしも。もはや、目的もなく、物真似する意味があるのかと思うわけぞ?

 いまでは、一線を退いた御老体の、いわば天下り先の受け手が大学になっているわけだから、崩壊して当然だと思うがね。 
2008/02/15(Fri) 09:42 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
教育
つい今しがた目にした本の中に、印象に残ったところがあります。

教育はたんに専門知識を身につけるだけではなく、死、愛、セックス、瞑想、関係、さらに葛藤、怒り、残酷さなどの人生の全問題、つまり人間存在の全構造を、感受性と英知をもって理解することなのです。

あ~~~~・・・・・・人間存在の全構造を感受性と英知をもって理解している先生って、世界中にどれだけおられることでしょう。あれ、ひょっとしたら、やまんばはとても優れたところで学んでいるのではないだろうか?うん、そうだわ。ろくろくさんや、錬金術者さんのような人には、なかなか出会えないと思います。

ははあ~、それでやまんばはいつもほっとするのですね^^。
2008/02/15(Fri) 07:34 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。