2008年02月08日 (金) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (46)


ライフサイクルについて、
人間の生涯を全体としてどう考えるのか、
孔子の言葉については既に述べた。

今回はインドのヒンドゥー教の知恵に
ついて述べてみよう。

ヒンドゥー教において、人生の理想的な
過ごし方と考えられている「四住期」
という考えがある。


これは人間の一生を、学生期、家住期、林住期、
遁世期の四段階に分けて考えるのである。

学生期には師に絶対的に服従し、ひたすら学び、
厳格な禁欲を守らねばならない。

このような学びの期間が過ぎると、
次は家住期で、親の選択した異性と結婚し、
職業について生計を営まねばならない。

そして、子どもを育てるのが重要で、
このことによって子孫を確保し、
祖先に対する祭りが絶えないように心がけねば
ならない。

この時期は世俗的なことが大切で、現代人であれば、
これで人生が終わりとさえ言えるが、ヒンドゥーの
場合は、これに後半の二つの段階が加わる。

第三の林住期は、これまでに得た財産や家族をすて、
社会的義務からも解放され、人里離れたところで
暮らす。

このような過程を経て、最後の遁世期は、この世への
一切の執着をすて去って、乞食となって巡礼して歩き、
永遠の自己との同一化に生きようとする。

こんなのを知ると、なるほどうまく考えてあるな、
と思うが、現代人のわれわれがこのとおりには
生きられない。

ではどうするのか、
ということは各自の考えにまかされている。



次回につづく


↓↓↓あなたの応援↓↓↓(1日1クリック)お願いします。

にほんブログ村 哲学ブログへ人気blogランキング精神世界 ランキング



スポンサーサイト
テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
自我開発には忍耐力、許容力がいる
錬金術者さん、質問にわかりやすく、ていねいに
お答えくださりありがとうございます。


自我を開発するのに体力が必要か?

自我開発(精神修養)には、肉体の力はいらない。

しかし、自我開発することにより、肉体制御力、
自制心、叡智を身につけるには、忍耐力や許容力
などの精神力が必要。



来世での人体構築というのは、死後の世界でのこと
ですか?

については、死後の世界でも、また来世に転生後にも
人体構築が行われるということでした。


お通夜で寝ずの番をして、線香や灯明を絶やさない
ようにしますが、これは「秘儀参入法の名残りである」
というのもとても興味深いお話でした。

自然を愛でることも一種の秘儀参入法であり、
日本の文化、風習には、秘儀参入法が色々隠されている
という。




2008/02/08(Fri) 18:26 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
生き方は動物や植物を見習おう
やまんばさんらしくてよいですね。


生き方をわがヨレヨレの老犬に学ぶのですね。

う~ん、食べて、雲子して、寝るだけですけど・・・

現在、わたくし、ほぼそれに近い生き方をしていますね。



2008/02/08(Fri) 17:49 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
四住期
四住期の出典が「マヌの法典(AD200頃成立)」とは知りませんでした。
カースト制度をはっきり規定しているのもマヌの法典。
伝統的なヒンドゥー教徒の儀式や作法、タブー、マナー、エチケット
について述べられている。


「マヌの法典」は人生を
「学生期」「家住期」「林棲期」「遊行期」の四住期に分け、
それぞれの住期において守るべき準則を詳細に規定している。


詳細は↓
http://homepage2.nifty.com/k-todo/bunnmei/eastyourasia/india/baramon/juuki.htm



2008/02/08(Fri) 17:48 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
自力開発とは八正道のこと
 シュタイナーは自我開発の方法を3つ唱えておるじゃ。総称して、「秘儀参入法」と呼んでおるじゃ。

 1つめは、古代から伝わる瞑想の方法で、太古、神殿で行われていた儀式ですじゃ。古代インドのヨーガ哲学は、この名残りと思われますじゃ。

 ヒンドゥー教は、バガバッドヴェーダを基にしているので、恐らく、ほとんどが、古代瞑想法、つまり秘儀参入法の名残りですじゃ。

 ミクロコスモスつまり、人間の内側に沈潜する内面的方法と、マクロコスモスの宇宙へと昇華していく外面的方法の2つに大別されるらしいじゃ。

 お釈迦さまは、この古代の秘儀参入法を仏教としてまとめ、八正道を説いたわけですじゃ。

 2つめは、キリスト教の修道院的な瞑想修行で、これは、キリストの人生体験を、瞑想により辿る修行で、騎士道や巡礼などに、その名残りをみることができますじゃ。

 3つめは、現代人の身体構造にも適用可能な瞑想法で、薔薇十字や聖堂騎士団の瞑想法ですじゃ。詳細は、シュタイナーの書籍、「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」、略して「いか超」を参考にしてくだされ。古本屋なら、千円以下で買えるじゃろう。

 だから、自我開発とは、精神修養そのものといってよいじゃ。霊魂と肉体のバランス、つまり、気の流れを活性化させることといえるわけじゃね。

 中国のご老人たちが、朝やっている太極拳などは、代表的例だと思われるじゃ。日本では、ラジオ体操に呼吸法を取り入れたもんがよいじゃろうね。真向法なんかもあるし、各自で研究して、自分の身体に合う修養法を選ぶべきじゃと思う。

 さて、秘儀参入法だが、古代人と、現代人では、身体構造が大きく異なり、古代人は、額の眉間の上に、エーテル体(気)が、大きく突出し、現代人のように、一致していなかったというじゃ。これは仏像のチャクラ(蓮華)のことだと思う。

 だから、古代人は、現代人のように、物質を輪郭をもったものとしてみれなかったというわけじゃ。いわば、犬や猫の視野と同じもんじゃ。その代わり、霊視できたので、魂、つまり心をみて、敵か味方かを判断できたわけじゃ。

 だから、勿論、ある程度、予知能力もあったわけじゃ。そして、古代の秘儀参入法により、予知能力から預言能力に高めることもできたというじゃ。

 古代の秘儀参入法を、現代人に適用するのは、非常に危険で、なぜなら、エーテル体と肉体の関係が、著しく異なるからで、現代人の日頃の覚醒意識を失う可能性があるわけじゃ。つまり、植物人間になってしまったり、霊媒体質になり、憑依を受け易くなってしまうからじゃ。

 だから、現代人には、現代に適した修養法が必要になるじゃろうね。座禅と奉仕活動、もしくは体操をミックスしたものがよいのではないかと思う。

 自我開発は、とにかく他力であっては意味がないので、自主的に瞑想、自省活動を開発するしかないと思う。流行に流されるのはかえってよくないじゃ。自我開発というのは、何より、魂の無意識な深層意識を活性化させる訓練だから、意識的に行うべきであるじゃ。

 天使の手助けは、主に、睡眠中に行われるらしいが、覚醒時にも、勿論作用しているが、人間の魂のほとんどが、未開なままで、意識できないからであるじゃ。この事は、フロイトが、深層意識として表現したじゃろう。

 50歳をすぎると、体力が極力衰えるのは、つまり、天使の援助、他力がなくなるからでもあるじゃろう。だから、人間はどうしても、自我修養しなければ、生命を保てない立場になるわけじゃ。天命を知らないと、無駄な人生を送るぞという警告でもあるじゃね。

 昨日は、理想的なことばかりを述べたが、50歳を過ぎたら、当たり前のことじゃが、自己管理、つまり健康管理が、人生の主題になるということじゃね。

 では、ろくろくさまの疑問に答えますじゃ。

 体力を肉体の力と捉えているなら、死体を指すのと同じじゃね。死体に体力があるかといえば、ゼロに等しいわけじゃね。自我開発、つまり精神修養には、体力はいらないことになるじゃ。

 体力を霊魂の力とするなら、精神修養のこと、つまり、肉体制御力、自制心、叡智を身につけることに等しいわけじゃ。だから、自我開発には、体力が必要ということになるじゃ。しかし、この体力は忍耐力や許容力というべきものじゃろうね。

 来世での人体構築は、死後の世界でも、また来世に転生後にも、行われるというじゃ。現代人のほとんどは、霊能力を失ってしまったので、他力を感じなくなってしまったわけじゃ。

 古代人には、万物に霊が宿るというのは常識だったのは霊能力があったからじゃね。他力を感じ、感謝を忘れなかったわけじゃね。

 お通夜で、寝ずの番をするが、これは、秘儀参入法の名残りといえるものぞな。亡くなった人となんらかの心の関係があるなら、肉体を失っても、魂のつながりから、亡くなった人を霊視できる可能性が生じるじゃ。

 つまり、覚醒意識を働かせながら、霊視可能な超感覚の意識を磨くことができる一石二鳥の自我開発法といえるわけぞな。これは、亡くなった人が、なんらかの気配を親しい人に伝えるのが、直観的にわかったという体験をもつ人が多いことでわかるじゃろう。

 瞑想というのも、技術的にいえば、肉体から、霊魂を追い出す術だが、慣れないと寝てしまうわけじゃ。寝ないで、覚醒したまま、霊魂を肉体のなかから追い出す訓練、追い出すというと、少し語弊があるが、遠くから肉体を見守る遠隔操作という感じで、意識をいわば極限状態に置くことを意味するじゃ。

 日本の文化、風習には、精神修養、つまり秘儀参入法が隠されているわけじゃね。自然を愛でることも一種の秘儀参入法で、自然のなかに神々の働きをみることになるわけなんじゃね。俳句や短歌などの歌読みは、そこに祈りをこめると、自然観察から、自我開発をしているわけじゃ。
2008/02/08(Fri) 10:17 | URL  | 錬金術者 #-[ 編集]
おはようございます。
ろくろくさん、吐いたり下痢したりで、きつかったですね。次第に回復されてるそうでよかったです。
そんな大変なときにも、ブログを続けてくださってありがとうございます。やまんばは毎朝のように、ここに座り、よい話を聞かせていただき、少しずつ学ばせていただいてます。まるで、毎朝お寺に参り、お坊様の法話を聞き、ありがたや ありがたやと手を合わせているお年寄りみたいにです^^。
おまけに錬金術者さんの、秘教の話まで、聞かせていただき、ブログへの角度のちがった解釈が、やまんばの世界を広げさせていただいてます。
本当にありがとうございます。

ヒンドゥー教のお話。
やまんばはこう解釈していこうと思いました。
いままで一つの役割を与えられていましたが、その役割の思い込みから、一つ一つ自分を開放していこう・・。私が持つ全てのものは、私がこの世に生きるために必要に応じて天から与えられたもの、それを決して忘れないように、執着せずにいよう・・。生き方は動物や植物を見習おう。現在 未来 過去など無い世界。ただ存在する・・そんな人になりたい。
2008/02/08(Fri) 07:49 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック