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2008年01月04日 (金) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (31)


鏡に映る自分の姿を見ていて、
ふと白髪があるのに気づく。

とうとう白髪がはえるようになったか
と感じる「白髪の発見」のとき、

どんな感慨をもつか、
人によってさまざまであるだろう。

ときには、「おい、白髪があるぞ!」
などと言って、他人の白髪の発見に
楽しみを見いだしている人もある。


一本の白髪に、「桐一葉、落ちて……」
の心境になった方さえおられるであろう。

読者からときにお手紙をいただいて、
感動したり、考えさせられたりしている。

東京都の一読者からいただいたお手紙は、
老いについて深く考えさせられるものが
あったが、

そのなかで白髪に関するところだけを、
この方のお許しを得て紹介してみる。

この方は五十歳すぎの女性で、
十一歳のときから難病に取りつかれ、
しかも誤診が重なったりして、

何度も何度も、「あと数日の命」とか、
「もうダメだ」などと言われながら、
奇跡的に生きて来られた。

この方は白髪を発見したとき
「嬉しかった」と言われる。

「自分もやっと老人になるところまで
生きのびたのだ」感じて嬉しかったのだ、
とのこと。

おそらく、この方にとって一本の白髪は、
すごい競争を勝ち抜いて得た、
特別の賞のように感じられたことであろう。

一本の白髪をこのような喜びをもって
迎えられた方が居られると知るだけで、

われわれの老いに対する姿勢も少しは
変わるのではなかろうか。



次回につづく


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
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白髪三千丈
はくはつさんぜんじょう)は、唐代の詩人・李白の
五言絶句「秋浦歌」第十五首の冒頭の一句だそうだ。
「縁愁似箇長(うれいによりてかくのごとくながし)」
と続く。

悲しみのあまり白髪が三千丈(約9キロメートル)も
あるかのように思われる」と解釈されている。

愛する人が不慮の事故で突然に亡くなった時など、
あまりの悲しみで一晩の内に黒髪が真っ白になる。
というようなことを耳にします。

そうした悲しみで白髪になるのでもなく
年を重ねての白髪であれば、
特別の賞のように感じてもよいですよね。

私は幸いにも今日まで白髪染めを使うこともなく、
ごま塩頭で通しています。その分ふけ顔になるのは
やむをえないことでしょう。


2008/01/04(Fri) 17:29 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
白髪に感謝
若いころから難病にかかられた方が鏡に映る自分の髪に白髪を発見されたとき、「ここまでよくぞ生きて来れたこと」の感慨はひとしおだったろうと思いました。
やまんばは30代で手術したあとから、白髪が出始めたので、早くから染めています^^。
最近、めがねをかけて鏡をみましたところ、皺が増えてるのにびっくり!でもやまんば、歯をみせて、自分の顔にニンマリ微笑かけました。
「これから先もよろしくね!」
鏡に映った自分の顔が力強い笑顔で、しっかりと私の微笑みに答えてくれました。

うん!
やまんばはうれしい。
一つ一つ、大切に事実を受け入れて、逞しく生きれるようになったことが・・・ただただ、うれしいのです。浮き草のように流されて生きてるのではない。
この現実を、この体で、しっかり受け止め、感じて泣き笑い、自分の意思で、人生を切り開いていけることが、涙が出るほどうれしいのです。
私とともに歩んでくれた、この体から、白髪がはえ、皺もできるほど、ともに過ごしてくれたことが、うれしいのです。
「生きる」そのものが芸術だといわれたけど、本当にその通りだとおもいます。
2008/01/04(Fri) 07:46 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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