2007年12月07日 (金) | Edit |
河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (23)


世のなかには、働きたいと思っても
働けない人がいる。

身体や精神の障害があるために、
なかなか働けないのである。

わたしがお会いする方たちのなかには
そんな人が居られる。


病院に入院しているが、
病院内の軽作業くらいならできる、
という程度の方が、
次のようなことを言われた。

自分は最近、母を亡くしたが、
自分は今は何の収入もないので、
母のために何かするということはできない。

しかし、院内の作業で、
入院中の老人たちのためのおむつをたたんで
整理する仕事をしているとき、
そのおむつのひとつひとつを扱うのが、
母への供養と思ってやっている、というのである。

この話をきいて、
この方の母を思う気持ちの深さに心を打たれたが、
それに加えて思ったことは、

その病院内で、おそらく「寝たきり」などと
言われている老人の方々が、
この人の母への供養に貢献しておられる、
ということである。

何もせず寝ていて、
おむつをかえてもらっているだけと思う人もあろう。

しかし、私には、そのような老人のひとりひとりの
たましいが、母を失った人の心を慰め、
その供養に日夜参加している、
というイメージが見えてくるのである。

毎日働けることはあり難いことだ。
それによって、われわれはお金や物や
多くのものを得ている。

しかし、だれかの供養のためにほんとうに参加する
などということをしているだろうか。



次回につづく


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コメント
この記事へのコメント
「山姥」(やまはは)
やまんばさんが楽しんで読み終えて
下さってよかったです。


やまんばさんの感想で、

人間の中には全ての(人間の)性格が収められており
環境や出会いによって、それぞれの性格が引き出され
ていく。

というところは、私が常日頃から感じていることと
同じことでした。また、

あなたは私であり、私はいつでもあなたになりうるのだ
といったところも「本当にそうなんだよなぁ~」と、
私の思うところと一緒でした。しかし、

「人間には自由意志が与えられているので」に関しては、

「人間には自由意志が与えられていないのではないか」
と考えたりすることがありますので、ここのところは
私の意見とは違いますね。ですから、

「(人生の)分かれ道に来た時」立ち止まって、
神仏の声に耳をかたむけられるかどうかは、わかりません。

ただどうなっても、人生を逃げずに引き受けて生きて
いかなければならない。と思っています。



2007/12/07(Fri) 18:29 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
供養
[1] 死者の霊に供え物などをして、
その冥福を祈ること。追善供養。
また、開眼供養・鐘供養・経供養など
寺院の仏教行事をもいう。

[2] 仏・法・僧の三宝を敬い、
これに香・華・飲食物などを供えること。

辞書ではこの程度ですが、この他に
水子供養、人形供養、針(鍼)供養など、
人々の念のこもっているものなど、
粗末には扱えないものを寺院等で供養する
ということのようです。

今日の記事の方は、

最近、母を亡くしたが、供え物などをして
供養することができないので、
入院中の老人たちのおむつを扱うのが、
母への供養と思ってやっているということ
なのでしょう。

寺院などで供養するだけでなく
いろいろな供養の仕方があっていいのだろうと
思います。



2007/12/07(Fri) 17:56 | URL  | ろくろく #-[ 編集]
ろくろくさんへ
お薦めの「山姥」(やまはは)をさっき読み終えました。
確かにどろどろした人間模様でしたが、話の展開が大変おもしろく、一気に読みすすみました。
やまんばが一番感じたのは、人間の中には全ての性格が収められており、環境や出会いで、おのおの性格が引き出されているのだと思いました。この小説の中の登場人物のすべてに、やまんばの性格が見え隠れいたしました。あなたは私であり、私はいつでもあなたになりうるのだと思いました。でも人間には自由意志が与えられているので、分かれ道に来た時はちょっと立ち止まって神仏の声に耳をかたむけられたら、なおいいなあと思いました。また、遠く高く宇宙の目からみたら、全体でうねりのように動いてるだけで、すべてのことは善悪を超えて起こっているのだともおもいました。
2007/12/07(Fri) 12:51 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
祈り
「私は今、年を取り、体も思うように動けなくなったけど、一つだけ、できることがある。それはみんなのために祈ることよ。」やまんばはお見舞いに行った先で、しんみりと言われたことを思い出します。
良いことを教えていただいた。やまんばも、なにもできなくなったとき、この言葉を思い出そうと、心に刻んで帰りました。

母を思うだけで、やまんばはいまでも涙が出ます。
「何も親孝行できなくて、ごめんね」と母さんに言ったら「あなたが幸せに生きてることが、なによりの親孝行よ」とやさしい笑顔で答えてくれました。だから
置かれた環境で、精一杯生きることが、母さんへの供養なんだと思えるのです。
2007/12/07(Fri) 12:39 | URL  | やまんばさん #-[ 編集]
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