養生法は「気休め、骨休め、箸休め」の三つ
五木寛之・帯津良一 著「健康問答」平凡社より(70)
五木 私は、治療の時代はとっくに終わって、
いま養生の時代がはじまっていると思うんですよ。
人間というものは、オギャーと生まれた瞬間から
死を内包していて、HIVなんかは、感染しても
発症しないことが、ままあるようですが、
死はかならず発症する。
人は死のキャリアとして生まれ、死は治療できない
んだから、結局は、養生法も気休めと思って
やらなければだめだというのが持論です。
それは軽くいっているんじゃなくて、
気を休めるって大事なことでしょう。
いまの人は、気が疲れているんだから。
帯津 ええ、そうですね。
五木 あとは骨休め。
ちゃんと骨を休めるということですね。
私は睡眠時間が短かったりするんですが、
横になっている時間は長くしようと。
そのあいだ、骨を休める。
あともうひとつは、箸休め。
日本人は、やっぱり食べ過ぎだと思う。
それで、養生法は「気休め、骨休め、箸休め」の三つだと
いっているわけです。
帯津 ガンというのは、体だけの病気ではなく、
心とか命にかかわる病気なんです。要するに、
体だけの病気なら機械の修理と同じなんですけど、
心とか命は、ひとつのエネルギーでしょう。
そうするとガンの治療も、従来の修繕をするという考え方
ではなくて、エネルギー値を、ちょっと上げることをめざす。
そうすると、養生の問題がはいってくるんですね。
医療と養生が渾然一体となったものが、いいわけです。
つまり、病院がやってくれる治療のほかに、
自分でやる養生が大切になってくるんですよ。
五木 私のもう一つのモットーは、「それなりに」という
ことなんです。いま、七十三歳なんですけど、それなりに
いろいろ故障や不具合がないとおかしい。
逆に、ないのは不自然であると。たとえば、ああ、前立腺の
肥大があるな、ちょっとおしっこの出が悪いなあと思いますよ
ね。これは、それなりの年のとり方をしているんだから、合格。
もそも、二十歳のような勢いでおしっこが出るんなら、
どこかに問題がある(笑)。全体にバランスがとれて、
それなりに老いていくという考え方なんです。
専門の方から見ると、とんでもないことばかり書くやつだと
思われるでしょうけれど。
帯津 そんなことないですよ。『気の発見』(平凡社)も読ませて
いただきまして。
五木 あ、あれも怪しい本です(笑)。
帯津 いいえ、怪しくないですよ。私の病院でも、気功をやって
ますでしょう。気功に興味を持っている友人から、五木さんが
「気」のことを新聞に連載されていると教えられていたんですね。
それが頭にあって、あるとき、神保町の書店で『気の発見』を
見つけたんです。読んでみて、非常に共感しました。そうしたら、
私の名前まで引用していただいていて。
五木 帯津さんの本は、ずいぶん参考にさせていただきました。
次回につづく
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五木 私は、治療の時代はとっくに終わって、
いま養生の時代がはじまっていると思うんですよ。
人間というものは、オギャーと生まれた瞬間から
死を内包していて、HIVなんかは、感染しても
発症しないことが、ままあるようですが、
死はかならず発症する。
人は死のキャリアとして生まれ、死は治療できない
んだから、結局は、養生法も気休めと思って
やらなければだめだというのが持論です。
それは軽くいっているんじゃなくて、
気を休めるって大事なことでしょう。
いまの人は、気が疲れているんだから。
帯津 ええ、そうですね。
五木 あとは骨休め。
ちゃんと骨を休めるということですね。
私は睡眠時間が短かったりするんですが、
横になっている時間は長くしようと。
そのあいだ、骨を休める。
あともうひとつは、箸休め。
日本人は、やっぱり食べ過ぎだと思う。
それで、養生法は「気休め、骨休め、箸休め」の三つだと
いっているわけです。
帯津 ガンというのは、体だけの病気ではなく、
心とか命にかかわる病気なんです。要するに、
体だけの病気なら機械の修理と同じなんですけど、
心とか命は、ひとつのエネルギーでしょう。
そうするとガンの治療も、従来の修繕をするという考え方
ではなくて、エネルギー値を、ちょっと上げることをめざす。
そうすると、養生の問題がはいってくるんですね。
医療と養生が渾然一体となったものが、いいわけです。
つまり、病院がやってくれる治療のほかに、
自分でやる養生が大切になってくるんですよ。
五木 私のもう一つのモットーは、「それなりに」という
ことなんです。いま、七十三歳なんですけど、それなりに
いろいろ故障や不具合がないとおかしい。
逆に、ないのは不自然であると。たとえば、ああ、前立腺の
肥大があるな、ちょっとおしっこの出が悪いなあと思いますよ
ね。これは、それなりの年のとり方をしているんだから、合格。
もそも、二十歳のような勢いでおしっこが出るんなら、
どこかに問題がある(笑)。全体にバランスがとれて、
それなりに老いていくという考え方なんです。
専門の方から見ると、とんでもないことばかり書くやつだと
思われるでしょうけれど。
帯津 そんなことないですよ。『気の発見』(平凡社)も読ませて
いただきまして。
五木 あ、あれも怪しい本です(笑)。
帯津 いいえ、怪しくないですよ。私の病院でも、気功をやって
ますでしょう。気功に興味を持っている友人から、五木さんが
「気」のことを新聞に連載されていると教えられていたんですね。
それが頭にあって、あるとき、神保町の書店で『気の発見』を
見つけたんです。読んでみて、非常に共感しました。そうしたら、
私の名前まで引用していただいていて。
五木 帯津さんの本は、ずいぶん参考にさせていただきました。
次回につづく
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Comment
万能細胞は万腫瘍性細胞
2008-01-24 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
あの大きな空を吹きわたっています
死後、肉体を失うと、
たちまち、自己の「気」の流れが広がり、
周囲の「気」と融合していく。
自己感覚が失われるので、
主語がなくなるわけじゃ。
つまり、自己として、蓄電してきたエネルギーが
解き放たれるわけじゃね。
で、
「千の風になって あの大きな空を
吹きわたっています」
ということになる。
「千の風になって」というのは、
宇宙の「気」の流れになって
ということじゃろうね。
宇宙全体の「気」の流れと一体化するので、
天から、四季折々の営みを共同作業で
作り上げているわけじゃね。
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
http://lokulog.blog43.fc2.com/blog-entry-27.html
たちまち、自己の「気」の流れが広がり、
周囲の「気」と融合していく。
自己感覚が失われるので、
主語がなくなるわけじゃ。
つまり、自己として、蓄電してきたエネルギーが
解き放たれるわけじゃね。
で、
「千の風になって あの大きな空を
吹きわたっています」
ということになる。
「千の風になって」というのは、
宇宙の「気」の流れになって
ということじゃろうね。
宇宙全体の「気」の流れと一体化するので、
天から、四季折々の営みを共同作業で
作り上げているわけじゃね。
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
http://lokulog.blog43.fc2.com/blog-entry-27.html
2008-01-23 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
それなりに
年をとってくると、「それなりに」
いろいろ故障や不具合がないとおかしい。
といった五木さんの考え方には、私の気持ちも
とても楽になりました。
そもそも、二十歳のような勢いでおしっこが
出るんなら、どこかに問題がある(笑)。
全体にバランスがとれて、
それなりに老いていくというのがよい。
という考え方には、大いに学ぶ所ありです。
いろいろ故障や不具合がないとおかしい。
といった五木さんの考え方には、私の気持ちも
とても楽になりました。
そもそも、二十歳のような勢いでおしっこが
出るんなら、どこかに問題がある(笑)。
全体にバランスがとれて、
それなりに老いていくというのがよい。
という考え方には、大いに学ぶ所ありです。
2008-01-23 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
死は治療できない?
ヒトの万能細胞(iPS細胞)の研究拠点が
京都大学にできるという。
今日明日というわけにはいかないだろうが、
万能細胞の研究が寿命を延ばすことに繋がって
いきそうですね。
そしてそんなに遠からず「死が治療できる」
ことになるかもしれません。
京都大学にできるという。
今日明日というわけにはいかないだろうが、
万能細胞の研究が寿命を延ばすことに繋がって
いきそうですね。
そしてそんなに遠からず「死が治療できる」
ことになるかもしれません。
2008-01-23 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]
現世の思い出が霊言語になる
「千の風になって」は、秘教の極意を唄っておるじゃ。あの世の、いわば言語となるのは、いま生きているうちに、つくる人間関係の思い出や、理解といえるじゃ。
だから、洞窟のような中で、人間関係や思い出を何も構築しないと、死後、その人を思い出してくれる人がほとんどいないので、いわば盲目になってしまうじゃ。
つまり、今生きていることこそ、あの世でも重要な基本になるわけじゃ。といっても、死後は、肉体を捨てるので、肉体を元にした物質的感覚はなくなり、物質的自由は、なくなるわけじゃ。
物を動かしたり、つくったり、壊したりというものじゃね。これらの肉体感覚は、エゴ、つまり利己から、自己の存在があることで、生まれる感覚じゃね。主体があって生まれる自由ぞな。
この自己感覚は、「気」と「肉体」が丁度、人間の額で、その大きさが一致しているから、つまり波長が合うから、生まれる感覚だというわけじゃ。
「気」と「肉体」が丁度、一致するので、周囲の「気」の流れの環境から、「気」の自己の流れの部分を切り離せるというわけじゃ。簡単にいえば、エネルギーの自己蓄電といえるじゃろう。
しかし、死後、肉体を失うと、忽ち、自己の「気」の流れが広がり、周囲の「気」と融合していくので、この自己感覚が、失われるので、主語がなくなるわけじゃ。
つまり、自己として、蓄電してきたエネルギーが解き放たれるわけじゃね。エネルギーに区別はないからじゃが、エネルギーの微妙な流れには、相違があるわけじゃ。
自分のなかの「気」が、周囲と融合していくのは、自分として、エネルギーを蓄電してきた体験を、徐々に失っていくことになるわけで、それが、過去の人生を走馬灯のようにふり返るわけじゃ。大体、死後3日間で、行われるというじゃ。
しかし、全てのエネルギーがなくなるわけではなく、いわば、自己が、周囲と融合するので、「気」の流れのなかに、宇宙全体の部分として存在するわけじゃ。
つまり、「千の風になって」というのは、宇宙の「気」の流れになってということじゃろうね。宇宙全体の「気」の流れと一体化するので、天から、四季折々の営みを共同作業で作り上げているわけじゃね。
だから、死後、主語を失った後は、今度は、「動詞」だけの存在になるわけじゃね。
「気」を解放し、全体に広げた後、今度は、心(魂)を「気」の営みから解放する番になるじゃ。全体の「気」の流れのなかに、自分に相応しい思いに、自分を同一視するわけじゃ。
つまり、自然の営みのなかに、共感や感動が生まれたときに、それを自分の存在と感じるわけじゃ。だから、地上に生きる人が、その人との思い出をイメージするとき、それが「気」の流れになって、その人を呼び寄せるわけじゃね。
だから、死後、心(魂)で生きるときは、感嘆詞や感動の言葉「おお、ああ、うおっ」だけが、その人の存在になるわけじゃ。
自然のなかに、故人を思うとき、その人が、その自然のなかに密かに現れるわけじゃ。心眼でなければ、見通せないじゃね。
だから、洞窟のような中で、人間関係や思い出を何も構築しないと、死後、その人を思い出してくれる人がほとんどいないので、いわば盲目になってしまうじゃ。
つまり、今生きていることこそ、あの世でも重要な基本になるわけじゃ。といっても、死後は、肉体を捨てるので、肉体を元にした物質的感覚はなくなり、物質的自由は、なくなるわけじゃ。
物を動かしたり、つくったり、壊したりというものじゃね。これらの肉体感覚は、エゴ、つまり利己から、自己の存在があることで、生まれる感覚じゃね。主体があって生まれる自由ぞな。
この自己感覚は、「気」と「肉体」が丁度、人間の額で、その大きさが一致しているから、つまり波長が合うから、生まれる感覚だというわけじゃ。
「気」と「肉体」が丁度、一致するので、周囲の「気」の流れの環境から、「気」の自己の流れの部分を切り離せるというわけじゃ。簡単にいえば、エネルギーの自己蓄電といえるじゃろう。
しかし、死後、肉体を失うと、忽ち、自己の「気」の流れが広がり、周囲の「気」と融合していくので、この自己感覚が、失われるので、主語がなくなるわけじゃ。
つまり、自己として、蓄電してきたエネルギーが解き放たれるわけじゃね。エネルギーに区別はないからじゃが、エネルギーの微妙な流れには、相違があるわけじゃ。
自分のなかの「気」が、周囲と融合していくのは、自分として、エネルギーを蓄電してきた体験を、徐々に失っていくことになるわけで、それが、過去の人生を走馬灯のようにふり返るわけじゃ。大体、死後3日間で、行われるというじゃ。
しかし、全てのエネルギーがなくなるわけではなく、いわば、自己が、周囲と融合するので、「気」の流れのなかに、宇宙全体の部分として存在するわけじゃ。
つまり、「千の風になって」というのは、宇宙の「気」の流れになってということじゃろうね。宇宙全体の「気」の流れと一体化するので、天から、四季折々の営みを共同作業で作り上げているわけじゃね。
だから、死後、主語を失った後は、今度は、「動詞」だけの存在になるわけじゃね。
「気」を解放し、全体に広げた後、今度は、心(魂)を「気」の営みから解放する番になるじゃ。全体の「気」の流れのなかに、自分に相応しい思いに、自分を同一視するわけじゃ。
つまり、自然の営みのなかに、共感や感動が生まれたときに、それを自分の存在と感じるわけじゃ。だから、地上に生きる人が、その人との思い出をイメージするとき、それが「気」の流れになって、その人を呼び寄せるわけじゃね。
だから、死後、心(魂)で生きるときは、感嘆詞や感動の言葉「おお、ああ、うおっ」だけが、その人の存在になるわけじゃ。
自然のなかに、故人を思うとき、その人が、その自然のなかに密かに現れるわけじゃ。心眼でなければ、見通せないじゃね。
2008-01-23 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]
それなりに・・・
それなりに年をとっているのだから合格!
いい表現ですね^^。
養生法・・・・気休め 骨休め 箸休め の三つ。
わかりました。
昨日の錬金術者さんのコメントはわかりやすかったです。
「故人を偲ぶ」のがなぜ大切なのかよくわかりました。お墓まいりも大変意味あることなのですね。(私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにいません〜〜〜)という歌がありますが、錬金術者さんのコメントから、私が故人を思い出した{そこ}に、故人はいるのだと思いました。うれしいです^^。
こうして毎日ブログにきて、やりとりしていただいてることも、私の大切な思い出になることでしょう。
(まだみんな故人ではありませんが・・・^^^^)
とてもとても、うれしいことです。
毎日の人とのかかわりを大切にして生きてゆきたい!と、心から思いました。ありがとうございました。
いい表現ですね^^。
養生法・・・・気休め 骨休め 箸休め の三つ。
わかりました。
昨日の錬金術者さんのコメントはわかりやすかったです。
「故人を偲ぶ」のがなぜ大切なのかよくわかりました。お墓まいりも大変意味あることなのですね。(私のお墓の前で泣かないでください。私はそこにいません〜〜〜)という歌がありますが、錬金術者さんのコメントから、私が故人を思い出した{そこ}に、故人はいるのだと思いました。うれしいです^^。
こうして毎日ブログにきて、やりとりしていただいてることも、私の大切な思い出になることでしょう。
(まだみんな故人ではありませんが・・・^^^^)
とてもとても、うれしいことです。
毎日の人とのかかわりを大切にして生きてゆきたい!と、心から思いました。ありがとうございました。
2008-01-23 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]
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なんでも、皮膚細胞から、弱毒したウイルスを用いて運び屋にして、遺伝子治療のように、未分化で、増殖能を高める遺伝子を、転写し、幹細胞のような機能を人工的に再生したものじゃという。
つまり、人工的に創られた幹細胞のことじゃが、是、いかに人体内に近い環境で培養してつくったとしても、人体外に出してつくったことは変わりないから、真の幹細胞より、分化の制御や増殖の調節が困難になっているはずじゃね。
それに、元々、人体には、免疫機能があるので、免疫抑制剤を導入したとしても、免疫が、一時麻痺するわけだから、その分、免疫の腫瘍監視が疎かになるわけで、つまり、腫瘍性が非常に高い細胞になるわけじゃ。
肉体の機能を高めることが、延命だというのは単純な発想で、かえって腫瘍性や、癌を高めることになるわけで、つまり、延命すればするほど、癌に罹る確率が高くなるという当たり前の結果になるわけじゃね。
いずれにしても、延命したその分、癌といかに戦うかが、これからの人間の課題となるわけじゃね。
肉体を物質的に制御しようとして、行き詰まってみてはじめて、実は、人間は肉体だけの存在じゃないことに気がつくのじゃろう。人間は実際、失敗して痛い目みないと納得しないからね。