碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

明日死ぬとわかっていてもするのが養生

五木寛之・帯津良一 著「健康問答」平凡社より(69)

……
帯津 今日、出かけるとき、婦長たちに
「先生、今日はなんだか緊張していますね」
といわれました。

滅多に緊張しないほうですけど、
いよいよ五木さんにお会いできるとなると、
やっぱり……(笑)。

先にもお話しましたが、私の病院ではホメオパシー
(ごく少量の物質を投与することにより自己免疫力を
高める療法。原料は植物、鉱物などのエッセンスで、
なかには毒物もふくまれる。その療薬が「レメディ」)
をやっておりますでしょう。


それに受験のときにあがらないレメディというのが
ありまして、それを初めて、一粒なめてきました(笑)。

五木 例の、丸薬のようなものですね。

帯津 ええ、あがらなくするレメディの場合は、硝酸銀、
とはいっても、物質性をなくすまで希釈して、エネルギー
だけにしたものですが、それを砂糖粒にしみこませています。
でも効いているかどうか、よくわからない(笑)。

五木 毎日、お忙しいんでしょう?病院のほかにも、いろんな人
たちが個人的に会いたいとか、相談を持ちかけてきたりとか。

帯津 そうですね。川越の病院(帯津三敬病院)のほうは、月曜と
金曜が外来で、火曜が病棟回診です。外来は予約制ですので、

絶対に休むわけにはいきませんし、朝八時半から夕方四時半まで、
昼食を食べるのがやっとで、ほかのことはいっさいできません。

自分のことについては、時間が停止したようなもので、
まさに空白の一日です。年をとらなくていいのではないか、
と冗談をいっています。

毎日、早朝、患者さんたちと一緒に気功をするほかに、
月曜日の夕方は丹田呼吸法、
金曜日の夕方は患者さんを集めての講話、
火曜日の午後は「楊名時太極拳二十一世紀養生塾」。

これは、病院のなかにとどまっていては、いつまでたっても
理想のホリスティック医学(人間の病を、体、心、命を三位一体
としてまるごととらえる医学)を成就することはできない。

病院の外に出て、生老病死のすべてのステージを、まるごと
相手にしなければならないという想いから、六年ほど前に発足
したものです。

病気であろうとなかろうと、五十人の生徒さんを募集して、
週に一回、太極拳と養生の講義をして、半年間で卒業です。

そのあいだを縫って、ホメオパシーの診断をして、レメディを
小ビンに詰める。とまあ、こんな具合て病院にいるときは、
めまぐるしいくらいです。

池袋の帯津三敬塾クリニックには、一日半ほど出ていますし、
土、日には講演ででかけています。

まあ、時空を超えて広がる共通の命に思いを遣りながら、
内なる生命のエネルギーを高めつづける人を、一人でも多く
世に出すことは、意義のあることだと考えています。



次回につづく


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2008-01-22 | 健康法 |  コメント : 9  |  tb : 0

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死に際しては

「もはや苦痛の源の肉体がないので、
肉体が破壊されたような感覚的な苦痛はないが、
もはや、肉体がないので、肉体があったときの、
感覚的な欲望や自由さが奪われるので、
束縛や不自由という精神的な苦痛が新たに起こる
というじゃ」

「肉体があれば出来ることや、味わえる感覚や、
快適さや、自由さが奪われ、閉鎖的で、
不自由な居心地を感じるわけじゃ。だから、
死後では、真の辛抱強さ、我慢や忍耐が要求される
わけじゃね」


ここでの興味深いのは
 
「もはや、肉体がないので、肉体があったときの、
感覚的な欲望や自由さが奪われる」



「肉体があれば出来ることや、味わえる感覚や、
快適さや、自由さが奪われ、閉鎖的で、
不自由な居心地を感じるわけじゃ。だから、
死後では、真の辛抱強さ、我慢や忍耐が要求される
わけじゃね」

の「自由さが奪われる」

というところが、今までの先入観とは違った印象で
大変に興味深い所です。さもありなんといった感じが
するのです。




2008-01-22 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

不眠症の人は

「鉛を非常に希釈して、つまりホメオパシーで微量服用すると
効果がある」のですか?へぇ〜そうなんだ。

わたくしの場合はおよそ不眠症には無縁で、
何時でも何処でも1〜2分以内に眠ってしまいますが

このごろ夜中にひょっこり起きてラジオを聴いたり
することがあります。昔はありえなかったことです。
これも老化なのですかね。


2008-01-22 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

頭がウニになる

錬金術者さんの

「痴呆症では頭部が、腹部になり、
脳が腸のようになってしまうじゃ」

というのには正直びっくりです。

ホントにそんな感じがしますから
不思議ですね。

「頭がウニになる」なんていう表現もよく使われ
ていますし、ウニと腸はそっくりですしね・・・


2008-01-22 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

我が顔に、亡き父の面影あり

朝、鏡を覗いているとき、亡くなった父が
こちらを覗いているように感じる時があります。

錬金術者さんのやまんばさんへのコメントで

「いまでも、やまんばさんに、おじいさんの思い出が
残っていれば、おじいさんの霊魂は、やまんばさまの
思い出を、いわば窓として、この世を覗けると
いいますじゃ。」

というのがありますが、ああそうかもしれないな〜と
思うのでありました。



2008-01-22 | ろくろく #- | URL|[ 編集 ]

やまんばさまへつけ加え

 いまでも、やまんばさんに、おじいさんの思い出が残っていれば、おじいさんの霊魂は、やまんばさまの思い出を、いわば窓として、この世を覗けるといいますじゃ。

 だから、故人を偲ぶことは、故人の霊魂にとっては、この世を知る絶好の機会になることで、故人が生きていたときの思い出をイメージすることが何より大切だといいますじゃ。

 あの世では、この世の言葉は段々と失われ、まず、主語がなくなり、やがて動詞もなくなり、最後は、感嘆詞の「あぁ! おお! うお!」とかの感動だけしか言葉としては残らないというじゃ。

 だから、言葉よりも、その人との生きていたときの思い出が重要になるというじゃね。
 
 この事は、金銭や戒名の立派さよりも、故人との思い出が、何より仏葬では大切であるといえるじゃね。

2008-01-22 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

死はエーテル体が肉体から分離すること

 秘教では、人間は死期を迎えると、エーテル体が、肉体から、離れるというじゃ。エーテル体が、肉体から切り離されるとき、いわば、まるで、肉体を、脱ぐようにして、離れるので、特に、肉体の分泌腺と、つながっているので、それを切り離すときに、それが、必死に生きているような姿にみえるというじゃ。

 つまり、死は、霊(自我)と魂(アストラル体)とエーテル体が、肉体から離れて、この世の物質界から、あの世に旅立つことをいうじゃ。肉体はエーテル体を失うと、構築の素がなくなるので、崩壊するじゃ。

 肉体から、エーテル体を切り離すときに、走馬灯のように、過去の人生を逆向きに振り返るというじゃ。

 ちなみに、寝ているとき、エーテル体と肉体を残して、アストラル体と自我が、あの世に旅する状態だという。

 だから、睡眠と死の違いは、エーテル体(気)が、肉体に残るかどうかじゃという。

 死に際しては、もはや苦痛の源の肉体がないので、肉体が破壊されたような感覚的な苦痛はないが、もはや、肉体がないので、肉体があったときの、感覚的な欲望や自由さが奪われるので、束縛や不自由という精神的な苦痛が新たに起こるというじゃ。

 肉体があれば出来ることや、味わえる感覚や、快適さや、自由さが奪われ、閉鎖的で、不自由な居心地を感じるわけじゃ。だから、死後では、真の辛抱強さ、我慢や忍耐が要求されるわけじゃね。 

2008-01-22 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

あがらなくなる薬が銀なわけ

 秘教では、人体は、肉体、エーテル体(気)、アストラル体(魂、或いは心)、自我(霊)の4つからなるとしているじゃ。

 一般的に、「あがる」というのは、自我とアストラル体が、あまりにも深く新陳代謝系に関与しずぎ、強く働きすぎて、いわゆる腹部の消化器官を過保護にしている状態なので、消化器官が、下痢気味で、人体のなかでは、消化器官が突出し、優勢になっているので、腹部から、胸部や頭部まで、影響を及ぼし、発熱や体温上昇を起こしていることを、意味するじゃ。

 だから、自我とアストラル体を、適度に、新陳代謝系の関与から、切り離す必要があるわけじゃね。

 この新陳代謝から、自我とアストラル体を適度に遊離させるには、銀や銀化合物を、ホメオパシーで、希釈化して与えるのがよいというわけじゃね。

 銀や銀化合物をレメディ(自然治癒化)することで、新陳代謝系から適切な位置に自我とアストラル体を戻し、下痢気味から、便は硬くなる傾向になるというじゃ。

 是と同様に、頭部の神経組織から、自我とアストラル体を遊離させると、忽ち、昏睡状態や眩暈を起こすが、これは、鉛や鉛化合物を適当量服用することで起きるというじゃ。

 だから、原理的には、不眠症の人は、鉛を非常に希釈して、つまりホメオパシーで微量服用する(医師の指導無しに、やると医師法違反で厳禁じゃが)と、頭部から、自我とアストラル体を遊離させることができ、適度な昏睡や眩暈状態、つまり睡眠(催眠)状態を誘発するわけじゃ。

 この事は、なぜ、不眠症になるかを表しておるじゃ。頭部に、過度に、自我とアストラル体、つまり霊魂が関与し、強く働きすぎると、硬いものと柔らかいものの分離が過剰に起こり、いわゆる過保護になるわで、だから目がさえて眠れなくなり、眠れない状態が続くと、益々硬化現象が生じてしまうわけじゃ。

 この事は、老年期によく起こり、骨質形成への傾向を生じ、動脈硬化などを生み出すわけじゃ。

2008-01-22 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

三位一体

 体、心、命の三位一体というよりも、体、心(魂)、自我(霊)とった方が正確じゃと思う。体、心、私(自我)という3つが1つになり、命となっていると捉えるわけじゃ。

 (体(肉体)+心(魂)+自我(霊))=生命

 というわけじゃね。生命は、三位一体のときは、良好だが、どれかが、優位で、どれかが劣位で、バランスが崩れると、「気の流れ」が悪くなり、忽ち病に罹るわけじゃね。

 生命は、「気」の流れで一般的に表されるが、人間の場合、大きく5つの気の流れがあり、五ボウ星で、表すことができるじゃ。

 五ボウ星は、五行説で有名で、5とは、「気」が最も自由な状態におかれる数であるといわれ、太古では、悪魔の数とされていたじゃ。

 3は、三位一体で神の統合の数、4は神の創造の数といわれたじゃ。また、1は、神の全存在の数、2は、二元論で、実在の数というじゃ。

 それらはさておき、神秘学では、痴呆症の前段階になる片頭痛は、腹部のプロセスが、頭部に押し寄せてしまうことだといわれている。つまり、頭部が、腹部になり、脳が腸のようになってしまうじゃ。

 脳が消化器官になると、分泌活動をしてしまうので、混乱して、呼吸や血液リズムが乱れるというわけじゃ。そうすると、痴呆症のように、血管系からおかしくなるじゃね。また、脳が腸になると、下等生物の絶好の環境にもなり、感染も生じるようじゃ。

 ホメオパシー的には、珪酸と鉄を服用するのがよいという。 

2008-01-22 | 錬金術者 #- | URL|[ 編集 ]

生きたい!

じいちゃんが亡くなる時を思い出しました。
気分が悪いということで、病院に入り、わずか5日で亡くなりました。最後の日は義姉と私が付き添っていたのですが、じいちゃんは朝食の後、散歩に行きたいと言いました。実際はベッドから起き上がれる状態ではありませんでした。義姉が「目が覚めてからね」と父親にやさしくささやきました。
そのあとすぐに容態が変化し、皆に看取られながら、目が覚めぬまま、じいちゃんはあちらの世界に旅立ったのです。
大往生でしたが、最後まで、生きようという意志を持っておられたのです。
人間が体だけで出来ているのなら、死の時期を決めるのはたやすいかもしれません。が、魂の部分をどうしたらよいのか?霊能者でもおられ、「ただいま体から、魂が離れられました」・・なんて宣言されたらいいのですが。
あ〜〜、やさしいじいちゃんのことを思い出し、懐かしくて涙が出てきました。

2008-01-22 | やまんばさん #- | URL|[ 編集 ]

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